数字は踊る、数字に踊らされる


語彙を平気で捻じ曲げる人々

よく会社のお偉いさん方が部下の業績の悪さを糾弾する際に使う言葉に、「数字は嘘をつかないんだ!」というのがある。

確かに、数字は嘘をつかない客観的ある指標だ。
しかし、この理解は半分だけ正解である。

正確には「数字は嘘をつかない。但し、嘘つきは必ず数字を使う」である。マーク・トウェインが最初の出典ともされるが、真偽は不明のままだ。

考えてみれば、平成の間に語彙が完全に捻じ曲げられた諺は結構ある。元々は「他人に情けをかければいずれは回り回って自分に返ってくる」という語彙だった『情けは他人の為ならず』という言葉が「他人に情けを掛けるのは甘やかしなのでかけるべきではない」に変化していたという事例は典型例だろう。

「数字は嘘をつかない」も同じ様な理由だ。自分が嘘つきだと看破されたくないから、自分たちに都合良く語彙を改ざんしていったのだろう。

「言葉は時代を表す」という言葉が、まさにピッタリな事例だ。


数字は嘘をつかない、但し統計情報の前提を見よう

「数字は嘘をつかない。但し、嘘つきは必ず数字を使う」の事例の一つが、実際の犯罪件数(数字)と体感治安(体感)の違いだ。

認知犯罪件数は平成中期以降、減少の一途を辿っている。これはひとえに警察を始めとする治安維持関係各位の絶え間ぬ努力と尽力によるものである。やっぱり内務省から直系の流れを汲む組織は有能だ。

但し、体感治安は悪化の一途を辿っている。何故か?

種明かしは簡単だ。
警察及び関係省庁が公表している数字はあくまでも「認知犯罪件数」である。認知されていない犯罪は、犯罪統計上はカウントされない。

警察には警察の事情がある。
基本的に警察権は民事不介入の原則というものがある。

体感治安の悪化は、基本的に司法権に属する民事事件や民事紛争の割合が上昇したからではないかと推定される。
この様に、統計データを提示してドヤ顔をしている人間というのは得てして、心中では「統計データのまやかし」のネタバレがしないかどうかハラハラしているケースが多い。


嘘つきは数字を使う典型例

「数字を使う嘘つき」に騙される最大の理由は、「自分の都合のよいモノしか見ない」という人間の習性によるものだ。

その習性を巧みに利用したのがこちらです。

下にきちんと「橙線は先進国平均です」と書いてあるのに、意図的に無視してそれを「先進国最低ライン」の如く歪曲している。

先進国の定義は色々とあるものの、上位中所得国は「3,996米ドルから12,235米ドル(約134万5,000円)までの国」という定義がされている。

この程度の知識くらいちょいと調べれば直ぐにわかる。この程度の欺瞞が通用するのは即応性が要求されるSNSの一部のみだ。


馬鹿は数字を崇拝させたがる

数字崇拝の最たる例が偏差値の存在だろう。

単なる学問習得の相対評価指標の一つに過ぎなかったシロモノなのに、学問習得技術だけが取り柄の人間たちによって、今じゃ人間そのものの価値の絶対評価みたいなツラをしている。

「僕は中学時代の偏差値が70あった」「私は偏差値67の大学を卒業した」…だからどうした、という話だ。


数字を悪用する悪党が見えない人々。

何故、トランピストが減らないのか。その答えの一つがここにある。数字統計にならない忘れられた人々は、数字崇拝とは全く別の世界で生きているのだから。

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