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散骨屋後日談5章

栗原優子さんの場合( Hawaii・Oahu )

栗原優子さんのご主人勇二さん59歳、優子さんより4歳年上で、
二人は東京の下町で生まれ、同じ町内で育った。
4歳離れていれば同じ町内に住むといっても、
隣近所でもない限り小さい頃を覚えているわけでなく、
たしかに同じ公立の小学校、中学を卒業したのだが、
二人が成年するまでお互い何の面識も無かった。

二人が始めてあったのは、勇二さんが関東大学対抗ヨット大会で
優勝し、その記念のパーティーでだった。
チームメイトに紹介され、話していくうちに、
中学校の話から同じ町内に住むことがわかり、
それからは初対面の堅苦しさも打ち解け、
まるで旧友に会ったように二人の仲は近づいた。

もっとも、勇二さんは全身スポーツマンで、屈託の無い
性格もさることながら、年間145日にも及ぶヨット練習の
賜物の日焼けと白い歯は優子さんだけでなく誰をも魅了した。

年間半分のヨットの練習は卒業を危うくしたけれども、
その頃は教授回りをし、如何に授業以外のところで頑張ったかを
説明し理解してもらえれば単位をもらえる良き時代だったので、
ここでも、日焼けと白い歯は効果を発揮した。

しかし、こと就職となるとそう甘いものでなく、いつも、
面接では良い点を取るのだけど筆記試験では無残な結果が続いた。
その頃には優子さんとは毎日のように会い、就職試験用に
お弁当まで作ってもらったのにその甲斐も無く、
結局はお父さんの経営していた鉄工所で働く事となった。

いったんは落ち着いたものの、初めは日曜日だけだった後輩の
指導と称するヨットレースはその後、数も増え、
鳥羽レース、沖縄レースと規模も大きくなっていき、
鉄工所には迷惑かけるけれども、留まる事は無かった。

優子さんが29歳の時に遅まきの結婚式を挙げたが、
結婚式の当日も、参加した沖縄レースが台風による影響を受け、
東京に戻る飛行機が欠航になり、あやうく優子さん一人での
式になりそうだった。

新婚旅行にはハワイを選んだ。
こんなにも二人で一緒にいられる時間は初めてだったが、
勇二さんは海を見てソワソワしていた。

ヨットレースの見学ほど面白くないものは無い。
見る人は、陸から見るしか方法は無く、沖でブイを回って行く
ヨットを見ていても何の感激も沸かない。
選手たちの激烈な動きと一瞬の風の動きを予感して操船する
スキッパーの表情など見える訳でもない。

優子さんも何度かヨットレースに誘われ陸から見ることがあったが、
最近は一人で見る事も無くなり、一緒に行く時でも
絵を書いているか、読書している時間が多くなった。

それから数年して娘さんを授かったが、出産の時にも勇二さんは、
ハワイレースの途中レース主催者から定時連絡で教えて
もらったようなありさま。

そして、そのとき娘に「海」と名付けた。ハワイでも
「KAI」は海を意味しているからだ。
優子さんは、まるで一人親のように海ちゃんを育て、
海ちゃんはすくすくと真直ぐに育った。

その頃には勇二さんは日本でも知られたスキッパーとして、
ヨット国際協会の幹事を務めるようにもなっていた。

ヨットレース競技に参加する選手は決して観光目的にヨットには乗らない。
一秒を争い競い合い帆走するのが楽しみらしく、
家族や友達を乗せてゆったり走るなどお金をかけない
麻雀のようだという。
でも、子育てからなにまで全てを優子さん任せにした負い目なのか、
海ちゃんの高校卒業記念に家族でハワイまでヨットで行こうと
提案し、優子さんに無視された。

邪険にされても、勇二さんはヨットを中心とした愛妻謝恩企画の
体裁を変え提案してきたが、その度に優子さんはそれこそ
優しい笑みで見ているだけで「YES」の言葉は聞けなかった。

この頃では鉄工所の経営もうまく行き、協会の幹事として翌年に
参加を表明した、アメリカンカップの視察にも行ったが、
レースに出るほどの年齢ではなかった。
全てが順風満帆で、家族を和やかな空気が漲っていた。
何よりも海ちゃんに許婚が出来、来年の春には結婚式を
挙げることが決まっていた。

海ちゃんはヨットマンを相手に選ばず、サッカーが趣味だと言う、
陸の上で生活する若者を許婚に選んだ。
小さい時から母親の姿を見ていたからかもしれない。
そんな順風は一瞬の内に逆風となり逆巻く波は安泰だった家庭を翻弄した。
優子さんに病魔が襲いかかったのだ。
乳がんで、それも他に転移している兆候があった。
結婚式の延期を勧める許婚の申し出を断り、是非自分の娘の
結婚式を見たいという言葉に反論を差し挟める者はいない。

四月初旬の結婚式は日程通りに行われ、優子さんは車椅子での
出席だったが、十二分に親の責任を果たした。
新婦の持ったブーケと腕を彩るマダガスカルジャスミンのハクレイは
優子さんがベッドの上で作ったものだった。
そして2ヵ月後、優子さんは逝ってしまった。
私のホームページを通じて問合せのメールが入ったのは
その年の10月だった。

はじめまして、来年の6月13日が妻の命日なのですが、
ハワイ・オアフで散骨を行いたいのですが、
参列者が10人程度ですが、出来るだけ大きな ヨットを
お借りする事は出来ないでしょうか?
また、私自身が操船したい のですが可能でしょうか?

通常、問合せによる予約は2ヶ月前から半年前が多い。
8ヶ月前の問合せは少ないが、栗原さんは自分で操船したいので、
捜すのに時間がかかるだろうと早めに連絡したかったようだ。

栗原勇二様

お問合せいただき有難うございます。

6月13日にオアフでの自然葬ですね。今仮押さえの
出来る船は、TANN AYA51フィートのスループですが、
如何でしょう?
10人程度でしたら十分快適にご乗船いただけます。
また船長のアレックスは、世界一周のレースにも3回出場したベテランで、
当然アメリカ合衆国沿岸警備隊が承認するUSCG船長免許を持ち、
船もアメリカ船舶局の安全基準検査の合格船です。
これでよろしければ仮押さえをして、散骨の申し込み契約書への署名、
費用のお振込みを頂いた時点で、本押さえとして予約いたします。
ただ栗原様がご自身で操船する事は、船長が乗船していれば可能
ですが、お客様も乗船されるので保険の事も有りますので船だけ
のチャーターはできませんまた、散骨にはCRDライセンス
が必要でこれが無いと、$5000の罰金、1年以下の懲役となります。
その為、この船をチャーターし、船長にご事情を
説明しますが如何でしょうか?
B.HORIZON


次の日には栗原さんから長文のメールを受け取った。
それには、今まで自分の趣味の域を越えたヨットに対する情熱で、
優子さんにかけた迷惑に対して、どうしても自分の心に描く
謝罪を込めた自然葬の式にしたい事。
そして、新婚旅行で行ったハワイに優子さんがもう一度
行きたがっていたのに、自分がヨットで行こうと言ったせいで、
いつも取り止めになってしまった事などが面々と綴られていた。
そして最期に船長が世界一周も数回しているヨットマンで
あることに強く仲間意識を感じ、興味を抱いたようだった。
私はアレックス船長に事細かに伝え、彼の反応を待った。
アレックスは栗原さんと同じような人生を歩み、同じように
奥さんに迷惑をかけ、今もまだ迷惑をかけつづけていると笑い、
栗原さんに特別の許可を出してくれた。
海の仲間たちに国境は無く、気持ちも同じなようだ。
アレックスの船を使う事は決まったものの、式でかける音楽の選曲、
出航してからの航路、イルカや鯨が見れるか場所等など、
詳細にわたる質問や受け答えは十数回にわたり、式の日は
あっという間に来てしまった。

栗原さんご夫婦共通の親友やヨット仲間たち、ご親戚そして、
まだ新婚の海さんご夫妻、合計10名と私、船長・クルーが乗り込み
船は出港した。

栗原さんにとっては初めてと言っていいレースではないヨッティングだった。
湾内はアレクッスが操船したが、小さな湾を出ると、アレックスが
栗原さんを呼び、これからは貴方が船長だと舵輪を渡した。

季節が少し早かったのか鯨を見ることは出来なかったものの、
イルカの親子が併走し、皆を和ませてくれもした。
後は栗原さんの計画したとおりの航路を快走し、風の影響を受けない
島影に船を止め、700ヤードほど岸から離れたそこは波も舷側を
ピタピタ小さく打つだけで、うねりもなかった。

式を始めた。
栗原さんは乗船する皆さんへの謝意のあと、意外な事を話し始め、
実は今日の自然葬は優子さんが望んだもので、入院して数日目かに
自分の病状を知った優子さんは二人きりの病室で「もしもの場合は
今まで見た海の中で一番きれいなハワイに私を撒いてください。
これから誰もレース中の貴方を見る人がいないのでは、
寂しいだろうから、今までは陸からレースを見てきたけれど、
これからはいつでも側で見ていられるようにね」
話をしている栗原さんも空を見上げ、涙がこぼれないように必死だった。
通訳する私もアレックスも泣いた。
そして、「今、優子を散骨する同じ場所に、時がきたら私も
散骨してください」と締めくくった。
続いて、船長・ヨットマン仲間としのアレックスのスピーチは
声にならなかったが「私が生きている限り貴方を奥さんと同じ場所に
お送りします。」と誓ったのだけが聞こえ、
霧笛の連吹は晴天の海に物悲しく響いて流れていった。
「西経xx。北緯xx」クルーまでが涙声で現在位置を読み上げた。
散骨屋になってよかったと思っている。
多くの人生を垣間見、そしてそこに大きな愛を見る。
訥々と愛を語る人、雄弁に愛を語る人、愛の表現はそれぞれに違うが、
愛の大きさは無限だ。
大海原で地球の鼓動とも言うべき波の流れに身を任せたとき人は皆、
生まれたばかりの心を持てる。
しきたりや慣習にとらわれる事が無く自然に心を開く。

葬式の大きさで葬式の立派さを覚えている人はいるが、自然葬の
場合は式の大小に拘らず、地球対人間の対話をし、
その人となりを心に深く刻み込む。

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