「キモい」からの卒業の推奨

因果応報という逃れられぬ答え合わせ

因果応報という四字熟語がある。

要は「善行をすれば善報あり、悪行には悪報あり」という『大慈恩寺三蔵法師伝』に記載された、高僧の有り難い教えである。

この話も因果応報的側面があるのは否めない。

現代的言い回しだと「ざまあwww」という感覚だろうか。
シャーデンフロイデとは違う、悪行に対する報いを見ると快感を覚えるという機能が人間には備わっているらしい。

そして今日もまた、邪悪なインターネットスラム街では地獄の火祭りが開催されていた。

まさに因果応報の業火に焼かれまくっている話題の人だが、自分でガソリン被っているのだから世話がない。
いや、自分が炎上しつつ相手も巻き込もうとするスタイルは火ヤク庫なのか、それとも山賊打線with俺達なのか。

お仲間も援護射撃のつもりなんだろうが、思い切り誤爆してしまっている件。

それに対する返歌側の下の句も定型化しつつあるが、上の句が通り一遍等なんでね、仕方がない。

最早、邪悪なインターネットスラム街では日常の光景である。


「私がオバサンになっても」

という森高千里の歌がある。

この歌が発表されたのは1992年(31年前)、現代まで続く日本の衰退と退廃の下り坂の入口にいながら、バブルの残り香というにしてはキツめの香水の匂いがまだプンプンしていた年だったと、幼気ながら記憶している。

それ故なのか、はたまたバブル期の時代精神なのかはわからないが、歌詞は「サイパン連れてけ」「過激な水着は無理」「ディスコ行くの」「オープンカーでドライブ」など即物的なのが多いように見受けられる。

この歌詞の絶妙な所は、最後の方に「私がオバサンになったら貴方はオジサンなのよ」と現実を突きつけていると同時に、自分は常に「私がオバサンになったらどうなるんだ?」という不安やわきまえを自覚している点だ。

ところが31年後の現代、「私たちはわきまえない」と豪語する現代のオバサンたちは「私がオバサンになったらどうなるんだ?」「ちゃんと加齢に伴う責任を持たなければならない」という自覚があるとは御世辞には言い難い。

それどころか「ナンタラ女子」と称して、自分は「責任取らなくていい属性のオンナノコでーす!」と開き直る始末だ。

…いや、開き直りは罪悪感の裏返しかもしれない。不安は存在しないかのように見せかけているが、実際は不安たっぷりで、その反転としてオッサンを叩いて現実逃避をしているのかもしれない。


言葉遣いも行動も歳相応

ではオッサンはどうなんだというと、他人からの厳しい視線で嫌でも加齢に伴う自覚を半ば強要されるので、嫌でも気付く。

三十路を過ぎたオッサンは無理に若者言葉を使うと「オッサン無理すんな」と冷やかされる、LINEやメールで送ると「オッサン構文」としてバカにされ晒される。そして、それを揶揄されて記事にまでされる。

オッサンという属性は現代では、日々「己の無力さ」「非権力性」を痛感させられる属性なのだ。

同様に、オバサンは三十路を過ぎた女性が若者言葉である「キモい」を連呼してもするその光景は、若者からはおぞましいと見られている。

男女平等パンチで炎上した一件も似たようなモノだ。

男女平等とフェアネスが最初からインストールされているであろう若い世代は「性別関係なく他人に暴力はダメだろ」と至って冷静なのに対して、「男は絶対に女に手を上げてはいけない」と教育された旧世代は金切声を上げて信じ難い!許せない!とひたすら反撃した男を罵倒していた。

「男は絶対に女に手を上げてはいけない」という旧世代の価値観に基づき、若者言葉の「キモい」を連呼して男を断罪する。

その二重性が、因果応報の業火に焼かれまくっている話題の人とそのお仲間(概ね三十路超え)の「キモい」連呼に対する違和感、ドギツイ表現をすると「キモさ」を感じる正体なのではないだろうか。

権力化した「キモいオバサン」認定まで間近

かつて社会の良いとこ取りをやって権力性を発揮していたオッサンはその権力性が仇となってバックラッシュを受け、大半が社会の片隅に追いやられ、二級市民と化した。

  • 「男は絶対に女に手を上げてはいけない」という旧世代の価値観に基づき、若者言葉の「キモい」を連呼してオッサンを断罪する。

  • 「ナンタラ女子」と称して、自分は「責任取らなくて良いオンナノコでーす!」と開き直る。

そして現在、上記のいいとこ取りをやって権力性をぶん回している方々もまた、その権力性から、男女平等とフェアネスが最初からインストールされているであろう若い世代からは「権力化したキモいオバサン」と見做されつつある。

(ここでは出さないが、フェミニストに肯定的な見方をしていたのは40代以上の女性だけで、30代以下の女性すらかなり否定的な見方をしていたというデータはかなり衝撃的だった)

恐らくこのままでは、キモいオッサンの二の舞を踏んで、その主張は顧みられなくなってしまうであろう。

その破局的因果応報の前に一度、省みてもらいたいものだ。
キモいと罵倒されるのはオッサンだけで十分である。

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