競馬とプロレス (私の立ち位置)
競馬は面白い。
この今、馬に人が乗り、その馬で勝敗を付ける競争。
非現実な事が競馬場で行われている。しかもほぼ毎日、全国どこかで。
平均して480㎏を越える馬が走る
ただの馬ではなく、サラブレッドと言われる、
『プログラム』されトレーニングを受け鍛えられた存在。
それらが厳密な『ルール』によって競われている。
基本、勝ち抜け戦で毎日競争が組まれていく。点ではなく、線として引退するまで走り続ける。
サラブレッドは『プログラム』されている。個性を持たす為に。
個性に魅せられた時、競馬は点の賭博ではなくなり線を持ったドラマとして見えてくる。
私の競馬は線としての非現実を予感し楽しんでいる。
プロレスと同じ視点なのだ。
鍛えられた人間がルール下で、競い合う。
個性を持ったレスラーとなり、リングの上で、点ではなく、線となっているタイトルマッチへ向けて。
個性に魅せられてしまったレスラーを追わない訳にはいられなくなる。
視点は一緒だと気がついた。
点ではなく線という事。
今日負けても明日があるのだ。
点で競馬を見る、線(未来)を見ていないので、勝ってもらわなければ見ていて楽しくない。
それが馬券という賭博に参加するという事。
競馬は点ではなく線なので、負けても明日がある。競馬は続く。続くから負けても勝っても輝くのだ。
線である興行なので、ルールがいる。それも厳密な。
プロレスは八百長?ガチの勝負?
いや中間位置にいる。曖昧な位置だ。それを個性に魅力されたレスラーを見るのがプロレスだ。
真剣な勝負だ。
競馬もそう見るべきなのだ、負けても明日がある。勝っても明日がある。
八百長、ガチの中間で、魅力された個性を楽しめばいい。
実際、厳密な『ルール』で競馬も今日も明日も行われている。