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プロセスとしてのビスマス
初めまして。
ビスマス結晶専門ショップ「Bi-HOLIC(ビーホリック)」を運営しております、akiraと申します。
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Bi-HOLICは、2023年8月開設。
これを書いている今現在、まだ開設して2週間余といったところです。
商品数もまだ少なく、
おうちでビスマス結晶を作れる「ビスマス結晶作成キット」
や、小さなビスマス結晶を加工したハンドメイドピアスなどのアクセサリー類を数種類のみ…
以上の販売に留まります。
販売実績としては、私の友人が1個買ってくれたくらいで、実質売り上げは立っていないのと同然というのが今の状況。
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なぜビスマスなのか、と聞かれたら、とりあえず条件反射的に答えるのがこれ。
「趣味の延長線です」
世界中の鉱物好きの中の、そのまた一部の界隈で爆発的な人気を誇るビスマス結晶。
自然に形成されるとは思えない、その見た目と色合い。
一つとして同じものは作れない偶然性と、でも多少は人間の手で細工をすれば思い通りの結晶を得ることができるという、なんとも絶妙な難易度設定。
端的にいうならば「生理的に好き」とでも言いましょうか。
何か魂レベルの拍動を感じたから、それが高じてショップまで作ってしまった、
と、
いうのは一つの紛れもない事実です。
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ただ、もう一つ、明確な理由があります。
ビスマスで商売をせんとするある理由が。
…というのも、私は今29歳なのですが、23歳頃から私は個人事業主として生計を立てています。
その6年間の詳細については別の記事に譲りますが、端的に言いますと、いろんなタイプのビジネスを練り歩いた結果、ある種の自信を持って始めたのがこのビスマスなのです。
ただの転売ヤーのようなことをして稼いでみたり、人心を掌握して大金をせしめるような真似をしたり、はたまたマルチ、スピリチュアル、底辺バイト、ニート、引きこもり…
曲がりなりにも色々苦渋を飲んできた末の、この、ビスマス。
そんな、道半ばながら、紆余曲折を経て出会ったのがビスマスでした。
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確かに、ビスマスそのものの魅力に惹かれたのは紛れもない事実です。
大学も化学専攻でしたし、ビスマスの実験を始めた頃は、寝食を忘れて研究するほどです。
しかし、それだけではない。
ただビスマスが好きだから、ただビスマスが綺麗だからその延長線上でショップを開いてみよう!少しの小遣い稼ぎになればいいよね!
というような気持ちでは決してないことは断言しておきます。
今まで、いろんな汚いビジネス、自分勝手で、利己的な、倫理観のかけらもないビジネスをごまんと見てきました。
いや、自分自身も実際に手を汚していました。
だからこそ、資本主義ゲームの傀儡のような商売には絶対にしたくないし、はたまた、ただ趣味の延長線でやっていますというような、生半可な気持ちでもやりたくはない。
ビスマスを売って儲けることをゴールとする商売ではなく、ビスマスを売ること、広がっていくこと、1つ1つが全て、大きなゴールへのプロセスとして捉えられるような商売をしたい。
抽象的すぎて、何を言っているのかさっぱりかもしれません。
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「大きなゴール」とは。
僕は、この6年間で色々な人間を見てきました。
無知で騙される学生から、やる気だけあってお金だけ溶かしていく男性。
この世では生きる自信を持てずに、この世を去った友人。
全くの無気力で、24時間の全てを自分の意思で生きていないような人たち。
何事も「自分の蒔いた種だろう」と自己責任で語られる今の社会ですが、私は全くそうは思えません。
自分らしくイキイキと生きていられないのは、決して自分だけのせいではなく、現代社会の風潮や、「普通」という猛毒の蔓延、行き過ぎた資本主義など、外的なさまざまな要因が引き起こしたエラーなんだと思わざるを得ません。
本来、もっとのびのびと、その人らしく自由に生きる権利があるはずなのに、制度上は全く束縛なんかないはずなのに、
実際、自分で縄に縛られているが如く、空虚な人生を送っている人が大量に存在するのです。
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さて、ビスマスとそろそろ繋げるのでご辛抱ください。
ビスマス結晶は、たまたま、そのポテンシャルから、
「同じ色形の結晶は2つとしてなく、どの結晶にもその結晶なりの魅力」があります。
それはまるで、1人として同じ人間はおらず、どの人間にもその人なりの魅力があることと重なります。
私は、ここ最近ずっと漠然と、
”人生つまらなさそうな人”、”残りの寿命を消化しているだけの人”、”我を忘れて、命を割いてでも没頭したいと思えるようなものが見つからない人”に、
何か今までの経験からできることはないだろうか…
ということを考えていました。
でも、そんなことを無名の人間がダイレクトに伝えたところで、怪しい信仰宗教の如く、全く聞く耳持ってもらえないのが関の山でしょう。
そんな思いに、ビスマスの類稀なるその特徴が合致したように思ったのです。
こじつけとも、綺麗事ともとられるかもしれません。
しかし、私にとってビスマスを売ることはプロセスでしかない。
ビスマスを売ることを通して、その漠然と抱いていた夢への糸口が、光明が少しだけ見えたのです。
いや、光明が見えたように錯覚してしまったから、もう歩みを止めることができなくなった、と表現した方が正確かもしれません。
現在、ショップページのキャッチコピーを
「人生に没頭を。」
としてあるのは、そこに集約されます。
別にビスマス単体で見ても綺麗とも思わない、むしろ気持ち悪いとさえ思う、そんな人もいるでしょう。
そういう人にも、もしかしたら本当のゴールを伝える入り口になるかもしれないじゃないですか。
普通届かなさそうな人たちにも、届くかもしれないじゃないですか。
こんな主張が戯言として終わるのか否か、私にはわかりませんが、
とにかく、私たちのプロセスを一歩一歩進めることに、私たちは没頭してみたいと思います。
私たち自身が事実、ビスマスのおかげで、人生の輝きを取り戻しつつあるのですから。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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