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#39 【英語初心者の逆転劇】短大→アメリカ名門大に編入!銀行も全面協力の“海外エンジニア就活”

海外で活躍する20代の日本人女性にフォーカスするポッドキャスト番組『海外ではたらく私たち20’s』。今回のゲストは、日本の高校を卒業後、アメリカのコミュニティカッレジを経てカリフォルニア大学バークレー校に進学し、現在はサンフランシスコのスタートアップでソフトウェアエンジニアをされている、田渕悠さん(27)です。この記事ではアメリカで現地就職を果たすまでのストーリーをお伺いし、多様な選択肢と挑戦する勇気をお届けします。



自己紹介

はじめまして!田渕悠と申します。
千葉県出身で日本の高校を卒業後に渡米し、語学学校を経て、カリフォルニアのコミュニティカレッジに進学しました。3年で卒業した後、UC Berkeleyに編入し、コンピューターサイエンスを専攻しました。2年で学部を卒業し、現在はサンフランシスコのスタートアップでソフトウェアエンジニアとして働いています。

この記事では、大学進学時まで英語も話せず、ほとんど海外経験もなかった私が、どのようにして海外就職を実現したのか、その経緯をお話しします。私のエピソードが、皆さんの挑戦の一歩につながれば嬉しいです。

インタビュー音声はPodcastで配信中です

全ての始まりは1ヶ月のカナダ留学

私は中央大学高等学校という中央大学の附属高校を卒業しました。当初は内部進学を検討していたのですが、高校3年生のときに姉がワーキングホリデーで滞在していたカナダに1か月間、語学勉強を兼ねて留学したことが大きな転機になりました。語学学校では、カナダやサウジアラビア、韓国など、様々な国の留学生と出会いました。多様なバックグラウンドを持つ彼らと、拙い英語とボディランゲージを駆使してコミュニケーションを取る中で、次第に「もっと色々な国の人と話してみたい」という思いが芽生えたんです。

当時は付属大学に内部進学するか、もしくは看護学部を受験して助産師になることを考えていました。しかし、カナダでの経験が楽しかったので「日本の大学進学に縛られなくてもいいかもしれない」と思えたんです。帰国後、時差ボケで寝付けない夜に、海外大学の進学方法をインターネットで調べました。すると、ベネッセの海外留学センターが無料カウンセリングを実施していることを知ったんです。早速、新宿で開催されたカウンセリングに参加し、アメリカやカナダ、オーストラリアなどの進学システムを聞いてみました。お話を聞く中で、漠然とアメリカに行きたいという気持ちが強くなり、最終的にアメリカの大学進学を決めました。

当時の私の海外経験は母との韓国旅行のみで、英検2級は持っていましたが、TOEFLは120点満点中44点のスコアで英語力が乏しい状況でした。ですが、「行ってしまえばなんとかなる」という思い切りで渡米を決断しました。

ハリウッドの語学学校へ

海外進学を決めてからは、ベネッセの海外留学センターにサポートしてもらい、テキサスやシアトルのコミュニティカレッジ(略:コミカレ)を紹介していただきました。コミカレは進学のハードルが低いので、多くの人に間口が開かれています。大学で志望校が不合格だった人が高校卒業後にコミカレで優秀な成績を納めて4年制大学に編入したり、セカンドチャンスを目指してコミカレに進学する人もいます。

ただ、入学のハードルは低かったのですが、コミカレ選びには時間を要しました。当初はハリウッドのコミカレが候補に挙がっていたんです。というのも、渡米後、最初の4か月間はカリフォルニア州のハリウッドにある語学学校に通っていました。ハリウッドを選んだのは開校直後で40%オフだったからです(笑)語学学校では大学の授業を疑似体験しながら、英語漬けの日々を送り、最終的にTOEFLのスコアも60点台まで上げることができました。4ヶ月をハリウッドで過ごしたことで友達も増え、ハリウッドのコミカレに進学することを検討していました。

バスでの出会いが繋いだご縁

ですが、海外留学センターに紹介していただいたテキサスやシアトルのコミカレにも足を運んでみようと思い、安い飛行機で早朝にテキサスへ飛びました。テキサスのコミカレはダラスから夜行バスで3時間のアクセスで、現地の人も知らないような無名の場所にありました。周りには本当に何もなく、夜22時に夜行バスで帰ろうとした時には、薬物のディーラーが乗車していたことで警察が出動する事件にも遭遇しました。治安があまり良くなく、別のコミカレを再検討しようとしていたところ、このバスでの出会いが私の運命を変えたんです。

バスでたまたま隣に座ったおばちゃんがとても親切な方で、彼女の出身地であるオレンジカウンティのコミカレを紹介してくれました。帰宅後すぐに調べてみると、日本人コミュニティのウェブサイトがあり、そこで家も見つけることができました。実際にキャンパスを見学すると、噴水もあるような平和な雰囲気で、テキサスのコミカレとは印象が大きく違いました。「私が求めていた場所はここだ!」と直感的に感じ、そのまま自力でアプリケーションを出しました。

コミュニティカレッジでの3年間

コミカレでは大学1-2年生で履修する必修科目を中心に、大学編入に必要な単位の取得を目指します。クラスの規模が小さく、教授との距離が近かったので勉強しやすい環境でした。
ですが、最初の学期のクラスは難しく、殆どの授業を理解できませんでした。最初は英語も分からなかったので、教科書を読み込んだり、友達と一緒に勉強することで対応していました。また、チュータリングセンターという図書館にある学習支援施設があるのですが、そこで授業の予習復習をサポートしてもらったり、エッセイの添削を依頼していました。

4年生大学の編入には、とにかく成績(GPA)が大切なんです。UC Berkeleyのような難関大学に編入するためには、テストの成績でAを積み重ねることはもちろん、課外活動やリーダーシップを示す実績も必要でした。加えて、パーソナルステートメントという自分の人生や志望理由のエッセイも提出します。そのため、GPA3.5以上が参加条件になっているクラブ活動に参加したり、成績優秀者用の高度な授業を履修したことで、在学期間の活動をアピールできるよう努めました。

アメリカの大学受験で有名なSATは日本の大学入試に近いイメージですが、これは高校から4年制の大学受験を目指す人が受験するものになります。コミカレから4年制大学に編入する場合は、日頃の活動が重要で、課外活動や応募書類で評価されます。AO入試などを想像してもらうとイメージしやすいかもしれません。

突然の専攻切り替え

コミカレに入学した当初は心理学を学ぶ予定でした。アメリカの心理学は先進的なイメージでしたし、人と話すのが好きだったので、漠然と心理学に興味があったんです。ですが、アメリカで心理の専門職に就くためには、大学院に進学する必要がありました。アメリカで大学院に進学する場合、学費は年間で500万円は見積もる必要があり、現実的な選択肢ではなかったんです。また、学部卒で心理学の専門職に就けるケースは少なく、外国人としての採用もビザの面などで難しい状況がありました。

一方、高校時代に理系クラスに在籍していたこともあり、コミカレ入学直後の数学のクラス分けテストが高得点だったんです。実は日本の高校数学はアメリカよりも難易度が高くて、アメリカでは微積の計算も選択した人しか学んでいません。そのため、日本の高校数学を学んでいただけなのに天才児扱いしてもらえたんです(笑)そんな経緯もあり、数学が苦手な人をサポートするチューターを担当していました。さらに、数学の教授がとても親身な人で、恩師にも出会うことができました。次第に心理学は将来に挑戦するとして、今はもっと数学を伸ばしたいと考えるようになったんです。

専攻を変えようと思い、家族や友人、バス停で出会った人にも相談したところ、みんな共通して「将来性があるのはコンピューター」「コンピューターサイエンスなら就職にも有利」というアドバイスをくれました。その回答に私自身も納得し、1年目の終わりごろにコンピューターサイエンスに専攻を切り替えました。これまでコンピューターとは無縁の人生でしたが、学び始めると面白くて、そのまま今日までエンジニアとして続けることができました。最終的にコミカレでは、プログラミングや物理、数学の履修が必要になったため、1年延長して3年間在籍し、4年生で編入することにしました。

想定外のUC Berkeleyへの進学

私自身、UC Berkeleyなんて受かるわけがないと思っていたんです。だからこそ、逆にプレッシャーなく出願できたのかもしれません。
編入には成績と課外活動、志望理由書が非常に重要です。私の場合、コミカレではほぼ全ての科目でA評価を取り、GPAは3.95でした。さらに数学のチューターとして働いたりボランティア活動をしていたので、その経験も評価していただいたのだと思います。ですが、GPAが3.6でも受かる人はいて、特に編入の合格者はコミカレで頑張ったことがある人や、人生で何か大変なことを乗り越えた経験がある人が多い印象です。合格後に合格者の基準を質問したところ、UC Berkeleyでは入学後も頑張れそうな人を受け入れてるという回答でした。諦めないことの重要性を実感した体験になりました。

実際、私はUC Berkeley以外にもUCLAやUCサンディエゴ、UCアーバインなど7校に応募し、全ての大学に合格しました。当初はミシガン大学への進学も検討していたのですが、卒業に3年かかる上に、学費が想像以上に高く合計2000万円が必要になったため、急遽進学先を変更することにしました。
そんな中、UC Berkeleyからも合格通知が届いたのですが、最初は進学するつもりはありませんでした。入学後が大変そうであったのに加え、記念受験だったので合格した実感が沸かなかったんです。ですが、合格後にキャンパスを見学した際、大変だけどコラボレーションをして皆んなで頑張る校風であることを教えてもらいました。それなら私もやっていけるかもしれないと思い、せっかく合格したのだから挑戦してみようと覚悟を決めました。

銀行も全面協力の学費工面

アメリカは留学生に奨学金が出にくいので、お金の問題は常に壁でした。3年間をコミカレで過ごしたことで、1年生から4年制大学に入学した場合と比較して、学費を4分の1近く抑えることができました。しかし、UC Berkeleyの学費は年間500万円。私は4人兄弟の末っ子で、両親も高齢でローンを組むのが難しい状況であったことから、最終的に兄の名義を使って銀行でローンを組むことになりました。地元の千葉銀行に相談しに行った際、UC Berkeleyに合格したことを褒めてくださり、すぐに対応してくれたことが救いでした。

周囲の応援もあり、私自身も「こんなに協力してくれる人たちがいるなら頑張らないと」という気持ちになりました。学費がかかるので、一刻も早く卒業しなきゃと焦る日々でしたね。最終的に大学は2年で卒業できました。

超ハードな海外難関大学生活

UC Berkeleyではコミカレとは比べ物にならないくらい勉強漬けの日々でした。毎日深夜12時まで図書館で勉強していましたね。それでも100点が取れないように設計されているテストが多くて。40点が平均点で合格ということも多いのですが、最初はそのことを知らず、50点を取った時に大学から追い出されるかもしれないと落ち込んだこともありました。結果的に平均点ではあったものの、メンタルが鍛えられる2年間だったように思います。

ただ、コラボレーションを重視する風土にギャップはありませんでした。宿題もみんなで集まって頑張ったり、疑問点があれば助け合うことを当たり前とする雰囲気でした。コミカレ時代よりもさらに高度でハードな授業が目白押しでしたが、それも今では良い思い出です。

1年生から始まる就職活動

卒業後は、日本に帰国することはあまり考えていませんでした。日本には敬語やビジネスマナーなど独自の文化がありますが、それを身につけることに時間をかけるなら、アメリカでエンジニアとしてのスキルを伸ばす方が自分には合っていると思ったんです。せっかくアメリカに来て、大学も卒業できたので、アメリカで働くための現地就職に絞って就活に取り組みました。

職種はソフトウェアエンジニアを検討していましたが、アメリカでエンジニアとしてフルタイムで働くためには、学部在学中のインターン経験がほぼ必須であると聞いていました。実際、1年生からUC Berkeleyに入学してる人たちは、1年生の時からインターンに参加してるんです。私も大学在籍中に2つのインターンを経験しました。

実績作りのインターンシップ

1つ目は冬休みを利用して日本に帰国し、日本のロボティクス関係の企業で無償のインターンをさせてもらいました。きっかけはサンフランシスコで行われた日本人向けのスタートアップ企業のピッチイベントでした。バークレーからサンフランシスコまで電車で向かい、興味を持った企業の代表者に「1か月だけでもいいので、インターンをさせてほしい」と交渉してみました。実績を作るために、無償でも履歴に書くための経験が必要だったんです。結果、快く受け入れてくださり、多くのことを学んだ貴重な経験になりました。

2つ目はUC Berkeleyのキャリアサイトで見つけた旅行ツアーに関するWebサイトを作るスタートアップでした。当時、その会社はエンジニアが2人しかいなくて、私を含め3人のインターンを採用したんです。面接のコーディングテストの出来は悪かったのですが、やる気や人柄を認めてくださり、有償インターン(時給35ドル)で3か月間働きました。日本の旅行会社とアメリカのツアーガイドを繋ぐサービスだったこともあり、日本人としての実体験を絡めた志望動機に共感してもらえたのかもしれません。

念願の現地就職への切符

多くの学生は大学4年の秋頃に就職活動を始めるのですが、私は学費の負担も大きかったので「まずは勉強を最優先にしよう」と割り切って、就活は卒業後に後回しにしました。

最終的に、現在の勤め先であるサンフランシスコのスタートアップに就職が決まりました。当時は今よりも小規模で、新卒採用も受け付けていない企業でした。私も知らない会社だったのですが、とあるWebサイトを通じて会社の方から連絡をいただき、他のメンバーとの面談も進めながら採用に至りました。コーディングテストは4-5回受け、面接も6人と話して、ようやくフルタイムのオファーをもらうことができました。振り返ると、パーソナリティや振る舞いなど、ソフトスキルも評価していただいたことが結果につながったのだと考えています。

📢 悠さんからのお知らせ
①Podcast:おぷてぃみマニアの雑談室 〜20代女子の赤裸々トークを盗み聞き〜
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  • 後編は2/25(火)公開予定です

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番組:海外ではたらく私たち20's
『海外ではたらく』に挑戦する20代の日本人女性をゲストに招き、日本社会の固定観念を覆し続ける彼女たちから、海外で働くまでのストーリーや現地でのリアルな体験談、将来のキャリアを伺う番組です。日本で生まれ育った彼女たちが異国でチャレンジする姿を通じて、リスナーの皆さんに多様な選択肢と挑戦する勇気をお届けします。毎週月曜日 朝7時配信
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制作:BIAS
BIASは、固定観念が人々の可能性を狭めている現状への問題意識から、固定観念が覆る瞬間を創造し、「バイアスを超えた可能性を」目指すプロジェクトです。現在は、BIASの第1弾コンテンツとして、Podcast番組「海外ではたらく私たち20’s」の制作に注力しています。

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