価値観・心・体の偏りとゆがみ
心と体にいいこと #051
今さら言うまでもなく、
私たちの思考や価値観には、
偏りがあります。
そこには、「自己実現のために」
「生計を立てるために」など、
様々な前提条件も関わってきます。
私が高校生の時、
(おぉ 今から50年くらい前だ!)
化学担当の先生からのひと言・・。
「人は何も分かっちゃいない。
特に自分のことは分かっていない」
多くの人々は、自分の考えが
最も「常識的なはず」、
「常識に近いはず」と
思っています。
まぁ~最近では、「自分は違う」と
強く主張する人もいますが・・。
ですから、会話の中ではよく
「普通はこうするでしょ」とか
「一般的には・・」といった
言葉が発せられます。
しかし、当時の自分には、
「常識とは何ぞや」といった
探究心はありませんでした。
こんなことは「普通のこと」、
よくあることなんだから、
「みんな同じように考えるはず!」。
自分でも、これくらいのことを
考えられるんだから、みんなも同じ、
あるいは同じような結論に
行きつくはず!というものです。
当時の先生が言うには、
それが思い込み、先入観であり、
行き違いにつながるんだよ・・。
しかも、自分の考えも変化し、
気づかないうちに
都合よく変えていく。
それが自覚できないんだよ・・。
そんな話だったと記憶しています。
今の若い方たちには
信じていただけないかと
思いますが、
いつも二日酔い気味で、
近づくと酒臭さのある
老先生でした。
とはいっても、当時で多分50代?
自分の親よりは年上かな?
という印象でしたね。
その後、私が会社勤めをして
数年後の社員研修でも、
似た話を聞きました。
「自分の常識は
他人にとっては非常識」
この言葉、実はよく、
聞かれますよね。
せっかくこうした素敵な話を
聞くことができていたのに、
20代の頃の私は、
連日怒りモード炸裂。
思うように進まないのは、
全て相手のせい!
相手の理解力・判断力・指導力・
考え方、先見性など
全てがおかしい。
なんで分かってくれない、
なんでこんなことが通じない?
そんな風に思っていたのは、
若いから?それが若さ?
いえいえ、ひと言でいうなら、
私が傲慢だったんですねぇ。
当たり前の話なんですが、
自分の価値観には
常に偏りがあります。
自分が見聞きしてきたことが、
価値観を形成するのですから。
そして、
私たちが「心」と称するものも
潜在か健在かを問わず、
自分の価値観や思考に
左右されるものなのですから、
当然に偏りがあります。
価値観や心に偏りがあると、
全体を見渡すことが
難しくなります。
全体が見えていないのですから、
その本質を見極めることも
とても困難なこととなります。
あ~だ、こ~だと想像し、
憶測し、邪推し、先走って悩みます。
そうして心はどんどん
疲弊していきます。
心が疲弊していきますと、
心と身体は一体のものですから、
身体のゆがみへとつながります。
心の偏りや身体のゆがみ・・・。
これは、実は、
自分のエゴ(嫌な面)を
自覚するための
通り道なのでしょう。
周りの人への好き嫌いを
強く感じるときや、
自分や周りの人の短所が
とっても気になるときは、
自分の価値観や執着心に
縛られているとき、
ということです。
そんなメッセージが自分に向けて
送られてきているのです。
宇宙から?神々から?
いえいえ・・自分の奥底から・・。