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散骨屋後日談の後日談

何かと問題のある墓問題、長年の経験で改良。

散骨屋、それも25年以上営業してきたので、お陰様で500件に近い方とのお知り合いを得た。
始めたころは、散骨が何なのか知らない人も多く、当然日本国内で散骨会社はまだなく、最初の1年には実績は0件だった。
知られていない業務なのだから仕方ない。
仕事が無いのでそのおかげで、どういう散骨内容にするか特徴を考える時間は豊富に取れた。
特徴は今までの葬儀への挑戦になる訳だし、こういう事が葬式で可能なのかという事が、魅力に感じられるような御式にしなければならない。
ただ安くできる、お墓を作らなくても良いだけでは望む方はいないだろう。そこでアメリカ、それも主にハワイで式を行うのだから、アメリカでの散骨のお式の運営法を研究した。
それには日本とアメリカでの相違を考えていくのが早道だと考えた。
米国では最近では、焼骨し、お遺骨を埋葬するところも多くなったが、ご遺体そのものを棺に入れ埋葬するするのが基本であり、これは墓地に取れる土地の広さが日本と違うのが理由だと思われるが、それと長い間の歴史のある方法だからだろう、
田舎での葬送方法はあまり変わらないようである。
しかし、都市部ではお墓の場所がないのでどうしても散骨などが増えてくる、それでも15%程度らしい。
日本では焼骨が普通であるので、どうしてもお遺骨に対する葬送方法が中心となっている。お遺骨をどういう形にするか、
通常のお墓または樹木葬、合祀にするか、散骨にするかを決めるかが多い。
米国では信仰していた方の葬式だけを執り行う。
通夜だ、告別式だ、年ごとの法事などが無いので、葬式だけを執り行うのが普通だ。意外に単純だ。
私は宗教家ではないので詳細はわからないが、
反して、日本の場合には、今、宗教家がしていることは何なのか説明もないし、参列した方は立ったり座ったりお経を唱えさせられたり事を理解しないまま、お式が進行していく。葬儀屋さんがこれは何ですと、次はこうしますとか教えてくれないと何をしているのか皆目見当がつかない。
普通の一般人には宗教家の言葉を理解しないから、経験を積めば何とかなるがどなたかがなくなるという経験は出来れば積みたくない。
これでは、宗教家との距離が離れて行くし理解も進まない。
だから、日本の場合は葬式に特化した宗教家との関係となってしまったのかな?
反論を恐れずに、明快に言い直すと、宗教家は葬式屋さんになっているのではないか?
そうして、葬儀屋さんは代理店なのだと思うとわかり易い。
葬儀屋さんは何の説明もしないお寺さん・葬式屋さんである宗教家の代わりに皆さんには理解できない言葉やお式進行を通訳要約して手数料を取る。
私は昔広告代理店に勤務していたが、代理店が中に入ればものは高くなる。広告の場合は15%高くなるのが普通。商店と製造会社との間に問屋さんが中に入れば消費者に渡るまでにその売価は高くなる、
だから最近では問屋さんがなくなっている、葬儀葬式にも問屋さんまたは代理店外しが必要だ。そうすれば少しでも費用が少なくなる。
製造会社から販売店直通が必要だと思う。
難解な様式、宗教言葉、流儀その他。色々な謎で包まれた社会、一般人が入れない社会だった。では、何でそれが必要だったのか?
昔、宗教家に戒名はなぜ必要なのですかと聞いたことがある。無知だから聞いたのだったが、その答えは、あの世では俗名で呼んでも聞こえないのです、だった。
わかり易く説明しようとしたのかもしれないが、また謎が増えていまった。
こういう謎は無くせば?そうなのである簡単にいらないものを無くせばいいのだ、此処はアメリカ、ハワイでの開業には不必要なものはいらない。
アメリカ人の散骨はと研究を進めたが、きめごともなく皆それぞれにワインを飲んだり楽しく式を進行させている。
日本ではお遺骨を粉状にするとか、陸より3マイル以上に撒くとか、法律にも市条例にもない事が、何処からかまかり通ってくる、
噂というものだ中傷にも似たものでどこからか流れてくる。
これは散骨が評判良く実行されたら困る者の仕業? 
これで方向が決まった。

3つのポイント
☆宗教には関係なく。宗教のない葬送を目指す。
☆ご遺族と故人の思いを出来る限りそのままに。私はそのアイデイアを提案する役に徹する。
☆粉状にする事など、必要のない事は勧めないし費用当然とらない。
しかし太平洋の波に酔う船酔いを避けるため、そして大事な日には欠かせないように、出来るだけ大型双胴船の使用する事。
これらを基本とすることに決めた。
これはお遺族と故人が望む方向に沿ったものだし、それから20年クレームを受けたことはただの一度もなかったた
それ所か、数回のリピーター、つまりリピート法事も数々された程であった。
起業し立ての頃、ふんだんにある仕事の無い時に考えた事は有意義だった。
そして仕事が順調になった頃コロナ時代に突入。
神様はまた暇な時間をくれた。
この1年間もご依頼客はゼロ。
 この頃はご遺族にも信任されていたし、散骨はいい葬送だと確信したが、
まだ散骨をはじめ、他の葬送の足りない点、不満ある点が指摘された。
それならば、望まない点を解消し、それをグレードアップしようと真摯に考え始めた。要約すれば、お墓を持つ、樹木葬、散骨、合祀などの葬送のそれぞれの問題点を上げると、
★今行われている故人を御偲ぶ葬送の方法だとどうしても遠くになっていまい、墓参りなどが特別の事となってしまう。もっと故人に寄り添ってはどうか?
★墓守の問題。子や孫に墓守を任せていく事はなかなか容易ではない。
★宗教に帰依していないのに宗教との関係,言ってみれば宗教を信じていないのに宗教に全てを任せ、
自分では何もしないでよいものだろうか?
 
最期には、どの葬送方法も高額である点である。これはただ安くするのではなく、最適で意味のある費用としなくてはならない。
 
それらを解決することができるのかしらん?
それがあったのである。コロナが長い休暇時間をくれ、考える時間をくれた。
そこで散骨屋は、営業を廃止して、そちらに取り込むことにした。
 
それが手元葬のはじまりだ。詳しい事は次号で述べて散骨屋の後日談の締めとしたい。


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