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“いい子”だった私は、公教育をどう見つめ直せるだろう?

私は、公教育の中で”理想的な子ども”として過ごしてきた自覚がある。

運動会や学芸会、音楽会など、行事ごとは大好き。目標に向かってみんなで頑張ることが大好き。本番後の達成感に心を振るわせ、仲間と涙したことがキラキラとした思い出になっている。

男女関係なく比較的仲が良く、やんちゃな子たちとも仲がいい。
正義感も強い。

応援団、劇の主役、数に限りのある楽器担当、代表委員や学級委員、有志の金管バンドクラブやキャプテンなど、だいたいのことは積極的に立候補していたし「やってみない?」と声をかけられることも少なくなかった。

中学校では先生に声をかけられた結果、新入生代表として壇上で挨拶をし、卒業生代表として壇上で挨拶をした。

やらなくてはならないことはやるし、そこそこできるものだから学期ごとのテストは比較的点数が取れる。そんな感じで模範的な”いい子”なものだから内申点もいい。面接もそつなくこなせるタイプなので、高学力で名のある都立高校に推薦で合格した。

確かに努力はたくさんした。
でも、それを”辛い”と感じたことはほとんどなかった。

振り返ってみると、私はただ運よく、
この学校という”小さな社会”に適応できただけだったのだ。

私はたまたま、この日本の公立校の価値観に合う特性を持ち、テストで測られる学力を持っていた。
多くの大人たちに評価され、競争に勝ち、幸せに生きてきてしまった。
これはすべて、無自覚な特権だったと思う。

自らの探究心とは関係なく「やらなくてはいけないから。」という理由だけで疑問も抱かずにやった努力がたまたま評価され、一方で誰かを試験から落とすことになっていた。

いつからか、そんな私が見てきた景色がとてつもなく偏っていることに気がついたら、罪悪感で苦しくなった。

私が夢中になっていた運動会の練習。
その時間が、誰かにとってはただただ苦しいものだったかもしれない。
感動して涙しているのはごく限られた”私たち”だったのだ。

私にとって厳しさすらもいい思い出で、幸せに過ごしていたあの学校生活が地獄のように苦しかった人がいたはずで。私はその存在にすら気づいていなかったのだと。

今の社会や学校は、変わらなくてはならない。
頭では分かっているのに、私には日本の社会・学校の”正しさ”が染み付いてしまっている。

そんな私が先生になってはいけないと思っていた。
学校が好きだった私が先生になったら、いわゆる”まじめで素直ないい子”を求めてしまうと思った。学校が辛い・苦しい子の気持ちがきっと分からない。

それでも、私は先生になる道を選んだ。

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これは、映画「小学校〜それは小さな社会〜」を見る直前に書いた文章です。その後、映画を見て私は感動しました。でも、その感動が、自分が持つ”公教育の価値観”に染まっている証拠のように思えて、苦しくなりました。そして、今も映画に関して飛び交うたくさんの意見に感情が振り回されています。

でも・・・なんの因果か、映画監督である山崎エマさんとのご縁ができ、対話する機会を作ることになりました。以下は告知文です。対話を信じるNPOの仲間と共に、公教育を見つめ直したいと思っています。

『 山崎エマ監督と考える!—映画をきっかけに見つめ直す公教育 ー 』

今、多くの人がこの映画を観て、さまざまな感情を抱いています。
「日本の公教育は素晴らしい!」と感動する人もいれば、
「むしろ学校の息苦しさを感じた・・・」という人もいます。

なぜこんなにも受け止め方が違うのか?
それは、私たち一人ひとりが異なる経験や価値観を持ち、公教育との関わり方も違うから。この対談では、特定の場面を評価したり、登場人物について議論するのではなく、映画が生み出した対話の広がりや、そこから見えてきたものを共有し、公教育について改めて考える場にしたいと思います。

* 監督にはどんな反響が届いているのか?
* 映画をきっかけに、どんな対話が生まれているのか?
* 日本の公教育が積み重ねてきたものと、これから必要なものとは?
* 学校が抱える課題を、私たちはどう解決につなげていくことができるのか?

「日本の公教育は素晴らしい」と安心するのでもなく、「意味がわからない」と目を背けるのでもなく、 今こそ、立場を超えて対話することが必要ではないでしょうか。

公教育の現場で働く人、オルタナティブスクールに関わる人、不登校支援に取り組む人、そして子どもや学校と向き合うすべての人へ。
映画が投げかけた問いを受け止め、共に考え、語り合いませんか。

イベントページより

こちらのイベントはNPO法人School Voice Projectが主催で、3月8日(土)に予定しています。