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あの日の教室で
担任の私なんかよりもよっぽど理科に詳しくて、授業ではニヤリとしながら「それって〇〇ですよね。」なんて呟いてくるkくんは、いつも堂々としていて冷静で、誰に対してもどこか距離を取っているように見える子だった。
そんな彼が、あの日はうつむき、みんなの前で涙で声を詰まらせていた。家庭環境で悩んでいることや、周囲からの見られ方と本来の自分とのギャップに苦しんできたことを吐き出してくれたのだった。もともとは、クラスで起きたトラブルについて話し合うためのサークルだった。でも、彼の声をきっかけに、多くの子が日々感じている苦しさを吐露することになった。何人もの子が泣いていた。震えを伴いながら、それでもと声に出す瞬間が何度もあった。その日の子どもたちの振り返りには、こんなことが書かれていた。
「辛いこと、悲しいこと、一人一人いろいろな悩みを持っていることがわかりました。」
「みんなが本気になって話していたので、私も本気で言いました。」
弱さを見せてくれた一人の勇気が、その場にいる他者の背中を押してくれることに私は感動した。5年生からの持ち上がりで、初めて6年生を担任した春のことだった。
私が対話に惹かれているのは、こんな「震える対話」が立ち現れることがあるからなのだと思う。お腹の底が震え、熱を帯びてくるような、覚悟を決めて言葉を絞り出す、そんな瞬間。それは、抱えている痛みや弱さを見せることだったり、”伝えたい”と心に決めて誰かと向き合うことだったりする。その姿に私は心動かされてきたし、そんな「震える対話」が、共に生きる他者との日常を豊かにしてくれると感じてきた。
「震え」は予測できない
なぜ、「震える対話」にこんなにも心動かされるのだろう。
一つは、予測できないからではないだろうか。【対話の場】で、どれだけ内面と向き合うような、本音で語り合うような問いやワークが用意されていたとしても、震えは用意できるものではないから。身体の内側から込み上げるような感覚は、その人にとっての「今」その瞬間でしか生まれない。だからこそ、震えが伴うほどの大切な何かを分かち合ってもらえた時、人は心動かされるのだと思う。そういえば、「対話に生きるゼミ」でも私にとってのそんな瞬間があった。なんでもない、チェックアウトの時間に私は勝手に涙し、家庭のしんどい状況を吐露することになったのだ。あの日、誰も予想できないタイミングで、私の「今」はやってきた。
私たちの間にある、確かな信頼
もう一つ、私が「震える対話」に惹かれるのは、震えるほどの大切な何かを「私が声に出せたこと」や「あなたが声に出してくれたこと」が、私たちの間にある確かな信頼を感じるからなのだと思う。6年生のあの教室で、彼らが弱さを吐露してくれたことは私を勇気づけてくれた。弱さを見せられる存在の一人として、あの場にいられたことが私は嬉しかったのだ。あの日、ゼミのチェックアウトで思わず涙したのは、あの場だからだった。当たり障りのないひと言を言うこともできたあの時、みんなの前で私は正直でありたいと思った。正直な気持ちを伝えようとしたら、感情が溢れてしまった。
「この人なら」と思える誰かがいること
「この人なら」と誰かに思ってもらえること
これは、とても幸せなことだ。そんな他者との関係が、私の日常を豊かにしてくれる。
私を支えてくれている”私たち”
これまで私が「震える対話」を共にしたたくさんの人たち。とことん憎み、時間をかけてゆるせるようになった人。衝突し、傷つけ合った友人。一緒に悲しみ、涙した友人。感情を剥き出しにぶつけ合い、抱きしめ合った我が子。不安定だった私を静かに受け止めてくれた夫。あの日の教室の、ゼミのみんな・・・
彼らとの対話が、どれだけ私を救ってくれたことだろう。感情が大きく揺さぶられるそれらの対話は、決して心地いいだけの時間ではなかった。真剣で、真っ直ぐで、時にすごく苦しかった。でも、そんな時間を過ごしたからこその”私たち”がいて、そんな”私たち”は今を生きる私を支えてくれている。
お腹の底が震え、熱を帯びてくるような、覚悟を決めて言葉を絞り出す、そんな瞬間が、私にはまだまだやってくるに違いない。そのたびに、私の中の”私たち”が「大丈夫、言ってごらん。」と背中を押してくれる。
だから私はきっと、声に出すことを選ぶ。
その一歩が共に生きる他者との日常を豊かにしてくれると信じているから。
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※このエッセイは、古瀬正也さん(まーぼー)と片岡利允(とっくん)が主催する「対話に生きるゼミ(3期)」に半年間所属して書いたものです。
※個人の特定を避けるため、エピソードの内容を一部変更しています。