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 散骨屋後日談8章

老人よ大志を抱け、孤独老人医師安部さんの場合

安部さんは東北の国立大学の医学部を卒業し、東京の大学系の病院で勤務、
長い間を医師として働いて来ていた。
ある時、私にメールが届き、生前予約をしたいと言われた。それまで散骨の生前予約は受け付けていないのでこの時も断った。
大体散骨は愛する人に囲まれ、みんなに最期の挨拶で、送られることが普通なのに、散骨屋にその大事な役をさせるような家族は許せないというのが私が拒否する理由だ。安部さんは結婚したものの、すぐに離婚ししたという、子供もいなかった。
それになんと安部さんは私より5歳も若い、わたしのほうが先に逝き約束実行できないかもしれないし、
何となく前払いで受け取るのも嫌な感じがした。
安部さんは、私は医者なので、亡くなるのはどうにもできるのですと、怖い事も言う。
分りました、兎に角お受けするかどうかは再考させと下さいと。その日は結論は出さなかった。
そのまま置いてあったのだが、メールで催促があった、その時私用でロスから東京に行く時お逢いしましょうと約束した。
さて初対面は、おじさんの好きな街、新橋駅前、それでは食事には早いけど、おじさんには飲み始める時間制限もないという事で居酒屋になり、囲炉裏を挟んでの話となった。
挨拶もそこそこに、なぜか、日本の医学界それも大学系医学部の不平不満が始まり、
それが終わると、結婚生活、人生の不平不満・・・・・・・・
そこそこ不満だらけの話が終わると陽も落ちていた。
医師の先生は、良い生活をして一生笑って暮らしていくのかと思っていたが、
余りの勢いだったのと、酒を飲んでいる時には面白い話をする派だった私は、余り快適ではなかったので、初対面を顧みず,安部さん不平不満ばかりじゃ面白くありませんよと、正直に言った。
安部さんはハッと気づき、一瞬目を下げた。この辺は医師の先生らしいと思う。
それでは散骨の話をしましょう、何処で散骨をされたいんですかと話を向けると、
グランドキャニオン なんです、そこで散骨してコロラド川を南下して、それからカリフォルニア湾に出てバハカルフォルニアを回り太平洋に出てここから世界一周をしたいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言葉が出ない。
安部さんの目標はどこかで散骨するよりも、そこからの旅世界一周が目的だった。不満の総決算らしい目的
でもこの老人は、老人らしくない、大志を抱いている。それも自分の死後に。
これだけ壮大な目的を描けるなんて、並の人間に出来る事ではない、やるべきだ。その手伝いは何が何でもしてあげようと私は即決した、それやらせてください。その夢の実現を。グランドキャニオンからカリフォルニア湾に出るだけでも数千キロ、そのあとは世界一周。
これだけの長距離目的だから、時間はかかるが、ざっと千年の時間が必要だ。これを実行したらこの人から二度と不平不満が口から出ることはないない、やってやろうじゃないかと心に誓った。
話はついたが帰り道の二人の老人はつまずいて転んだり道は長かったがそれぞれに無事に帰宅した。
それから安部さんは、弁護士と相談、配偶者、家族がいないため、後見人に弁護士を立てたり、法律面を準備し、私は、ルートを調べたりして、グランドキャニオンに散骨すると、ラスベガスに電気を供給しているフーバーダムが邪魔になるため、すぐ下のミード湖への散骨とした。それを安部さんに連絡。ミード湖はそれほど大きな湖ではないが、ハーバー施設もあり書ぬなどのレンタルもあるような所で、安部さんも気に入ったようだ。
安部さんが亡くなれば弁護士が連絡するという準備は整った。契約書のサインを終えたのは2010年の7月だった。
安部さんは弁護士に公正証書を制作してもらい後見人にその弁護士を指定した。
公正証書は役場に届け生存している日迄、弁護士には後見人としての費用を払い続けなくてはならない。散骨の実行は勿論、費用支払い後には残額全額を、ユニセフに寄付としてあった。自宅はマンションであったので、その事後処理をして売却後清算する迄が弁護士への依頼内容だった。
 
弁護士からの通知は10年後に有った。2020年7月。事務的な通知でしか無いのはしょうがないが、私はそれでは安部さんは早く世界一周の旅に出たいでしょうから、早くお遺骨を米国ロスまでお送りくださいと依頼した。
それから数か月連絡は途絶えていたので、こちらから連絡すると、
どこの配送会社に聞いても送れませんと断られましたと言う。・・・・・?
少し疑惑を覚えたが、それでは私が探してみますと電話を切った。
なぜか各社とも、企業対企業間の場合は輸送は可能だけど、個人間の輸送は
不可との事で遺体の輸送をしているところに連絡をすると可であるが、費用が異常にかさんだ。
無駄な出費は安部さんは好まないだろうと、意を決して弁護士に私自身が受け取りに東京まで行きましょうと言うと、それでは見積書を出してくださいとの事、早く進めるにはこれもしょうがない、なんせ旅立ち優先なのだし、後見人の弁護士が全権を持っているのだから、見積書を提出すると、東京に泊まるのは1日だけにしてくださいと言う。
まあ弁護士としてはロス東京間を日帰りにさせたいのであろう。
ここまで、1年半かかっているのでしぶしぶ承諾し、事を勧めたい。
ここまでくると弁護士不信も顕著になり、どうしたら残額満額がユニセフに無事送金されるのかを見てみたいという感情が湧いて出てきた。
 
閑話休題
お遺骨をロスに受け入れたのは2022年2月
税関その他も何もなく無事通過、自宅に客人として遇した。
その週末には空港からラスベガスにむかい1泊した。さすがにギャンブルはご法度である。心に銘じた。
さて次の朝は砂漠地帯だけに雲ひとつない散骨日和であり
ホテルからのドライブも順調で1時間半ほどで到着。円光を書いているのが
昼前程には散骨を終了した。事後の事もあり証拠写真も写し、
無事作業を完了,安部さんは航海に旅立った。
この原稿を書いているのが2024年10月。2年以上経過したが、
最近の天気の状態は雨が少なく、現在の安部さんの航海の状態が分からないだけに、少し心配であるが、気楽な一人旅だし、例え千年が2千年になろうとも安部さんにとっては何の問題になるわけでもない。
ただ、私にとってはあの弁護士がちゃんとユニセフへの寄付を終えている事の方が心配なのである。


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