走り続けてきてくれて、ありがとう─SideM10thによせて
アイドルマスターSideMさん この度は10周年、おめでとうございます。
そして、生まれてきてくれて、ありがとう。
SideMを好きになってから日々の生活が楽しくて仕方ないです。生かされていただいております。
本当に嬉しくて、楽しくて、はしゃいでるので、少し文章を書きました。 感謝と祝福の文です。
SideMの大好きなところ
むやみに傷に触れない優しさ
SideMの好きなところを話すならば、まずは
『他人の過去の傷をむやみやたらに掘り起こさないところ』と言うだろう。
優しいのだ。とても。
人の傷を無理に抉らない。暴かない。
本人に打ち明ける準備ができるまではそっとしておいてくれる。
放置とは別の、『配慮』という慎ましい優しさがある。
そして、いざ本人の覚悟が決まったら、暖かく受け入れてくれる。まるで『ずっとこのときを待っていましたよ』と言わんばかりの、広い優しさで。
受け入れる優しさを備えながら、その優しさを振りかざしたりはしないところに心遣いを感じる。
そんな、『そっとしておく』という一種の温もりのある優しさを描いてるところが好きだ。
とにかく前向きなところ
そして、みんなが前向きなところが大好きだ。
彼らは前職を辞めたり、これまで暮らしていた環境を変えたというのに、真面目に目の前のアイドルの道を歩んでいる。先へ先へと進んでいく。
315プロダクションにいる人は皆、未来に向けて既に1歩踏み出すことの出来る勇気を持っているのだ。
私が心から尊敬している渡辺みのりさんのソロ曲にこんな歌詞がある。
過去に囚われずに夢を見続け、理想を追う強さ。
前に1歩踏み出す勇気。
正にSideMのアイドルたちの生き方を表現した歌詞だと思った。
もう1つ、渡辺みのりさんの話をする。
彼は元不良であり、その上幼い頃に両親を亡くし、育ててくれた叔父さんも不良時代の敵(と思われる)に殺されてしまい、ひとりぼっちになってしまった壮絶な過去を持っている。
みのりは不良だった頃の自分をあまり人に知られたくないらしく、Beitのメンバーであるピエールや恭二にさえも過去を打ち明けることをしていない。それほどまでに、みのりの中で不良だった頃の自分は大きな傷となっているのだろう。
しかし、みのりは無意識に、ふとした瞬間に不良だった頃のギラついた一面を見せる。屈んだ時にはヤンキー座りになってしまうし、スイカ割りでは大地が割れんばかりのパワーを見せる。普段の穏やかな顔からは想像できないような熱が籠っており、たまに見せるその顔もギャップとして人気がある。
そう、『過去の傷』も渡辺みのりさんの良さの1つとして愛されているのだ。
傷が魅力になったのは今のみのりがアイドルとして理想の姿で輝けているから。みのりが夢を見て、前に進み続けたから。
今のみのりが、過去のみのりを救ったのだ。
こんな渡辺みのりさんの生き様はSideMを象徴するようだと思う。
SideMの示す生き方
『進み続けることが、きっと希望に変わる。』
『未来が過去を救済し、過去が今をより輝かせる。』
私はこんな生き方をSideMから学んだ。
進み続けてきてくれて、ありがとう。
アイドルも、SideMというコンテンツそのものも、ここまで歩んできてくれてありがとう。と心の底から言いたい。
私はサブスク解禁時からようやくSideMを知り、その後から好きになった超絶新参者だ。10周年もの歴史のなかで、ほんの10分の1くらいしか共に歩むことができていない。『もっと早く好きになっていればよかった』と何度も、何度も思った。
でも、あのタイミングだからこそ、私はSideMにハマることができたのだと思うのである。あの時の私にぴったりと寄り添ってくれたのはSideMだったから。他のものでは決してダメだったから。ちょうどぴったりとSideMと私の輪郭が合わさるのはあの時期しかなかっただろう。
だから私は後悔する以上に、『出会えた日まで、走り続けてきてくれて本当にありがとう』と感謝の言葉を述べたい。
SideMが前に進み続けてきてくれたから、私は今こんなにも、うきうきでわくわくでキラキラな日々を過ごすことができてるよ。
これはきっと偶然だし、運命だ。
これからを、共に進んでいこう
巡り会えた感謝を胸に、これからのSideMの軌跡を、私も隣で一緒に歩んでいきたいと思う。
10周年に感謝と祝福をこめて