共感の最底辺で吠える黒犬
ブラックドック・シンドローム
動物保護関連の用語に、ブラックドック・シンドロームというものがある。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Black_dog_syndrome
ゴーストや悪魔は黒い犬のような形でやってくるという伝承の影響の強い英国発祥の、「大きくて黒い犬は里親に貰われにくい(≒処分対象になりやすい)」という問題である。
日本語では『黒くて大きい犬問題』と直訳されるのだが、共に共通するのは「同じ困った立場であれば、人間はより見た目や外観によって保護対象を決定する。同等のものでも意識的に区別して考えてしまう」という事だ。
ブラックドック・シンドロームは何も動物に限った話ではない。
動物を保護する側の人間にも適用される、それも残酷な形で。
共感格差
一応note版も併記しておくが、インターネット限界集落ことはてブ。にも結構な数の役立つ知識はある。いや、限界集落だからこそ手付かずの資源がまだ眠っていると考えるべきだろう。
トランピスト現象はアメリカ社会の黒い犬問題だと喝破している慧眼の持ち主は意外と多い。トランプ嫌い・共和党嫌いで有名なマイケル・ムーアが「2018年の選挙はトランプが勝つ。我々の自爆によってだ」と断言している動画は中々にセンセーショナルだ。
(当然、アメリカンリベラルからの攻撃は激しかった訳だが、結局はマイケル・ムーアの予言通りになって彼らは沈黙した)
それからのアメリカは「アイデンティティー内戦」状態になってしまったようだ。現大統領のバイデン氏は懸命にこれらの融和に努めており、ウクライナ問題すら利用しようという構えの様だが、ぶっちゃけ茨の道としか言いようがない。(やっぱり中華人民共和国という外敵つくってUSA!USA!ってやって無理やり結束させるの?思いっきり巻き込まれて大迷惑なんだが、地理的にどうしようもないんだよね)
そして日本では。
オノレのメシの為に小さな種火でも大火事にする天才マスゴミが今日も火を付けて銭稼ぎ。
オフレコという私的見解を堂々と記事にするという行為で仁義に反したマスゴミは今後記事にも困るんやないの?という疑問はさておき、人の性癖とか性的自認など個体差だし勝手なのではというのが個人的見解である。
そもそも日本史を鑑みれば、衆道とか当たり前にあった。堂々と日記に記述する悪左府さんとか、「衆道ダメな教義の宗教いらんわ」といった末世の道者さんとか、小姓に書いたラブレターが暴かれた甲斐の虎さんとか、両方イケた第六天魔王さんとか…
僧侶を騙してやろうと稚児に化けた狐が、僧侶の余りの絶倫さに音を上げて尻を抑えながら逃げていく、なんて話もあるくらい。江戸時代には陰間茶屋なんていう、今でいうニューハーフヘルスとか男の娘デリヘルみたいなシロモノまであった。
…おっと、話が大幅に逸れた。
衆道が忌避されたのは西洋文明が大量に流入した明治維新からだ。保守性の強い官僚のLGBTQ忌避発言に革新のマスコミが噛みつくとか、歴史のタームから見れば本末転倒という感想が浮かぶのだが、それ以上に問題なのが、LGBTQへの「キモい」という発言に噛み付く方々は、他方ではおっさんに向かって「キモい」を連呼しまくっているという矛盾だ。
もっと直截的に話すと、見た目に物凄く気を使うLGBTQには共感できるが、見た目が冴えないおっさんには全く共感しないどころか排除し不可視化したがるという共感格差丸出しな点に、自分は不可解さを通り越した深刻な不快を感じる。(そういうヤツに限って格差だ貧困だと騒ぎ立てる。お前らは二度と格差を口実にするんじゃねぇよ。最も、LGBTQや女性じゃなければ貧困ビジネスできませんからね、そうでしょう仁○さん?)
これをブラックドック・シンドロームと言わずに何と表現すべきだろうか。
はっきり言ってしまおう。
行動経済学に共感格差という社会学的要素を入れたら、ブラックドック・シンドロームにより、格差の縮小どころか、絶望的なまでに格差は拡大する。それどころか、階級となって固定化する。
何故なら、黒い犬は「生まれながらに黒い犬」だからであり、努力による逆転もできないのだ。これを階級と言わずして何というか。(それでも構わない、むしろ財政支出が減るから良い事だと思うのが、すぐ熱くなる頭脳と冷酷な心を持つ日本の経済学者だが)
挙げ句、対話が大事ですと言い出すのだが、そもそも対話すべき相手を不可視化しているので認知できない上、対話をする人間を共感格差で決めているんだから、「対話が大事です」とか言っても薄ら寒いし空々しい。
黒い犬は今日も吠え、無視される。
現代の我が国において皮肉なのは、マルクス主義に対する親和性が高いように見える人間(世田谷自然左翼、エリートを自負するインテリ、フェミニストなど)に限って、マルクス主義というものをあくまでもプラグマティックに扱っている点だ。
むしろ彼らの態度は権威主義に則った縁故資本主義というマルクス主義が最も唾棄し軽蔑する属性そのもので、マルクス主義から派生したサバルタンの文脈においても「社会的疎外をされた存在への積極的不可視化」を促進させている。
今や、LGBTQに対するお気持ちを表明しただけでクビが吹っ飛ぶ。政府与党からの同情も集める。
一方、おっさんに向かって「キモい」「近寄るな」「さっさといなくなればいい」を連呼するフェミニストは誰も生活に困らないどころか、同情と称賛と承認欲求を同時に受けられる。
どちらが現代日本のサバルタンなのだろうか。
黒い犬は吠える、そして路傍の石の如く無視される。
それが現代の日本の生活の営みだ。
[余談と追記]
体格差の優位性が最も高い球技のラグビーでやるとは…(絶句)