#37 【地方女子の大躍進】公立高→新卒ロンドン就職!“200社応募”でゼロから掴む海外キャリア
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自己紹介
はじめまして、Marinaです。
幼少期は転勤族として広島・岡山・長野を経て3歳から静岡県で過ごし、静岡県の公立高校を卒業しました。その後、上智大学の総合グローバル学部に進学し、The London School of Economics and Political Science (LSE)(地理学部・環境と開発専攻)修士課程を修了。現在は転職を経て、ロンドンのチャリティー団体に勤務し、サステナビリティ担当のオフィサーとして都市開発や環境政策のプロジェクトに携わっています。
静岡県育ちで、全く海外と接点がなかった私がなぜイギリスで働くことになったのか。前編ではそのきっかけや経緯など、過去のお話を中心に紹介します。
このエピソードを通じて、私のような田舎の公立高校出身の人でも、帰国子女や私立校出身の人と同じように、海外で夢を描いても良いのだと思えるきっかけになれば幸いです。
日本生まれ静岡育ちの学生時代
はじめに私のバックグラウンドについてお話しすると、私の家族は転勤族で、広島や岡山、長野…と転々とした後に、静岡県に引っ越しました。物心がついてから高校を卒業するまではずっと静岡県の同じ町で育ったんです。電車が通っていない地域だったので、高校も自転車などで通学していました。
今はイギリスで働いていますが、私自身は海外にルーツがあるわけでもないし、パスポートを作ったのも大学生になってからなんです。学校も高校までずっと公立で、もちろん修学旅行も国内でした。家族で海外旅行に行ったこともなかったので、唯一の海外との接点といえば、中学や高校にいるALTの先生でしたね(笑)
ターニングポイントは世界史の授業
このような環境で育ち、海外との関わりが全くなかったからこそ、中学生の頃から「海外ってどんな場所なんだろう」と漠然とした興味を抱いていました。
そんな私の最初のターニングポイントは、高校生の時でした。当時、ニュースで頻繁に中東の情勢が報道されていて、学校でも世界史の先生が時事的なトピックと結びつけながら授業をしてくれたんです。日々情勢が変化していく中で、次第に周囲のクラスメイトも「イスラム=怖い」という思い込みを抱き始めていて、私自身はその状況に強い疑問を感じていました。「会ったこともないのに、なぜ怖いって決めつけるのって何だろう?」って。この出来事をきっかけに、海外への漠然とした興味が、国際協力や平和というより大きなテーマへの関心に繋がっていきました。
また、高2の夏に参加した「AIG高校生外交官プログラム」もターニングポイントの1つでした。このプログラムでは、日本とアメリカの高校生が10日間の合宿を通して異文化交流やディスカッションに取り組みます。審査があったのですが有難いことに合格をいただき、私は日本プログラムに参加しました。アメリカから来日した同世代の参加者と平和や社会問題について話し合う中で「外の世界を知りたい」「もっと英語を勉強して、海外の人たちと話したい」という気持ちが次第に強まっていきました。
この経験を機に、国際協力について深く学べて、交換留学先の選択肢も多かった、上智大学の総合グローバル学部を第一志望校に決めました。
反対された進路選択
実は上智大学を第一志望に設定したとき、高校の先生からはネガティブに受け止められました。というのも、私の高校はいわゆる「田舎の公立の進学校」という雰囲気で、偏差値至上主義の風潮があったんです。AIG高校生外交官プログラムを広めようとした時も、学校では「そんなことよりもセンター試験対策が重要」「国公立受験に向けた勉強が第一優先」とされてしまいました。チャンスを増やすために推薦入試を受験しようとした際も、周囲からは良く思われなくて、私にとってはショックな出来事でしたね。
私自身は「偏差値が高い国公立に行く」ことよりも、「やりたいこと」で人生を決めたいという気持ちが強かったんです。だからこそ上智大学を選んだのですが、上智大学を志望した途端、家族以外からのサポートがなくなったのはやはり辛かったですね。
ですが、今振り返ると、上智大学は本当に自分に合う環境だったので、この道を選んでよかったと心から思っています。
フィリピンで出会ったスラム街の子どもたち
上智大学の総合グローバル学部では、「グローバル」と「ローカル」の両方を学ぶことを重視します。マクロな目線で社会を捉えつつも、地域研究にも力を入れている点が特徴のカリキュラムです。
大学では環境関連の授業がとても楽しくて、同じ教授の授業を全て受講しました(笑)その後、こんなにこのテーマが好きならということで、教授が東南アジアに特化した交換留学プログラムのSAIMS Programを紹介してくれたんです。紹介をきっかけに、半年間フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学に留学しました。フィリピン留学の前に大学のプログラムを利用してハンガリーに1ヶ月間滞在したことはありましたが、長期滞在はこの留学が初めてでした。
海外留学となると、アメリカやイギリスなどを選ぶ人も多いと思いますが、私はフィリピンに行くことができて本当によかったと思っています。街を歩いていると、その国が抱えている課題が見てとれるんですよね。留学先の大学にはフィリピン国内のエリートが集まっていますし、マニラには東京みたいに発展したエリアもあるのですが、一方で少し外れたところに行くとスラム街があって、物乞いをしている子どもたちに出会うこともありました。日本で生まれた自分が、彼らに対して何ができるのだろうか?ということを考えさせらる経験でしたね。交換留学先の大学では、環境破壊と経済発展の折り合いをどのようにつけていくのか、またそもそも経済発展は必要なのかという議論が活発に行われていたことが印象的でした。自分が将来取り組みたい分野が明確になったのも、この経験の影響が大きかったです。
イギリスの大学院に進学
上智大学卒業後は、イギリスのThe London School of Economics and Political Science (LSE)に進学し、地理学部の「環境と開発」を専攻しました。
大学院は必修科目が少なかったので、地理学部の授業を幅広く受講することができました。私は都市開発を中心に履修していましたが、経済に興味がある友人は経済系の授業を、サステナブルファッションに興味がある友人はその分野に役立ちそうなもの…といった風に、自分の興味分野に合致する履修をカスタマイズできる環境でした。
ちなみに、アメリカなどは修士課程が2年間のケースも多いですが、イギリスの大学院は基本的に1年間のカリキュラムが多いです。良い教授にも巡り会えて、特にサステナビリティの街づくりにフォーカスした分野を専門的に学ぶ1年間を過ごしました。
日本社会への違和感と海外の可能性
「大学生になるまで海外との接点がほとんどなかったのに、フィリピン留学やイギリスの大学院にチャレンジすることに不安は感じなかったのか?」と疑問に思う方もいるかもしれません。
少しネガティブに聞こえるかもしれないですが、正直に話すと、実は私自身あまり日本社会に馴染めなかったんです。見た目のせいで、日本人なのに日本人だと思われないことが多くて。先ほど話したように地元の高校でも居心地の悪さを感じましたし、東京でも外国人と見なされて差別的な扱いを受けることがあり、もともと日本社会に対する違和感を拭えずにいました。自分ではどうしようもない出来事で、差別を受けることが続いてたので、惨めな気持ちが強かったんです。
また、個人的な意見ですが、日本は正解が1つに決まっている社会である印象があります。社会に疑問を持ち、議論し合うことは少ないですよね。でも、特に10代後半から20代前半って、価値観を形成する上ですごく大事な時期だであると思うんです。その大事な時期に「多様な価値観に触れられる場所で生きたい」と考えていました。
自分がどんな見た目であっても何にも囚われない社会で生きたい。多様性のある環境で過ごしたい。そんな思いが強かったので、日本を離れることに全く不安はありませんでした。学問をより専門的に学べる楽しみも相まって、海外へのワクワクの方が大きかったですね。新天地で頑張りたい、という前向きな気持ちが強かったです。
国際寮で過ごした4年間
とはいえ、今では日本の良さも実感することができています。というのも、上智大学の4年間は国際寮に住んでいたこともあり、留学生と多くの時間を過ごしていました。各セメスターごとに入れ替わる無数の留学生と過ごした4年間は、本当に愛と笑顔に溢れていました。もちろん語学力も向上しましたが、それ以上に人との繋がりができ、今では寝食を共にした友達が世界中にいます。ツアーガイドや、日本語の先生、銀行の手続き等々、外国人が日本で住む大変さもたくさん学べた時間でした。
日本にずっと馴染めなかった私に居場所をくれて、彼らの眼を通して日本の良いところを見せてくれて、日本人である以前に私個人を認めてくれて、本当に感謝しかありません。 彼らとの時間がなかったら、本当に日本を嫌いなだけで海外に出ていたと思います。彼らのおかげで日本にも良いところがあるんだな、と今ではニュートラルな視点を持てるようになりました。
ロンドン現地就職の葛藤
実際、イギリスは私にとって住み心地の良い国でした。特にロンドンは人を一個人として見るので、見た目でジャッジされることもないし、色々な発言が面白いねってどんどん深まっていく雰囲気がすごく好きです。他の国に行く可能性もありましたが、ビザや言語の問題も考慮して、日本に帰国しない中で最善の選択がイギリスでの就職でした。
ただ、私は帰国したくなかったのですが、帰国の選択肢が浮上したことも事実です。やはり家族からは、近くに住んでいる方が嬉しいということを言われていました。また、今のイギリスは就職難で仕事を見つけることが本当に大変なんです。実際、私自身も就活は難航していたので、帰国すればバイリンガルでイギリスの修士を持つ自分を評価してもらえるのではないか、と考えることもありました。ただ、やっぱり自分の中ではまだ帰国したくない思いが優っていたので、最終的に現地就職を選択しました。
海外就活の厳しい現実
現地就職を決めたものの、イギリスの新卒採用はかなり厳しいのが現実でした。日本は新卒一括採用で研修も多いですが、イギリスは真逆で、職歴がない新卒はなかなか雇ってもらえません。経験こそが重要視されるので、いくら学歴が良くても実務経験がないと評価されにくいんです。そのため、多くの学生が無給やそれに近いインターンで職歴を作り、やっと有給のフルタイムに就くという道が一般的です。ですが、私は経済的に長期の無給インターンに参加することは難しい状況でした。そのため、「とにかくフルタイムで雇ってもらえるところを探す」選択肢しかなかったんです。
私の場合、200社は応募したと思います。正直、多すぎて正確には覚えていません(笑)日本の就職活動って、不採用でも不採用通知が届きますよね。でも、イギリスでは返事すらない企業もざらにあるんです。書類を送って、待って、何も来ない…を延々と繰り返す感じで、かなりメンタルが試されました。
幸運だったのは、「Graduateビザ」(修士修了者は2年間滞在可能)が得られたことです。Brexit(イギリスのEU離脱)の影響による人材流出をカバーするために新しくできたビザなのですが、2年間職探しの猶予を与えてくれる仕組みなんです。このお陰で仕事を探す時間的な余裕が生まれました。周囲の友人の半分は仕事が決まらず帰国していたので、1番最初に運よくオファーをくれた企業にほぼ即決で入社を決めました。本当に運が良かったと思っていますし、拾っていただいた企業にはとても感謝しています。
念願の就職と転職のキャリアアップ
最初にオファーをくれたのは、サステナビリティ関連のコンサルティングファームでした。実は自分がやりたいことに直結していたわけではなかったのですが、何より「新卒の自分を雇ってくれた」ことがありがたかったんです。とにかく受かった会社に行こう!という気持ちで、その会社に入社しました。
この会社では、私の直属の上司が本当に素晴らしい方で、楽しみながら多くのことを学ぶことができました。1年半ほど働いてスキルが身についてから、自分が本当にやりたかった「開発系の事業」や「公共性・公平性を目的とした事業」に移ろうと思い、転職を決断しました。
イギリスの新卒就活は難しい部分も多いのですが、その分一度経験を積むとキャリアアップがしやすいとも言われています。特に、国際機関などを目指す人はインターンやボランティア経験が不可欠だったりするので、最初の一歩をどう踏み出すかが大きな鍵になると思います。
後編は2/11(火)公開予定です
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