
飛んだ散骨屋!
序章
私は散骨屋である。
それも、ハワイや米国西海岸で営む、散骨屋を天職と思い込み、四六時中散骨を考える、熱狂的(?)散骨屋なのである。
今からほぼ18年前、ハワイと米国西海岸をメインとして開業した当時、日本では散骨という言葉も知られてなかった、そればかりか、辞書にも載っていないありさまだった。
そうして散骨を、どういう風に行うかなどは、知っている人などいなかったのだ。
現在では散骨の意味する言葉で、故人の御遺骨を山や、海に撒くと言う、いわば方法論だけは知られているが、この葬送の御式がどう執り行われるのかを知っている人まだまだ少ない。
それもそのはずで、散骨屋によって百人百様の執り行い方があり、節度を持って執り行うという自主規制だけが、唯一の縛りだ。
節度とは各人各様の考え方、こんなにユルイ自主規制では将来には問題点が多発し、遺族との争いは絶えることは無く、葬送方法として、折角好評な散骨の先行きは御先真っ暗というものだろう。
散骨屋さんは葬送の式のコーディネイター、ディレクターはたまたプロデュサーでしかない。
何のライセンスも資格もいらない職業だと知ったら、心配が増すっていうもんだ。
あなたが興味を持つならば今日から散骨屋ですと自称し営業もできる。
日本では法律もないし、ユルイし年齢制限も何にもない。
有るのは、漁業権で禁止されるカモ。
墓埋法で規制されるカモ。
と言うカモカモがグレーの雰囲気で包んでいる。
こんなに世界的にも散骨が受け入れられてきているのに、日本では節度をもってやればいいとしか認知されないのでは、数年後にもし禁止となったら、散骨された人の想いは計り知れないのでは。
海外、特に米国ではほぼ各州で散骨の法律、規制、届け出などが決められている為、後になって散骨は駄目よと言う事はない。
それで米国ハワイがメインでの散骨業プロデューサーを開業したわけだが、
日本人に向けての営業を始めてみると、まあ、散骨を知っている人が少ないのだから、
亡くなった家族をハワイにまで連れて行って、散骨しようなどという、
いくらハワイ好きな人は多いと言え、特異なお客さんなど数えるほどどころか、いなかったのだ。
この話は、実話である。まあ、ほぼ実話である。
実体験版[墓仕舞い、お先祖様全員集合・ハワイ散骨でGO!!!]
とでも言うべき実話である。
特に、GOは必要ないと言えば無いのだが、一種の景気付けだ。
そして、それが、将来の常識や、定番となるのも、もう直ぐだと考えている。
それを先取りし、解説するとともに、具体的にどう進めたらいいのかをまとめた
極めて実践的黙示録風マニュアルのつもりなのである。
先祖が眠り100年程が経つ御墓をお寺さんに返し、そして、父や母そしてお先祖様まで
ハワイの紺碧の大海原に散骨しようとする。
結論から物語は始まってしまうが、
今から20年も前に考え始めたのだが、その頃では一般には、折角ある御墓を無くすなんて、非常識と言うか、異常な行動と思えられたし、理解は到底されないと感じた、
私があの世に行ったときには、お先祖さんからひどい仕打ちをされ、何を言われるかわからないし、そんなご先祖様多数が私が来るのを待ち構いていられちゃあ、おいそれと簡単には死ねないぞと、恐れていた。
意を決して、日本のタブーに挑戦って感じで時間を掛けて臨んできたが、
実際に日本の非常識を実行することは意外と全てがスムーズに運び、
最近は各所で受け入れられ、時代の変化がひしひしと感じられた。
何故、自分の時にこんなむづかしい事をしなくてはならないのかとの、逃げたい気持ちも手伝っていたのだけど、こんなにスムーズに行くのであれば、私の死後、多数のご先祖様とお会いして、ご先祖様サイドからの意見を加えた,後日談がまたできればとは思っているのだが。
【何故私は墓仕舞いを決めたか】
所で、最初に私が墓仕舞いを決めた理由をまとめよう。
私はそれまで14年にわたる駐在員を終え、日本に帰るか、アメリカに移住するかを決めなければいけなかった。
子供たち娘2人とも米国内の高校・大学に学び、アメリカ人の様に生活し、最終的には
米国での人生計画を選んだ。
家族全員がアメリカでの暮らしは快適とも言え、残りの人生も、もしうまく働くことが出来、生活に困らずにこのままであれば文句を言う所はない。
しかし、気がかりなのはお先祖様や父母の墓。
そのことが重くのしかかって来た。
先祖の墓がこんなに重いとは。
そして、どうしたら、いいかを考えるのだがいい案がある訳ではないし、
墓仕舞いなんて言葉が有ったの無かったのかのか、知らなかったし誰かと相談することが出来ないので、好きなジャックダニエルを飲みながらの考察は10分もすると眠さが打ち勝つてくる。
眠くなったら,杯だけ重なる。
何はともかく、移住に伴い、家の墓どうなっているか、それをどうしたらよいかを考え始めた。
【改墓・墓仕舞が必要な問題点】
日本国内で改葬または移葬するには,改葬の届が要るが、有る調べでは改墓・墓仕舞いは2012年では79750程度、それが2016年には97300件ほどになって20000件ほどの増加である。
この数だけでは墓の場所をただ単純に移動させた数と、墓を閉めて、散骨など、どう葬送を変えたのかとか、その詳細な内容が分からないが、しかしなんで10年間に100万件に近い多くの数の人が日本で墓を持つことを、変えることが事実としてあるのか?
もしかすると墓を持つことは、重大な問題を孕む事にも通じているのかもしれない。
改葬・移葬などは、なぜ必要なのか?
このポイントは大きく分け6つあると思うが、
1)会社勤務の都合等で祖先の墓から遠い地域に移転して、思うように墓参りができなくない。そのため改墓。
2)墓があるが将来的には、墓の手当てする継承者がいなくなる
見通しなので先祖からの墓に収容されている遺骨を何等か処分したい
3)檀家として、永代供養したので、現実は、費用負担が必要だ。
子供に墓守の苦労や経済的な負担・責任を負わせたくない。
4)現代の宗教は、葬儀の時だけ必要な葬儀宗教となっており、自分は無宗教なので
特定宗教の墓を持ちたくないし、特定の宗教に関係を持ちたくない。
5) 親戚との繋がりが希薄なのに、本家として、法事費用を負担して行くことの矛盾
6)先祖の墓を自分の代で無縁墓地にしたくないので費用も安く済む良い方法がない
か探した。
まとめてみると、
A)移転などにより場所の不便さから。
B)意外に法事や維持費用が永久にかかる。
C)墓を持つことの必然性を感じられない。
D)一般的な墓よりも、他に良い方法がないか?
などが理由に挙げられる。
【私が抱えていた問題点】
自分の抱える理由がどこに
有るのか、分からないので私が抱える問題点を
一般的な先程の6つの問題点に当てはめてみた。
1) 会社勤務の都合等で日本を離れ長年勤務した。これからも移住を続けるので墓参りができなくない。そのための対応。
2)墓があるが将来的には継承者がいなくなる
ので先祖からの墓に収容されている遺骨をなんとかして別の方法で葬りたい。
3)子供に墓守の苦労や経済的な負担・責任を負わせたくない。
4)葬儀の時だけ特定な宗教の力を借りたくない。自分は無宗教なので
特定の宗教に関係を持ちたくない。
6)先祖の墓を無縁墓地にしたくないし、費用も安く済む方法を見つけたい
と、驚く程に前記問題点に的中し、大当たりだったのだ。
5)だけが的の真ん中ではないが、ほとんど当たりだ。
遠い昔であれば、余り新天地への転勤、移動移住もなかったが、
日本と言う農耕民族の末裔は子孫の繁栄を考え、作物の成長を見ながら、その日その日を一定地で暮らしてきた。
だが今や時代は大きく変わり、かって狩猟民族が活躍する地域とは比較にならないほどの広大な地球のすべてのエリアで動き回り生活にも大きな変化を与え、
今までの行動や、考え方、それに常識までも変えてきた。
墓を持つ方たちが何らかの問題を抱え、これからもその数が益々増え続けると予想されるが墓仕舞いして、例えばハワイで散骨するには国外であるから、改葬の届は無用になるし、海外でもほとんどの国は移葬、改葬などの届は必要ないが、移送したい国に個別にあたった方が良いかもしれない。
アメリカでは特に必要ないが、御遺骨の搬入も合法で、届の必要もない。こんな自由さも私がアメリカへの散骨を選んだ理由の一つだった。面白い事に当然かもしれないが死後に遺骨として搬入され、米国内の墓に入る人も出てくるかもしれない。
【墓を持つ悩み】
子供の頃墓参りは、ウナギを食べられる、寿司を食べれるとの同義語で、
何の責任もなくただ親と一緒に墓参りをすればいい時代は、その日だけが、うまい食にありつける希望の日とも言えた。いわばご先祖様感謝デーとも言えた
しかし、今、祭祀継承で家族のお墓をどうするかを考えなきゃいけない
家族・親戚での立場になって事を考えないといけなくなってきた時
感謝デーだと思えていたのは、
父母が、将来これはお前の責任となるから、まあ旨いものでも食べさせるかと、
親が将来わが子に試錬を与えるためだと、旨い話にゃ裏があると分かった。
「ご先祖さん、任せなさい、喜んで!皆さんをお守りしますよ、」
と太っ腹な気持ちがあるとは思えないのが、普通だと思う。
今まで累々と私に至るまで産み出して来てくれた,曽祖父曽祖母、祖父祖母、父母、
への感謝、御祖先達に対する過去三十数代以上にわたる家系の重さ、の「過去」と私から後に繋がる、「将来」いわゆる子供や孫の将来に、祭祀継承者としての苦労、気の重さの軽滅を図ると言う、過去と将来の橋渡し対決になる訳で、出来ればよい方法を探して必要あれば創り出したかったからである。
都内にあるお寺を見ればわかる通り、理由はそれぞれ何年間も訪れる人もない打ち捨てられた墓地が更地に整理された無縁仏、墓地の多さは異常だし、地方に行けばその数はもっと多くなっているだろう。
代々続くお先祖様を自分の代で消滅させたら、
きっと身の毛もよだつことがあの世に行った時に起きそうだ。
【墓を持つ目的って何だろう】
簡単に言えば、墓は亡くなった方を安置する場所であり、最終的には故人を地球に御戻しする所と考える方が圧倒的に多い。
地球に戻る間を長くするか、短くするかの違いであれば、
地球に戻るまでの間どこに、眠る場所をどこに造るかの違いなのだと思う。
石で囲んで、その時を待つか、樹木の根に撒くのか、海に撒くのかだけの違い、
地球に戻すために墓石で囲う必要があるのか、早く戻すためにはもっといい方法があるのではと、いろいろな考え方もあるが、このあたりを宗教的に考えるか、はたまた個人的に考えるかであるとしたら、
墓を持つとこれからどういう問題が生じてくるかを予想してみれば良いだけなのかもしれない。それにより問題点を回避すればよいか、問題が生じてもそれが想定内で許容範囲と考えられれば、今までの様に墳墓や墓石を持てばいい。
もし、墓などいらない言う強い意志を持つならば、
火葬の後、遺灰を処分してもらうことは出来る、処分してくださいと御願いすればよいだけと聞いた、遺灰を持ち帰らなければ良いと言う。
人間として何十年間精いっぱい生きて来たのに、ゴミとして廃棄されるのも止むを得ないと考えられる方はそれでも良い。
ごみ処理か・・・・・と私は考えるけど、考え方の違いは人それぞれで、そういう方法も有る事も一応は知らなければならない。
いくら高価で大きなお墓を作っても、そこに訪れる事もなかったり、ただ海へ闇雲に
御遺骨を撒くだけでは、違う形のゴミの廃棄と言われてもしょうがない。
それぞれにご自分の持つ問題点に沿って一つずつ解決していけばいいことで、常識が変わる現在、何が正で何が悪なのかは無いに等しい。
【変化する:墓と葬儀】
人が亡くなったら葬式をして、墓に埋葬するのが常識だったが、
葬儀・葬式に於いても、変化が出始めている
通夜と告別式に2日間掛けてたのを一般葬と呼ぶらしいが、
特別のことがない限りこの形だが、徐々に増えてきたのは、親族やごく親しい人を呼ぶだけの家族葬、遺族の負担や経済都合で1日で葬式をすます1日葬、
式を行わずに荼毘に付す直葬。
火葬して御遺骨を持ち帰らない「火葬のみ」も増えて来ている。
埋葬関連にしても、樹木葬・永代供養葬などへの合祀・海への散骨などの方法が墓所への埋葬に代わり、一般的になる日も近いと思われる。
散骨だって、15日年前には言葉さえ知られてなかった。
人間がその生を終え、宗教に依る形式や、見栄を張らず、本来、人類が生まれて来たという故郷の地球に早く還すとする散骨は、欧米では多くの人達の賛意を得られるだろうが
まだ、日本には知られてはいなかった。
コンピューターが次第に市民の物になって来た時代だ、それが地球上を席巻しているのを見たら、何故か、対極にあるような、こんなに変化しない葬儀や葬り方も将来への大きな変化の途上に上ることがあると考えられた。
【今だ、お寺も変われる好チャンス】
他方寺社や宗教家も葬式宗教からの脱皮や、アイディアを構築しないと常識は変化してしまう恐れがあることを認識してもらいたい。
昔は墓を持ったら一人前とか、お墓を持つことは家族にとって後々が安心と言われていたものだが,いつまでもそうではなくなってきている、
それに代わる良い方法がないのか考え、墓を持つ方々にもこうすればお先祖様にも満足して頂けて、次代を担う孫やひい孫にも満足できると言う、家族思いの方法を見出してもらいたいものだ。
墓所を持つお寺さんにとっては,今は極めて高い経済効果を考えられる好機である。
荒廃した無縁墓地を一応公告を出し、数年のうちに更地にして、新規に売り出せば、
世代交代の買主が期待できる。都市部又は近県の墓所では、またとないチャンスであり、
保育園の経営とか、多角化などを考えなくとも再販売の売り上げを期待できる。
都市部又は近県の墓所の生産性を高めるには墓仕舞いを期待することになる、と言う意外な結果になっている。
墓仕舞を阻止するのではなく、墓仕舞いを希望する家族があれば、どんどん無料で墓仕舞いさせて、同時に、このチャンスに埋葬もできると言う、許可が取れる寺院であれば,個人の墓を持つ問題点を解決する方法(合祀塔とか、樹木葬ができる様に)出来れば経済的にも有利にお墓の再デビューを期待できるかもしれない。
私が最終的に墓仕舞を決め、住職様にその旨を告げると、
快く申し出を理解して頂け、長い間お付き合いを頂いているので、特に墓仕舞いの費用などは必要ないと言っていただけたのは幸いであった。
ただ石屋さんに頼み更地にと御願いされた。
ここのお寺さんは都内の一等地なので、更地にしてまた売り出せば、3倍以上の価格が付くと思われ、住職さんの顔もなぜか華やかであった。
時代に合わせる変化は感じられなかった。
【墓参りの心理:何の為に墓を求めるか】
意外に多くの人が墓石や構築物などに向かわないと、墓参りに来た感じがしないと言う。
古く大きなお寺の本堂、大きな石の墳墓、本当はコンクリートでできていようが、石の観音像など、これらのいわゆるブランドが、墓参りのありがたさを物語ることも事実だと思う。
人はブランドには弱いものである。
確かに墓参りの後の爽快感は何とも言えないが、
故人から見れば墓は眠る場所、眠りやすい場所であり。
遺族にとっては、故人を偲ぶため、偲びやすい場所である。
これが真実とすれば、故人は動くことが出来ないのだし、遺族には偲ことができ易い
ことが一番重要なのではないか?
故人との接点における、思い出、尊敬や感謝の数々、はたまた問題にぶち当たり、故人に相談もすることもあると思うが、それも広い意味で偲ぶことであるとすれば、墓石をみて、木を見て、海を見て、どれが自分に合っているかを考えればいいのではないか?
偲ぶことはどこでもできる。と思う。が、それができ難い方がいるのも事実だ。
出来れば、その場所に行かなくても、思い出しやすい、偲びやすいそんな場所であれば、
お先祖様に手を合わし、心の余裕も生まれるし、そこでも爽快感を味わえるのではないか。
昔のように、御寺などが学校の役目を持ち、地域住民の動向まで把握していたり旅行の
為のパスポートに代わるお札の発行をしていた時代はとうに過ぎ、
いまはお寺=墓守と言う考えは無いに等しいと思える。
今やお寺は、ご先祖の御遺骨の保管所だけの意味しかないのか?
付加価値のない物には今の時代は存続の価値が少ないのでは?
今まで一番安穏であった宗教それに関係する、葬式宗教と揶揄されている部分に特に変化が顕著だと言うことは、永年続いてきたこの分野に対する不満の表れではないのか?
不満があっても墓石の墓が一番の人気なのは、まだまだ変わらないだろうが、その他の葬送方法はどうなのか調べてみた。
【葬送の変化その①散骨葬】
変化の兆しとして散骨は、1984年の伊丹十三監督の映画「お葬式」が火をつけて以来だろう、映画そのものは散骨を主題にしてはいないが、葬式を遠い世界の物から身近なものとした功績は大きい。
そして新井満作詞による「千の風になって」で、大きなうねりとなった。
つまり、映画とは言え葬式が人々の話題に上り、日々の会話にも交わされれると言う
一般性を持ち、そして、歌となって日々口ずさむようになり、TVでラジオで、日常生活に侵入して一般性から大衆性にまでその存在を広げてきている。
散骨だって、15年前には言葉さえ知られてなかった。
人間がその生を終え、宗教に依る形式や、見栄を張らず、本来、人類が生まれて来たという故郷の地球に早く還すとする散骨は、欧米では多くの人達の賛意を得られるだろうが
まだ、日本には知られてはいなかった。
散骨と言うと、2秒くらい黙り、
「ああ散骨ね」と答える程度の認知率にはなって来たが、不思議なのは、どういう内容の葬送の式であるかは知られていないのに、一応の評価を受けている。
散骨の方法は散骨屋各社ばらばらであり、まだまだ、花咲か爺さん風に参列者が手のひら一杯の御遺骨を撒くかのようにイメージしている人もいる。
ただ、悪く言えばゴミ捨てのように御遺骨を取り扱う所もあれば、人ひとり精いっぱい生きて来た事に敬意を払い、御式を形作り、地球に戻る事のお手伝いをする。
それも、例えば法律や、形式など何にも縛られていないのであれば業者の仕方に沿うだけで、そこには不満や、安心できない事が出てくる。
特に日本では法律もないのであるから、取り締まることも出来ないのに、散骨は撒いてしまえば、たとえ不満があったとしても、二度と散骨式自体は出来ないのである。
だからアメリカでは一度撒いてしまったら、御遺骨を戻すことは出来ないし、それを賠償することは出来ませんよと契約書として確認し取り交わす。
裁判を起こされたら、散骨は2度は出来ないからなのだが、何ともアメリカらしい。
散骨の基は、コロンブスやアムンゼンの大航海時代から存在し、第二次世界大戦中の戦死者の腐敗防止の為に、長い期間船に乗せておくことは出来ず、水葬に付したことに由来する、水葬は米国では今も許されているが、決められた手順により、鉄製の棺の作り方まで規定され、例えば沈下角度、海底深度などまで指定されている。
米国海軍には今でも、水葬用に使われる軍の専門艦船が配備されている。その為の兵士も典礼専門に配属されており、特に海軍や陸軍でも従軍した元兵士には場所の希望、従軍履歴により水葬・散骨も艦船の使用が可能だ。
ケネディー大統領の息子さんジョンFケネディーJr.と妻のキャロリン バーセットさん、妹のローレン バーセットさんが米国東海岸マサチューセッツで彼の操縦する小型機事故で亡くなったが、JFケネディーが海軍にいた事と米国に功績があったことが認められ水葬ではなく散骨であったが駆逐艦ブリスコー号が使用され散骨式が行われた。
散骨式の最大の特長は宗教の有無にかかわらず催すことができることと、式の内容を自分の望むようにできる事である。長く駐日米国大使として尽くしていただいたライシャワー氏も日米の懸け橋として太平洋から見守りたいと空から散骨して、その意志は果たされた。
このように自分の演出し意図する御式が出来るので、将来は、意思表示をした散骨が主体となるのではないだろうか。
海への散骨はその場所はいつでもGPSで特定できるから、年忌祭なども同じ場所で行なえ、どの形にせよ墓の持つ地球に還ると言う点では、一番早いと思はれる。
海に撒くのであるから、年間の維持費用も必要ない。
海と言う地球の中で一番大きな御祈りの対象物であるし、どこからでも海は繋がる。
ただ陸地に撒くことは、土地の所有権の問題があり、また土地があっても近隣の土地価額に与える影響もあり、市条例県条例で制限が出てくることもがあり、近い将来には禁止されるかもしれないと言う恐れはある。
このほか航空機を使用して海に撒く方法も有るが小型機使用の為、参列する方の数は少数にならざるを得ないのと広範囲になるので場所を特定できないことでGPSなどによる年忌祭などは少しむづかしくなる。
船での散骨費用は各社ともばらばらと言える,何故ならば、一番多くコストを占めるのは、使用する船の大きさにより差が出てくるからである。
船に知識を持つ人が少ないので、散骨屋が表示額を安く見せよう思えば小さい船を使用すればいいのだが、船酔いや安全性の面で問題がある。大型船と小さい船での船の揺れは考える以上に大きいので、大切な散骨式を船酔いで台無しにさせることは出来ないので、
出来るだけ大きな船を選びたいし、双胴船の様な、揺れにくい船型が良いのではと考えている。
またお式に掛ける時間も最低2時間は必要だ。
御式に掛ける時間も散骨屋によって大きく違うが短い時間をチャーターする散骨屋は止めた方が良い、ただのゴミ捨てと変わらない。
散骨の持つ感動は一生ものだと言える、記憶が長く続くからだが、そこで得た感動は出来るだけ永く心に残したい。
アメリカの散骨業協会では、通常の海での散骨では費用が3000ドルから4000㌦であると
見積しているが,これも船の大きさと時間により差が出てくる。
【葬送の変化その②樹木葬その他】
植樹葬も人気の埋葬方式だ。
だが、樹木葬も樹木がイメージの先走りをしている感があり、内容を詳しく
それぞれの運営社の詳細を知る必要がある。
樹木葬には大きく分け2通りあり、散骨型は墓地としての土地、山や谷の自然な土地に撒く様式と
植樹の傍に埋葬する様式があるが,後者の場合人名プレートなどは置くが墓石などは使用しない。当然場所により費用が違うが、様式と埋葬期間などにより差がある。
今手元にある植樹葬案内のチラシでも永代供養費用160万円、(夫婦2人用)年間維持費が年間一万円、4人用の植樹で200万円維持費年間1万5千円とある。
年間維持費の金額は毎年支払わなければならず、また決めれた年間は樹木葬スペースが使用できるが、それを過ぎたり、年間使用料の支払いがストップすると、御遺骨が合祀合葬され、空いたスペースや土地は更地となり、また他者に売られることとなる。
詳細には各地樹木葬の取扱店ごとに内容・金額その他詳細にそれぞれの違いがあるために問合せしなければならない。
納骨堂での合祀の場合には例えば、永代供養で110万円、維持年間費用5000円掛かるが、家族などが居なくなりこの費用が払われなくなると別の場所に移され中央納骨堂に移され他の御遺骨と合葬される場合もある
これ等でわかる通り、埋葬・合祀・植樹では永代供養の費用が異なり、年間維持費の金額は毎年支払わなければならず、得たつもりの埋葬場所は、永久ではない。
寺社や墓所も経営していくためには仕方のない事ではあるが、
借地権に近いのであろうが、決められた年数が過ぎたり、年間維持費が送られてこなくなると他に移されたり、場所が亡くなる。期間限定方式とでも言える。
亡くなっても、十数年経つと急に住所不定風になる、孫やひい孫も顔も見た事のないお爺さんやおばあさんの墓参りはしないだろう、とはいえ、年が経つと何にもなくなってしまうのも少し寂しいのだが。
また葬送の方法はいろいろある。
最近のニュースでは人工の流れ星を2020年に流すらしい、これは金属ボールを宇宙空間に人工衛星から発射して流れ星を作る企画らしいが、今はまだ御遺骨を発射すると言う企画は無いが、時間や場所を決めて、御遺骨を詰めたボールを発射して宇宙空間で燃やして流星として飛ばして地球には戻らないらしいので、人としての最後を流星として終わる。
これが出来れば,空の星にもなれそうな葬送になるかもしれない。
近未来には、今考えられていないことも出現するかもしれない。
が、ただの珍奇性を求めるのは邪道だと思う。
アイデイアで作る葬送の方法は無限大であろうが、今までのロケット葬にしろ、風船葬にしろ、がただの珍奇性を求めるのは邪道だと思う。
空に御遺骨を上げ、どこか分からない地上に落下し、それを放っておくのは、危険であるし少し無責任すぎるし、葬り方・葬送方法としては大きく違うのではないか?
御遺骨でダイアを作ると言うのもあったが、これも専門家に言わせると不可能らしいが、
葬送も商品であるのだが、正しい商品を企画、販売してもらいたいものだ
【どう選ぼう?葬られ方】
人は死ぬのであるから、ほとんどの人には墓が必要だと思われるが、普通は墓の大小、
お寺又は公営墓地などの墓地として決められた埋葬場所と墓石のデザインだけでの選択であった。
しかし徐々に死後の葬送の方法をどうするかを選べる時代になって来た、例えば、墓地として決められた以外の場所で墓石の中ではなく、自然の中で、静かに眠りたいと言う様な希望に応えられる様になってきた。
今まで生きて来た自分なりの生き方を大切にして、その意志を追求して生きてきたのであるから、亡き後にも自分の生き方を現した葬送の形を考える事は自然であり,これまで考えて来なかった方が不自然ではないだろうか。
特に日本では昔から死に際を大切に考える風潮があったが、それはまだ生きている内に死ぬときはどう死ぬかということであり、死後の事は考えに入っていなかった。
多くの人は、死んだらその後の事はどうでもいいよ、と避けたり、または、配偶者に任せようとするのが一般的な、いわば面倒くさい問題なのである。
死ぬまでは、口うるさい程に,人はどう生きるべきであるか、どう個人の意見を貫くのだかとか、我儘一杯だと思えるような事を平気に口にしてきたのであるが、
最後の最後まで自分を表現すること、大切な完結編を彩るシーンを忘れているのだ。
エンディングがないまま終わる映画はあり得ないのに、それでも無関心な人が多い。
未完のままですよとは考えないらしい。
それでもまだ、無関心でいたいのは、どうしたら良いか分からないからかもしれない。
今までは葬儀屋さんや住職さんのいうと通りに立ったり座ったり、お経を唱えたりすれば、
葬儀葬式は一応は無事に終われせることが出来た。いわばありきたりにと言うことで。
「今日のお葬儀・葬式は良かったね~~」なんてことはあまり期待できないし、
あの方らしいお葬式だったね、と言われるのも有る事はあるが、
告別式でお経の代わりに音楽を流したり祭壇をは花で満たすような、演出プロデュースのちょいとした変化であり、飾り方の違いに過ぎないから長い間の記憶に残るようなものではないし、故人らしさを表現するというのではなしに何の花で飾ろうかとの極めて軽い演出の違いだけである。
そこで自分の望む永遠の眠りはどう選べばいいのかを考えよう。
☆墓の理想形はどういうものなのか?
☆社会や、葬儀葬式はどう変化していくだろうか?
☆どういうお墓を持つと、問題があるのかないのか?
☆どういう形態が子孫に金銭的負担を掛ける事がなく、先祖から自分に繋がる
事を知り先祖を敬えるか?
☆どういう所で眠れば気持ちよさそうか?
何をどうすれば、気分が良く辞世の型になるか
今ある問題点を解決して、快適で気持ちいいかを最重要とし、考えを進めるのだが、
その前に今ある墓も調べてみないと、正しい判断はできないと考えた。
調べてみると、なんと先住者と言うか先祖様が意外にも多く、16名もいたのだ。
3つの墓石群が並ぶ広い古い墓地だから普通よりは収容が大きいが
それでも定員オーバーになっている。超満員の通勤電車状態だった。
普通に行けば次は私の番だが、これでは入れないかもしれない超過密状況だった
お墓があるからと安心はできないのである。
いつかは定員過多状態になるから。
東京青山のお寺なので、もし墓地拡大をするとなると莫大な費用が掛かりそうだ。
遅くとも数代後には、墓地拡大の必要だったところだ。
閑話休題
これからお墓を買いたいと考える方もカロートと言う御遺骨を収蔵する場所の広さを考えて何名の御遺骨が収蔵可能かを知る事が必要だ。
今は墓地は高価なので、墓地=墓石の大きさの所が多い、
とすると、カロートには夫婦2人と子供が2名分位しかスペースがない。
地下2階建てにしても、あと4人分8名分で過密状態になる。
どうしようもなければ、古い居住者からスペースを空けて頂くために、御移り頂くのだろうが、
方法論としては散骨か,移墓又は、用地の購入なのであろうが、これもまた考える部分を残しそうだ。
新しく墓を持てば当然、墓石が要る。
墓石に刻字するわけだが、稀にあるのが文字の誤字脱字で、その場合間違ったところに同じような石材を詰めて修正するのだが、数年すると詰めた所が変色するので、書いたものでの依頼をして確認することが重要だ。
石の種類もたくさんあるが、石によっては高額な払いをしなければならない割に
後で墓仕舞いをすると、墓と墓石は普通の商品と違って返したりしても元金は帰ってこないばかりか、更地にして墓石を処理してと、更に費用が掛かってくる。
不動産でも値上がりしてても売れない土地を借りているだけだから。
【名コピーに惑わされるな永代供養】
コピーと言えば歌手が歌う歌詞もコピーの内、吉幾三の歌詞には男心、女心の奥にズンと染み渡る名曲が多い
商品の売り込みにも名コピーの存在が重要だ。
糸井重里さんが書けばどんな商品でも大評判になるが、
いつから有るのか分からないが、名コピー「永代供養」と言う心に響くコピーを産み出したコピーライターは今でいえば、糸井さん級の名ライターであろう。
何とも優しく良い感じがし、そそられる。永代供養と言う言葉。
永代と言えば永遠を意味して、名僧。いや名僧と言わずも和尚様、住職様をはじめ宗教家が,そんな長い間、今は亡き故人を弔ってくれる。
それにも増して何年だろうと、前払いしてあるから供養の負担はない。
言ってみれば、プリぺイド・オールインクルーシブ、例の海のクルーズや高級リゾート
ホテルの滞在期間中ホテル、レストラン・バーでの支払無用(前払い)の響き。
なんと有り難いことだ。
永遠にどなたか宗教家がご先祖を今まで、そして、これからも供養して頂けるとは。
読者の心をここまで操つっている。
しかし、しかし本当にそうなのだろうか?
怪しいものは疑ってかかれが、私の信条。
お寺さんにはそこにお勤めの坊さんがいらっしゃる、だから永代の供養も期待できるが、
公共墓地などは、はなから宗教家などはいない。
それでは供養は出来ない。
供養と言う言葉はウィキペディアで引いてみると2種供養から
10種供養まで有るらしいが、難しいから易しく言えば、故人を弔う事とあるから、
矢張り、公共墓所とか和尚様の居ない墓所では供養はしていないようだ。
勿論地方に多い、数百、数千の無人寺も。
それでは、和尚様がいるとして、供養してくれているのであろうか?
例えば故人の皆様として?それとも固有名で誰誰様として?日に何回?週には?
月に何回?これは聞いても答えてくれるかは疑問だとおもうが。
ここが分からないと何とも言えないが永代供養は、永代利用、永代借用に意味が変化してきているとも言える。
夜な夜な飲み屋通いに行っている和尚だったら、供養も期待できないので
そんな所も永代借用が当てはまる。
それに加え、戒名も必要だが、なぜ必要なのかを宗教家に聞いた事があるが、こちらが素人なので、分かりやすく答えてくれたのだとおもうが、その答えはあちらの世では、
戒名で呼ばれると言う、個人名が変わるのだ。自分の親でも戒名を覚えないと出会っても声を掛けられない。
家族でも信じる宗教が違う人もいると思うが、その時はどうするのかは声は掛けられるのか?
まあいずれにしても戒名代はわずか数文字なのに恐ろしく高額だ。代金が決まっていないほどに高額だ。
また戒名をつけて頂くのだが、どうしてその戒名になったかの説明を聞いた事が無い。
どういうもんだろうと、両親と義母の戒名を調べたら浄の字が3名の戒名に入っていた。
3人とも仏教の宗派が違うのではあるけど、どういう訳かは知ることが出来なかった。
また、生まれた時には名前にお金は払わなかったはずなのに,亡くなると掛かるとは?
まあ、それでもお墓を、戒名を購入したい付けたいというのであれば、どういう方法であれば数代後の孫やひ孫にとって、なるべく負担の少ない、そして祖先への感謝が容易にできるそんな方法を探さなければならないし、なぜこういう戒名が付いたかの説明もお聞きした方が良いかもしれない。
【私の葬式経験から】
私が初めて葬式を取り仕切ったのは、父の葬式の時だった。
私は当時、広く薄っぺらい知識を売り物にする広告業界にいた、クライアントのご関係者が亡くなれば矢のようにいち早く駆け付け恩を売る。
入社年度により道案内から受付までいろいろな役を受け持った。
それでも葬儀や、その関連知識には全くの素人だった。
やらねばならないことは多いが、それらは大きく分けて二つのことに要約出来る。
通夜や告別式の準備である。いわば亡くなった事を告知する事と、
告知後に火葬や埋葬する場所を探し購入すると言う二つの違ったことを
短期間にしなければならないのだと言う事を知った。
しかし、何故か葬式は葬式と言う一つの事をすればいいと思っていた。
通夜をして告別式をすればいいのだと。
しかし実際には、そのほか火葬し49日の法事に埋葬するまでが一つのコンベアーのように連携して動いて行かなくてはならない。
ただラッキーであったのは、家族のお墓がもう既にあったので、墓を探し墓所を急ぎ
買う必要がなかった。
それで、それまで葬式は一つの事をすればよいと思い込んでいたのかもしれない。
唯の無知かもしれないが、その後にも多くの人からも、同じような事を聞いたから、
この世には葬式無知な方が多いのだと想像する。
墓をどうしようか、生前に話したりすることは昔と違い、もうタブーではなくなって来た、
ただ面倒な事なので放って置かれることが多い、話しても知識が薄いから1回の話で、
だけでは結論まで語り尽くされることはあまりない。
あまり考えたくない話題だからだろうが、
それでも将来の為、墓が必要だと考えたり、高年齢者社会のニュースに触れ、お墓などの購入方法や、葬送や埋葬方法を調べなくてはと言う人は多くなった。
1年間に亡くなる方が1998年に93.5万人だったのが2017年で134万人と増えている。高年齢社会でそれが2030年までには175万人を超す勢いであればなおのことである。まあ、それから以降は高齢者人口が減るのでこの数は減ると思われるが。
でも墓を持てばこの難門をすべて乗り越えられるぞ、と思われる方、そんなに、この世もあの世も甘くはない。
今お墓を持っていないから購入の準備をしなければならない方や、
今お墓はあるが、有れば有ったで、いろいろな状況があり問題を抱えることにもなる。
だからこそ、いわゆる墓、樹木葬や散骨などの広義の墓、
故人となった方が眠る場所の最善の方法を考えきた、
将来的にこんなことも起こりうるかもしれないから今よく考えて下さいと言う
のがこの本の発想の基にあるのだ。
次男三男である方たちは、自分の墓が無いから自分で墓を持つしかない、
そんな大きな散財したくはなかったかもしれないが、
それも自分を祖とした新家族の墓を良しとするか、自分の心の中に、
墓の必要性を問うてみたり、はてなマークの黒々と渦巻く常識や疑問に答えを出せない問題にぶち当たり、まあ今日のところは寝るか、と問題先送りするしかないのかもしれない。
しかし、これを払拭するためには、立ち上がるしか方法がないのである。
人間はかならず死ぬのであるから。
通らなけばいけない道だと思う。
自分に続く子供や孫にその責を背負わせるのではなく、
必要な事は、方法はたくさんある事を知ればよい。
方法論はいろいろあるという事を知れば、
資金が潤沢に無い方も、有る方も、沢山の方法があることを知り、そこから取捨選択すれば、意外と簡単に決まっていくかもしれない。
まづ最初に敵を知れ、とはよく言われることだが、まあ、本当は敵でもないことだし
自分の生き方や考え方,自分の家族や生活に適か不適を考えてみよう。
葬儀や葬式それに関連することは何故か昔から全然変わっていないと思われがちだが、
大間違いなのであり、江戸時代までは例えば公家武士や大家また僧侶など以外の大衆では通常個別の墓はなかったがそれが明治となり一般まで寺への埋葬が行われるようになった。
また明治になり有名人の葬儀に多数の参列者が予想される為、それまではなかった告別の為の御式(告別式)が新規に考えられたり、前からあるものと思われていたものは明治時代に作られたとか変わった事が多いのだ。
大きく変化してからまだそう時間は経っていない。
例えば「告別式」これも今でこそ葬儀の中枢と言えるが、明治時代に自由運動民権運動で
有名な中江兆民が亡くなった時、あまりの有名人で参列する方が多いだろうと考え、考え出された新方式だ、それが平凡な一般家庭でも葬式の形になっていたが、しかし最近の日本では告別式は行わない葬式が増え家族葬とすることが増えて来ている。
変化と言うより必要ないことはしないと言う当たり前のことなのであろう。
現代でも、明治時代に引き続き、遅ればせながら葬送の変化の時代が来たのではないか?
そう考えることは容易だし、順当だ、こうしなければいけないと言うものではない。
これはまさに、維新であり、今まで形式に捉われ、捨て置かれた人間の死後の葬送方法の新しい時代を求める維新と考えると納得がいく。
明治維新に拘らず、維新にはいつでも、大いなるエネルギーを費やすパワーが必要になるのだが、お墓維新はこれからも続くだろう。
将来の家族の末裔達が、今芽生えてきた葬送の多種にわたる選択が可能になったことで、
今までのように過去の何だかわからない習慣や宗教、昔から培われてきたと言うより、
まだ少ししか経っていない明治の時代に社会の変革により作られた、葬送や葬儀の型や
お経によって威厳がある様に雰囲気ずくられ、お寺などの建築形式と相まって、僧衣などで階級なのか偉さも表して、権威ずけようとしている演出には惑わせられることは無くなる。
人により違う常識に捕らわれず、自分や妻の死や母や父の死を考えるところから、いつか来るであろうすべての人の、生を考え死を考え、そして、自分の確固たる意志を、将来を生きる家族達に向けて表明する機会にすると言えば格好良すぎだろうか?
【日本の墓と欧米の墓の違い】
変化しているとは言え、日本には日本の独自の葬儀や葬式葬送方法形態があり、
それに従うことはやぶさかではないが、欧米での動きも参考にしておこう。
世界は変化し続けており明日がどうなっていくかは分からないが、
基本的に日本はそれぞれの家つまり代々の家族の墓が主であり、
欧米の墓は個人の眠る墓と言う個の単位であるところに、
すなわち個人部屋か、家族の大部屋かとの、大きな違いがある。
現代では、家族が大部屋で眠ることは少なくなったが、まだ川の字になって眠る日本の住宅事情も珍しくないようだ。
欧米の個人主義のもとでは、普通21歳までには親の元を離れ、
自分一人で生きる糧を探す、
個人の生き方があり、家族を大事にしながらも個人の生き方を大事にする。
亡くなった時は一人のお墓に入る。
今ではアメリカでは散骨が多くなってきており、
ある調査によると州によっては30%以上が散骨になっているという。
普通は家族が集まり、船をチャーターして撒くことが多いが、
御遺骨だけ散骨業者に郵送して撒くよう依頼するのも数が多い。散骨するまでの間
デザインされた骨壺と言うか箱に入れ、10年15年暖炉の上に飾られるのを見る事も多い。
樹木葬は散骨の変化形であると考えられていおり、所有権がある土地内に撒くことは可能である。
国立公園など国の所有する土地に秘密裡に撒くか(許可を受けなければ違法)違法と知っていても故人の愛したマリナーズ球団の球場にヘリコプターからやデズニーランドでジェットコースターから撒いてしまう輩もいるが、そこに流れる考えは故人が好きだったと言うだけのことにしか目が行っていないのである。
不思議と犯人が捕まったと言う話はない。
個人の考えをできるだけ優先する、違法であっても、優先したい気持ちがそこには存在しているのかも知れない。
また、それに反し、日本は家族主義と言うか、30歳を過ぎても結婚しないから
と言う理由で、親元を離れない人もいる、個人が未成熟なのか、
親が雛の成長を長引かせているので、親離れが長いのか、子離れが遅いのか、
いずれにしても生き方も未熟なところが目立つ。
面白い事に、日本では家族のお墓であるのは、何かの関連があるのかもしれない。
欧米では、例えば、子供の犯した犯罪に対してのニュースなどのコメントでは「昔はいい子だったのに、どうしたのかしらね?」とあくまで近所の人の目線と変わらない。
日本では、知っての通り、家族まで、批判され、社会的にも家族が断罪される。
そう言う時には個人主義はどっかに行ってしまうし、
年齢的にも30歳を過ぎても一人前とは扱われない。
こういうことは個人墓と家族墓の成り立ちに根幹的に関係あるのかもしれない。
それは、さておき,人が死ぬとそれだけで、大枚の費用が掛かるが、
米国でもそれなりにはかかるが日本の葬儀費用とは比べ物にならないほど低い。約1/3だと言う、米国では連邦取引委員会が葬儀法に基づき監視をしているが、葬儀をお願い致します。取り扱うのはフューネラルディレクターに資格を持つ人だけが、この資格を持つには大学の専門学科を卒業する必要がある。日本にも同じような資格制度があるがここまで厳しくない。
例えば米国ではお棺を押し売りすることは出来ない。こういう細かく節約をできるようにし、
フューネラルディレクターの権限も大きいができるだけ安く葬儀をできる様にしているので、ディレクターの社会的地位も向上している。
ところが日本では葬儀業者1345社が加入する全葬連があり、サービスガイドラインを設けてはいるが、肝心の料金の提示が無い。日本版フューネラルディレクターもその権限と知識や国による推進が期待される。どこの国でも葬祭の価格の不明だった時代は有り、それを是正するには本格的な法規制などが必要だ。
【お葬式費用】
一般の方が、身内でどなたかが亡くなりそうだ、また、亡くなった時に
お葬式と言うとどういう費用が掛かって来るか?ご存知な方は少ない。
入院費用や病院での費用は除いて、どういうことに費用が掛かるかは知っておかなければいけない。
費用はどこでも差があるのは常識だが、どういう費用があるかは知っておかないと見積さえ取れないことになる。
よくあるのは、病院で亡くなり、病院御用達の葬儀屋さんに御遺体の搬送をお願いし,そのまま全ての葬儀関連を御願いしたら、後から請求書を見て後悔すると言うことは良くあるけど、実際に大きなお寺さんの檀家で、そのお寺さんで告別式などの御式を行うためには本堂がとても大きいので、普通の家でするお式の様な祭壇は使えないという。
等々いわゆる業界の基本は知っておいた方が良い。
この基本常識が一般人の常識と少し違うのだから気お付けなくてはいけない。
・搬送費用(病院から自宅、火葬場まで等)
・通夜費用(通夜用祭壇、幕などの飾り等リース代、お経料、お食事代お花代等)
・火葬費用
・告知/告別式費用
(直葬 家族葬 通夜を含む告別式、それと新聞広告などによる告知等)
・埋葬等費用(永代供養費用・墓石/名入れ彫刻費用埋葬費又は散骨葬・植樹葬の費用)
墓地、合祀、植樹葬、散骨
などとなるが、何とかこの大きなイヴェントを乗り越えた後でも、その後の法事であるとか、毎年の維持費用など数年間分前払い等が、真綿で締め付ける如く財布を締め付ける。
知識のない人は永代供養でお願いしたのになぜだろうと疑問を持つが、後の祭りならぬ、
後の葬式だ。
葬式、埋葬などの費用とそれ以後の費用を予想している方は少ないだろうが、
良い檀家となるには、毎年の盆や暮れでの出費もかなりの額となるので、想定しておくことが必要だ。
☆☆☆
ここまでいろいろな研究してきて私は重大な結論を出すに至った。
前記の内容全部を頭に入れ洗濯機で回すようにシャッフルし、年末大売り出し,ゴロゴロ懸賞風に転がりだした赤玉は。
【墓仕舞い、お先祖様全員集合・ハワイ散骨でGO!!!】
であったのだ。この結論を引き出すまでには墓仕舞いをするにはと言うことだけでなしに、
☆私に至るまでのご先祖様がどういう歴史を持ってきたのか
☆宗教とのつながり
☆菩提寺とのつながり
☆将来にわたる我が家の墓状況
☆児孫にわたる集合場所
等々熟慮と検討研究を重ねた結果いろいろな新発見をしながら結論が見いだされた。、
これからの顛末はひい爺さんがお墓を持つことを決めた日から始まり、その先祖様をハワイの海に散骨するまでを、どのようにして行ったかを伝えて行こう。
【ある日のひいお爺さんさんとお爺さん】
あっ、輔三郎か、ちょうど、話をしたいと思っていた、まあそこに座りなさい。
と何故か赤い陣羽織を羽織っていたが、筆をおき、冷めた渋茶に一と口啜った。
障子には春の日も暮れようとして影が長く射していた。
数年前の大政奉還で徳川の世が終わり時代はあわただしく変わっている最中であった。
桜もとうに散り、もうそろおそろ梅雨に入ろうと言う所だが、日は長くなり夕日にはまだ間がある。
住まいは真田家松代藩江戸藩邸(現在は米国大使館)の中にあり三百石取りの藩士としては
国元の家は千坪あるのでそれよりは手狭ではあるが、ゆうに200坪は超えており、自然と植木の数も多い。
殿様も国元に帰られているために心にもゆとりがあるようだ。
輔三郎はやっと10歳になったところだが、武士の子として育てられ、昔であればそろそろ
初陣はいつにと考えるころであった。
数年前に、京都御所守護の為、ひい爺さんは鉄砲隊を引き連れての警護も無事終わり、
一息ついたところであった。
この前話した時は、我が家の祖先は諏訪を名乗り小笠原源氏の一族で、武田信玄公の御そばで働いていたが、勝頼公滅亡後諏訪の三澤郷に蟄居し三澤を名乗り、以後真田の家臣となったところまで話したな。、
今宵は、桜も終わったが、庭の花々も咲き始め、心地よいので、如何にその後真田家の家臣として私が、ここ江戸詰めをしているかを、そなたに話しておこうと思う。
(書机を前に書を紐解く父清美とその後ろに正座する輔三郎)なぜ赤い陣羽織なのかはまだ話してはくれない、
私の父玄番は幼少時音馬と称したな、ちょうど真田の若君様と同じ年代で、大殿様から
寺子屋での読み書きが得意であった音馬を気に入って,おそば衆に取り立てられた、
その後はみる見る間に出世して、その後奉行、大目付と立身出世いて行くのだが・・・・・
輔三郎、父が前を見ているのをいいことに、また今日も話が長くなるのを見越して、ちょいと席を離れて厠に行ったり台所でお菓子をつまんだりしてもどってみると~~~
話続ける父清美がいる
~~~時は天保の頃、その年は特にひどい飢饉でな、・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という訳じゃ、今宵はここまでにしようかな。
そうそう、今度江戸青山に信州のお寺が出張るそうなので、わしも年を取って来たし江戸詰めも長くなり、我が家にもそれは都合も良い位と思ってな、信州松代にある、代々真田家の菩提寺でもある我が家の墓所でもある長国寺には、大政奉還となっては、後々松代に帰ることも出来ないかもしれない。
お前も、今後はどういう風になるかもしれず、江戸青山に墓所を求めたからな、まあ儂をそこに葬ってくれ。頼むぞ輔三郎、
と、それはそれなりに、墓をどこに持つかを検討していたのであった。
それでは戻ってよいぞ。輔三郎。
なに?何故この陣羽織を召しているかと?
これは私の父上からのもので、京都御所にも着て行った。
赤備えの鎧の上にな、これを着るとどうも心が逸るのじゃ、ははははっ
とひい爺さんは一人心をはやらせていた。
この間ゆうに3時間掛かっていた。
それから30年の時は経ち。
1936年昭和11年先月には2.26事件が勃発、
日本も数々の戦争の結果軍事国家への道を突っ走っていた。
爺さんの輔三郎は本当のじいさんに姿を変えていた。
ああ、恒雄か、いい所に来た、まあそこに座りなさい。
私の父である恒雄当時25歳、ひい爺さん輔三郎77歳
この前は、私の祖父玄番が鉄砲隊隊長として功績を上げ真田の殿様から祝杯を頂いたという話したので、
今日は私が数年前まで、日本とドイツの国の間で働いたが、どうしてそうなったかを話すことにしよう。
輔三郎は書類机を前に恒雄を背に語り始めた。話の長いのはひいひい爺さん譲りで、
話の終わりは皆目見当がつかない。
真田家中屋敷から私は東京大学医科予科に通い始めたのだ。
その頃は生まれてきた子供も亡くなったりすることが多くあり、悲しい事が多かった。
何とかしたいと思いがあり東京大学医科を受け、幸いにも受かり通い始めた、これからと言う時になんと胸の患い、恋ではないぞ。
今でいう結核だな、勉強のしすぎだな、学校も休学となった、その頃は胸を患うといつ治るかわからないどころか、亡くなる人も多かったからな。
しかし人生すてる神あれば拾う神がいるもんで、
儂がラッキーだったのは、東京医科予科にドイツの有名なベルツ教授がいらしてな、
この教授は、医者であったのではあるが、へちまの枝から出てくる水を集めて、化粧水作ってベルツ水として売り出したりしていたんだが、婆さんも良く使っていたので美人になったんだな。
医者としても大変優秀な先生だったが、私が胸を病んで勉学が付いていけなくなったので、病気を診てくれるのと同時に退院後は、それではドイツ語が優秀なのだからと、ドイツ大使館の通訳官にと、推薦してくれたのじゃ。勉強はしておくものじゃな。
その後には三国同盟などと、日本はドイツイタリアの関係も密になり、
そのお陰で儂は、ドイツからも日本からもなくてはならない通訳官と言う具合であった。
ヒンデンブルグ大統領からも感謝状を受けたぐらいだから、給料だって日本の首相並は有ったしな、その頃は料亭外交華やかで時の陸軍大将、海軍大将みんな友達だった。
ドイツはどうなっているのか、みんな情報を聞きがっていたからな。
婆さんが金が無い金が無いと言っていたが,そりゃあ、外交には金がかかるからしょうがない。
それにお前が軍隊の招集を遅れたのも国内に配属されたのも、多少はそのお陰だと思ってくれないとな。
話はやっぱり長くゆうに3時間は掛かっていたが、
恒雄さんはその間で1時間ぐらいは便所や台所に緊急避難したが、
ひい爺さんは知らなかった。
時が変わっても一族の者もあんまりしていることには変わっていなかったようだ。
その爺さんは、戦争前昭和15年に亡くなった、第二次世界大戦が1939年から1945年だから、1940年(昭和15年)輔三郎81歳ではあったが、その功績は高く、
時の陸軍大臣は勿論海軍大将など500mぐらいの列が青山通りから原宿に出来たそうだ。
時の名士が早々とい並ぶのを見たわが父恒雄、いつか俺も、いつかここのお寺で、こういう風なお葬式をと思ったそうだ。
それで私が迷惑するのだが、父はお葬式は他の人が、手配などをする事を考えてもいなかったのである。
そう、大体の人は自分の葬式はお母さんか誰かがしてくれるだろうから、後の事は知らん。
と考える人が多いのが実情だ、全て任せるからなと、心の大きいようなことを言うが、
自分で決めていてくれれば、半分は考えなくてよい事になるのだが。
父が亡くなったのは1983年昭和58年の事だった。
その頃私はアメリカに駐在していた、そのせいもあり生前に、
まあそこに座って話を聞きなさいとは言われなかった。
母からの報を受け帰国して長男と言うこともあり、葬儀のすべてを取り仕切った。
取り敢えず、横須賀の実家で通夜をして、翌日父の夢に見た青山のお寺での告別式だ。
それまで営々と積み立てをしてきた、共済組合の支払金が原資となるが、
檀家として御寺の本堂を借りての葬式となると、受付にテントを張って、参列してくださった方に記帳をして頂くが、そのテントの2時間のレンタル使用料はなんと30万円だった、時は9月、雨が予想され、雨が降ると傘をお預かりするので、もう一張テントが必要だと人の財布の中身を知らない葬儀屋は簡単に言う。
大枚30万が加算される、ここは念力をもって、雨は降らせないと、葬儀屋さんに告げた。
キャンプ地で30万払って、テント借りるバカはいない、それなら豪華温泉ホテルでもスイートルームに何日も連泊できる額だ。価格設定を間違えているし、人の懐からは湯水のように金が出てくると考えているその葬儀屋さんとは険悪な仲になっていく。
当日は曇りだが、傘をお持ちの方は幸いいなかった。
これで30万円が浮いたが。
次の難題は祭壇。御寺の本堂は広い。祭壇の値段は言い方は忘れたが上・中・下とあり、それにつれて600万円、700万円、800万円だと言う。
家で通夜の時に使った祭壇を使用するよう申し入れたが、簡単に拒絶され、おまけに鼻で笑われた。
母のこれから一人で暮らす費用を考えると、これらの葬儀費用と、お寺さんの使用料・
戒名料等々これからかかる金額もある。この金額設定では有名人でも中々支払いできないと思う。業者割引のある葬儀屋さん自身でもできないであろう。
そうしたら、葬儀屋さんから皆こうしているというすごいアイディアを教えましょうと、
秘密の開示があった。
それではよくお聞きくださいと、「あなたのお宅の皆様は、これから一斉に少しでも知っている方、例えば取っている新聞の配達所、ミルク屋さんタバコ屋さんのおじさん、そして勤務していた会社の先輩後輩、出入りの業者何でもいいから全てにお父様の亡くなった事を連絡してください。」
これがグッドアイデイアか?15年前に定年退職した人の家族から連絡あって、
葬儀をしますと言われても迷惑千万迷惑萬万だ。
新聞配達人も困るだろう。
そうすると声を低くした葬儀屋は、自分の考えに満足し、自分の言葉に酔った様に続けた。
日本人は、結婚式には参加しなくても、葬儀には万難を排して参列しろと言う
考えの国であり、国民です。
ですから、極端に言えば知らない人にでも連絡すれば、
いくばくかの香典は包むはづですとの賜わった。
それジャア何かい?
私の先祖は松代出だけども,三代お江戸にいれば江戸っ子になる。
あんたの馬鹿高い葬儀代を支払うために知らん人にまで香典をもらうために参列させようてか?完全にキレタ。
祭壇なしでやってやろうじゃないか。
葬儀屋さんには帰ってもらった。
後日談だが葬儀の日、私が知人と親しく話をしていると、くだんの葬儀屋さんが近づいてきて、先日はすみませんでしたとかいうのかと思ったら、
知人にこの人はアメリカが長くて日本の葬儀の仕方を知らないんですよ、何とか言ってくださいと言いつけた。
この時から葬儀屋さんとは関わりを持つことは無くなった。
またまた後日談。
母は葬儀が済むと横須賀に帰り、参列してくださった方にお礼状を書き始めた。
横須賀の海の傍の芦名と言う所に住んでいたので、和紙に自分で水彩画を描きそれぞれの手紙を書き込み名産のひじきの乾物に巻き付けてお礼状とした、今ではお帰りの時にハンカチとか塩,を付けてお渡しするのが普通だが、ひじきを郵便局に持ち込み郵送し終わるまで、3年かかったと言う。
葬儀社にそれを送ったのかどうかは聞き忘れた。
その母が亡くなったのは、1993年の夏だった。
母は、薬剤師の免許を持っていたが、薬は毒だと言うんが口癖で、薬を一切摂らないと言う変わり者だった。自分が薬の事を一番熟知していたのだろうけども、不思議なことに実家の棚などに、苛性ソーダ―などの劇薬・毒物も有って、
私の子供時代には、何かわからない薬品同士を混ぜ合わせたりして遊んでいた。
仏教ではなく新興宗教を信心していた。そのことをお寺の和尚さんにも包み隠さず言ったりした、だから亡くなった時に戒名の院号をもらえなかった。
長い歴史の中で院号をもらえなかったのは母だけである。
最初に何からスタートすればいいか何も分からない所から始めるのだから、まづ、家族、の事を調べてみてはどうだろう、今まで母や、父から聞いていた断片的な物や事がまとまっていくことがあるかもしれない。歴史好きであればたまらない歴史小説が書くことも可能かもしれない。
5年前から、自分の心の中では墓仕舞い・散骨計画は始まっていた。始まったのではなく始めたのだったが、
何をしたかと言えば先祖の調査で、今でいえば住所、勤務先、来歴等々、テレビの番組で探してくれるのではないので、知れる限りの調査をするには並大抵ではないが、まづは家に伝わっている、家系図を基礎にするしかないが、結構これが夢を掻き立てるのに役に立った、驚いたのは、それを見る限り私は、
清和天皇の第六皇子が清和源氏の始祖 経基王が、私の祖らしい
我が家の始まりはここにあった。私で32代か33代目らしいざっくり計算すると親と子供の年の差が30年、33代X30年では990年の流れがあったのは感動的だ。またざっくり言えば,千年に亘る歴史があったとは。
ただ昔は特に明治時代には、にわか家系図が濫作されたらしい、平民になったのはなんかおめでたいけど、裏付けする家系図がないと何とも立証する事ができないという訳だ、
話がそれるが、海外移住した方々に伝わる、家の紋と言われるものには、徳川家や今川家、
はたまた、武田家なんていうのもあり、それも一家に二つもあったのにはびっくりした。
海外で刀剣鑑定会が開かれることがあるが、そのほとんどが移住する時に我が家に伝わる
名刀を託され、それを鑑定してもらうと、ほとんど全部が贋作と言うことで、関の孫六、村正,虎徹などがおロゾロ出てくるが、今や海外で成功者となった三世、四世、五世が何ともつらそうな顔は見るに忍びない。
このように、全て昔から伝わるものがすべてが正しい物では当然ないが、
それを承知で夢物語のように散りばめ考えると我が家歴史が完成すると思えば楽しい。
実家の仏壇の奥を整理していたら過去帳の写しが出て来た、まあ系図のお寺版と言うようなもので戒名や亡くなった日付けが記され,所々にどういう功績があったかも記されていた。TVの番組で武豊の親戚筋が西郷さんだったとか釈由美子の先祖が蜂須賀小六だったとか言うのを、いいな~~~と思いながら見ていたが、それと同じようなもので、こんな我が家にも番組になりそうな場面が出てきそうだった。
先祖様と繋がった瞬間だった。
我が家の歴史(要約版)
清和源氏経基王を始祖とする
源義経と共に戦う。その為、負けて親戚にも鎌倉で自害者多数。
武田信玄に仕え、戦勲あり、領地として諏訪三澤地方をもらう。その時から三澤を拝命
それまでは、諏訪が姓であったらしい。親戚には諏訪の諏訪大社上社大祝(神官の長)であった諏訪頼茂(重)がいたが、1542年義兄の武田信玄に切腹を命じられた。
娘は諏訪の御料人と呼ばれ、絶世の美女として名高いが信玄の側室とされた。
武田勝頼の生母である。絶世の美女として名高いが井上靖の書いた「風林火山」では由布姫、新田次郎の書いた「武田信玄」では湖衣姫」信玄の妹禰禰の子とは違うが頼茂と側室の子、と言われている。
そして武田信玄、武田勝頼に仕え、功績があったため、諏訪郡・三澤郷を拝領したとあり、
それまでは諏訪であった名字を、三澤の地名を取りその後三澤と称した。
その後武田勝頼が破れた後、信州一帯に君臨した真田松代藩に仕え、江戸時代まで真田藩(松代藩)
第二鉄砲隊の隊長として,仕えておりこの辺には過去帳などの証拠もそろっているし、
真田藩の六文銭の藩主から拝領した品々があるので、確かだろう。
曾祖父は江戸末期に江戸藩邸に住みそこで亡くなったため、墓を購入したと思われる。
その墓石にも松代藩騎士とあった。
今回の移住計画に参加しているのは、この曽祖父、曽祖母からで、それより以前の先祖様には、真田松代藩の御城がある信州松代を、安住の地とした
それでは今回の御先祖様全員集合ハワイで散骨GO に参加する全員を点呼してみよう。
先祖構成 ①ひいおじいさん:三澤清美 松代真田藩騎士 二百石
経基王より28代目文政4年10月19日生まれ
最期の武士
明治29年1896年2月28日没76歳
先代源蔵は大殿様御近習・大目付・御先手鉄砲頭などを兼任
清泉院衝天美月居士
長野県松代市長国寺に眠る
②ひいおばあさん::室(妻) 徳田新子
③長男 誠夫 (幼没) 次男 頼誠 三男 徳次郎
④長女 八重 (幼没)
⑤徳次郎の子 盛男
⑥お爺さん :三澤輔三郎 元ドイツ大使館通訳官
東京大学医学部在学中に罹病同大学ベルツ博士に診察を受けるのが縁でドイツ大使館に54年間勤務ヒンデンブルグドイツ大統領から表彰を受ける。
萬延2年(1861年)2月27日生まれ 昭和15年2月11日没81歳 1896年父清美死す、輔三郎35歳の時
⑦お婆さん : 坂井紀伊
⑧幻玉 (幼没)
⑨次男 知雄
⑩三男 元彦
⑪四男 政雄
⑫五男 吉彦
⑬六男 秀雄
⑭七男 信雄
⑮父 : 三澤恒雄
⑯母 : 旧姓 国友 芳枝
参加人物が特定できたところでもう一つの、なぜハワイが良いのかを説明していこう。
何故ハワイでの散骨を選んだのか
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ここで、墓仕舞いを決めてからどうやってすすめて行ったかを時系列で説明しよう。
事前準備と実行マニュアル
①姉妹の了承⦅3年前⦆
実は私には姉が2人おり父母のお墓を管理するのは私と、責任分野が決まっていたが、姉は家を継いでいる訳ではないが、と言っても、将来を考えると遠い土地に住む私は、墓を管理することは出来ない、そしてそれを子供や孫に負わせることも出来ない旨を
姉に告げて散骨を考えていることを説明2人に了承を得た、姉も高齢になった時の事を考え賛成してくれたが、ハワイのイメージも良かったのかもしれない。
また父や母の親戚が少なかったのは、話を進めやすかったと思う。
② お寺さんに墓仕舞いを考えている旨告げる。⦅2年前⦆
③ お寺さんに墓仕舞いをする事と希望日程をしらせる。⦅1年前⦆
④ お寺さん出入りの石屋さんに日時を依頼、費用の見積もりを問合せ⦅1年前⦆
⑤ ハワイの散骨屋さんに連絡日程を決める。費用見積り⦅半年前⦆
⑥ 航空券ホテルの予約
いざ実行 !! (1)
【閉眼供養て何なんだ】
3月4日午前11時、ようやく閉眼供養は始まった、興味津々どう目を閉じるのか、お墓に目があるのは知らなかった。
外科手術でもこんなには短くないと思うほど、15分ほど住職が一人でお経を上げ、集まる10人ほどの親戚が何をするでもなしに、ごくごく簡単に終わってしまい、住職がこちらを向いて終わったぞの合図が無ければ、みんなが首を垂れていただろう。何だって閉山供養ショーは初めての人ばかりなのだから。
開眼供養の方は小学校の入学式みたいな、これからあなたたちは檀家になるのだから、頑張って、毎年、毎年法事に参加して、参加することに意義があるのよ、と言わんばかりの思いがこもるのであろう。
心はここを更地にして、東京青山の一等地にある墓所を、また売り出しできるのであるから、心は自然と春になるのだろう。鉦をチーン、チーンと、何故か春めいたリズムで打ち鳴らしながら、早く逢いたい入学生と背中でいいながら、そそくさと立ち去っていった。まだ冬が抜けきらない、雪の残った日であった。
残った親せきは、石屋さんがカロートから出し、二十になろうという、骨壺や骨のありそうな、土葬したとこ辺りの土をさらってくれていた、先祖軍団を1つずつ、重い骨壺からだし、長い年月で、書いてあったと思われる字もだいぶ消失しているので、これは誰のお骨かしら?骨壺にお花の絵があるから誰誰さんねと、推理の旅をしながら結構楽し気に、持参のジップロックに入れ、大きな旅行用カバンに一つずつ詰めていったが、
全部は残っていなくても、その重さは,ゆうに30kgを超えていた。一人1.5kgか~~
今私は体重90kgだから60分の一かと、変な感動も生まれてくる。それに、こんなに簡単に墓仕舞いが進んでくれるのは、兄弟が姉妹がだからなのかな~~と感謝も生まれてくる。
二人とも結婚して家を出ているとはいえ、祖先や父母のお墓を閉めると言えば、最小限反対表明が出て来てもそれはそれで一人づつの考えが違うのであるから何か言いたい奴はどこにでもいそうである。でも、二人が、私に任してくれたことは感謝しないとな、しかし
困るのは30Kgを超える旅行鞄の荷物だ、航空会社の規制に合わせるのは、土となった土葬の分の土、2つ合わせると10Kgを3Kgにすれば他の御遺骨と合わせて23Kg。
これだと飛行機に乗せてくれる。御遺骨は国によって違うかもしれないがアメリカならば許可もいらず持ち込める。申請もいらない。ただ、英語で散骨しますからと説明するのは大変だから、業者から説明の手紙や、契約書、散骨許可書(散骨をこの業者に任せますと言う手紙)を近くに帯同する事。
【最初の難関:旅行バッグの重量制限に合わせる。】
丁度滞在したホテルは新橋汐留のホテル、近くには浜離宮と言う素晴らしい恩寵公園があった
日本には散骨に関する法律・条令がない、なんと遅れた国なんだろうか、
でも今の私には感謝しかない。日本国内どこでも可能なんだから、
例えば波打ち際でもOKだ、波打ち際から何メーター沖に行くとかとの規定がない、
日本にも当然、散骨屋さんがいるが自主規定をそれぞれ作って決めているだけだ、
節度を持って散骨をすればいいとの、言葉に従っているのであるらしいが、節度ね~~
と思う、決して決まり事ではないから例えば自動車運転スピードだとすると、節度を持って運転すると言われたら、この国の道路には1日の内で数千台の事故車があふれるかもしれない。節度を持った散骨なんて、花咲か爺さんが撒くのを真似て、とか遺骨を粉にしてとか、具体的ではないことを、条例や条例で規定しないと誰も気にしない。
何故か日本では、粉骨にしなさいと言う方がいる、でないと遺骨を海の中で見つけた方がいると犯罪性を疑われると言う。でも普通散骨は50mかそれ以上の深い海に撒く。
職業ダイバーならいざ知らず、普通のレジャーのダイバーは30mも潜れないし
わざわざ海底で小さな骨片を見つける事は、小さいウニを見つけるのより、1000倍難しいと言える。
話がそれたからどんどんそれるが、なぜアメリカでは散骨にあたって全てが州の法律できていされているが日本のように粉骨にしろとか言わないのか、
それは日本の火葬状況がアメリカと違うからである。
火葬方法は同じなのだが、温度を高く焼くそうすると粉々になり易いし、おまけにそれをローラーで砕くので、とてもきれいな白い粒となる。
日本でそれをなぜやらないのか?その理由は喉仏でありそれが無いと、火葬場の係官が
御遺骨をまとめて最後に喉仏乗せて、その仏様を上に置き由来を得意そうに説明し、
蓋を閉めるがこの仏様の為にわざと焼残しを作っている。
ミディアム焼きにしている。または火葬用の石油代の節約であろう、アメリカでは喉仏の説明は必要ないし、ウェルダン(よく焼きの方が)日本のミディアムウエルより好まれるのである。
所で、あの重い旅行バッグは、航空会社では追加料金を取られてしまう。何か良い方法が無いかを考えた。それでは、土になった部分だけを散骨と言うか散土しよう。
そうだ、浜離宮で日本側一次散骨をして、
後でハワイ側2次散骨をしよう。そうすれば挟み撃ち形式で、ハワイでの散骨式に参列できない一人の姉にも参加してもらえるじゃないか。
この姉は身体が弱いと自分で思い込んでいるので、ハワイでの自然葬散骨式に参列できないと言って来たのだ。
じゃあ散骨の予定日である今年の10月15日(ハワイ時間)には浜離宮から参加してもらえばいい。海続きだから東を見ればハワイにも近い。
お先祖様の一部を一足早く浜離宮からお台場の海に向けて蒔き、重量調整は完了。
少し残った土を、どこに撒いたかは内緒だけども、余りにも白梅と紅梅が咲き始め、来年はもっと大きく成るようにと応援の気持ちで、根元に少し、良く肥えた土を撒いてきた。
但し全くの土になったものなので、骨は入っていないからこれは合法と思えるのだが
きっと来年も綺麗な梅を咲かせてくれるだろうな、それも楽しみだな。
でも決して違法の勧めではないので、良い子は真似をしないで欲しい。
おじさんでも。
ちょっとお世話になったから言うのではないが、浜離宮の公園は外人の入園者が多く、
近くの高級ホテルから徒歩で楽しめる、行楽地として人気があり、入園料¥300で
シニア¥150で古い日本庭園を満喫できる良い公園であった。カモを隠れ見れる設備を
建設中でもあり、かやぶき屋根の古家も建設中だった、来年の春も白梅紅梅は見ものだと思うので一度は来園すべき、都内の名園だし外人様にも人気ある。ここには船着き場があり浅草寺までの川旅も楽しめる。
【飛行機でハワイ着】
翌日、羽田空港からハワイのコナ行きに搭乗した。
コナを経由して、ロスアンジェルスに戻るのだ。ハワイを経由すると疲れが取れる。
またまた閑話休題、
ここで、問題を出してみよう。
昔、駐在員でアメリカに勤務していたころ、取引のある日本の自動車会社のアメリカ人幹部は、日本への出張に必ずハワイを経由していた、その頃は、この人たちは贅沢だなと思っていたが、
その後、飛行時間7時間ぐらいのハワイを経由して1泊すると、米本土に帰ってからも、すぐに時差などに掛からないで通常のように仕事ができる事が理由だった。
私の勤務していた会社のなにも専務が米本土に来た、彼は誇らしそうに私に言った。
今度から本社では専務以下、米国出張にはエコノミー座席を使うことを決めた。
当然直行便だ。
働きバチの日本人は、疲れようが狭いエコノミー席で寝れずにいようが、費用を削減が第一だ。
私は、偉くなればなるほど激務に対応することが必要で、特に長い旅では日々の業務の判断を確実にするためファーストクラスなど快適な状況にして会社幹部は出来れば少しの時差もないようにするものだと、だから重責の会社トップはそれが許されるのに、
トップにいればそのポジションにいる事もすりきれて短い。と思っていたのだ。、
では、<出題>
これだけでこの両社の将来が分かる訳はないが、20年後にはどういう行方が待っていただろう。
<答え>
その後、フランス系の自動車会社に資本提供され、完全な日本企業とは言えなくなったことは皆様のご承知済みの事、まして、ハワイ経由と言うことは無くなった。
後者は外国企業に買収され、2社に分割され元の経営陣も廃滅させれたが、
悲しむべきはそれらの企業に残り死に物狂いで働いていた従業員だ。
羽田からコナに飛び入国管理と通関が始まる。人数も少なく通関の係官もゆったりしている。
大きな旅行バッグを抱え、入国管理を終え、今度はそのバッグをレントゲンに。
ベルトコンベアーに置くとドンドン送られていく。
あれ係官誰も見ていないじゃないと思い、裏側の受け取り場所に移動しようとすると、急に女性の係官が出てきた。
係官「これはあなたのバッグか?」尋ねる言葉が少し棘があるし、険しい顔をしているし、腰には拳銃が。
私「そ、そうですよ~~~」
係官「中身は?」
私「遺骨です~~それも16人分の」
係官
「え~~~~~~~~~~っ」腰の拳銃に手が動く~~~~~~
「16人?なんなんだ~~~~~~?」
私「散骨をするつもりなんです。」
係官「じゃあ中を見せろ」手は拳銃のホルスターの上に掛かった。
「だって何でこんなに多いんだ?普通は一人分だろ?」
私「お先祖様のを全部散骨するからです。」
係官
「????????????・・・・・・?」
係官はこりゃ分からん?でも気持ち悪そうに御遺骨を見るとすぐにチャックを閉め
なんかわからんものは早く行かせようとばかり「行ってよし」と言ってくれた。
遺骨の搬入は認められているから、合法だし何の心配はないと知っていたから、何の心配もしていなかった。
でも何で係官が疑問を持ったんだろう、何で、疑問を持ったんだろう?普通の荷物となんか変わっているのかなっ?。
今度はこちらが尋ねる番になった。先ほどの係官を追っかけ聞いてみた。
私「なんで変だなっと思ったんですか?普通と違うんですか?」
一瞬ひるんで、小さい声で答えてくれた係官「バッグ中が白だったからです、普通だと服やいろいろのものが入っていると様々な色に写り例えば服は緑になるとか、」係官は気安く教えてくれた。もう拳銃に手は行っていなかった。
私「白か~~~~やっぱり、お骨だしな」何故かわからない納得をしたのであった。
それから30分後にロスアンッジェルス行きの国内線飛行機は出発した。
先に会社の重役は米本土に行く時はハワイを経由して休んでから本土に帰れなどなどと述べたが、私は重役だけど、自営業だし、個人企業だからそんなに休む経済的余裕もない訳なので
身体を休めても、明日から急ぎの仕事もないし、直行便で帰ればいいのに飛行機が好きだしわざわざハワイを経由してロスアンゲルスに帰ってきたのである。
まあ内情をばらせば、マイレージで飛んでいるし、日本での滞在も長いし、今回はハワイに泊まらなかった。
それに飛行機の中で寝るのがうまく、合計14時間の飛行中10時間半は完全に寝れるからなのです。
そうしてこの日の夜中にはロスアンジェルスに降り立った。
【庭で日光浴】
アメリカ本土に着いたことは付いたが、今度は10月の御式まで数か月の間はロスの家に
ご先祖様を招待し、泊っていただく事になるのだが16人分とは言え旅行鞄にまとまってお入り頂いたままロス生活を楽しんでいただく事にした。
まあハリウッドやデズニーランドも連れては行けなかったが、
最低でもカルホルニアの青い空は見たいだろうし、
本日は御日柄もよろしく、今日は久々の青い空が広がる。
普通では拝めない「カルフォルニアの青い空」のもと、初めてのカルフォルニアの陽光を燦燦と浴びて、長年の墓暮らしでたまった垢や、湿気を取っていただこう。
そうして、身軽になってハワイに向かおうという次第です。
日本を出る前には旅行バッグに16人分を入れ、25Kg有ったものが、日に焼いた後は
どのくらいになるか、サンタン日焼け・ダイエットして頂いて,ビフォアー アンド アフター で測るのが楽しみ、それにハワイに着く前に少し日焼けをして頂きましょう。
それに昔、ダットサンZの生みの親片山さんから散骨のいい名を頂いたし、
その名は燦骨
燦燦と御遺骨に陽を当てよう
庭のテーブルの上に、ビニールシートを敷き、個別の袋からお出しし、各々に花を添え、
3日間の日向ぼっこをして頂き、乾燥したところで、またジップロックにお入り頂きました。
もう湿気完全に無く、カルフォルニアの空気にもなれたところでもう一度旅行バックにお入り頂きました。そうするとなんと体重は18㎏迄にダイエットしていたのです
なんと土でも、御遺骨にも水分をたくさん含んでいるのでしょうか。
それまで墓石の下のカロートの中の遺骨壺に入っていたのに、どこからか水が浸入しているのですね。
この水が入ることで、分解されたりして、少しずつ地球に戻るのでしょうが、
これでは時間が掛かり過ぎるのではと思った。
これでしばらくは16名様にはカルフォルニア州の空気を吸っていただきました。
今日はハワイへの出発の日。アメリカ側家族が9名。
日本からの親戚6名がオアフ島で待ち合わせる。
年齢で言えば70代4名、40代2名、30代3名、あとは10代から5歳まで6名の構成で総勢15名、ご先祖様総勢16名とほぼ同数で総勢31名。
到着した翌日に散骨式は行うことにしました。
強行軍に聞こえるが、着いた日には飛行機で寝れなかったこともあり、みんな良く寝れるし、
次の朝は快適に起きれることも、船酔いのしないコツ。
朝食も各自取り、余裕をもって朝凪の時間を狙ってホテルを8時半に出発。
9時に乗船する。今日乗る船の船名はMAKANI全長22m、70フイート 双胴船のヨットだ、
多目的用途に使える79名まで乗れるヨットには、今日はご先祖様含めて31名、それに船長とクルーを含め3名と、ウクレレの奏者,カメラマンと合計36名が乗船、定例の事前説明を受け早々に、ケワロベーズンと呼ばれるハーバを出港する。
ここのハーバーはアラモアナの商店街にも近く、商業用の港湾施設で、船釣り、パラセールや船のチャータには使われている。
船の舫いが解かれ、湾口から出るとそこはもう一面のハワイ。
遠くにダイアモンドヘッドを望み近くのポイントではサーファーが波をつかんでいる。
光と波の色はハワイそのものだった。
考えてみれば、よくここまで来れたな、墓仕舞いも順調に行っているし,後は散骨だけだと
思った瞬間、父と母の事だけが思い出された。他のご先祖様には申し訳ないのだが、父と母がまだ健在だった頃が。
私たちの時代は、かぎっ子の1期生だ、塾通いも1期生だった、終戦後の子沢山の時で、その辺に同年代がごろごろしており、父母も共働き、小学校の頃から両親の帰りを家で待つかぎっ子で、少しでも良い学校入学の為に塾通いで学習戦闘能力を高めようと、学習塾にかよわさせられる。
両親は共働きで頑張ってくれるが、塾生番号73番の私は、こんなとこ来るより母さんが早く帰ってくれるの方が良いあまちゃん塾生であった。
近所で1軒だけ電話を持つ、親友の俊ちゃんの家は専業母親、いつでも家にいる俊ちゃんの母親は大菩薩観音か少し太めのマリア様にも見えた、神々しいくらいだった。
おまけに俊ちゃんは塾にも行かない優等生。差がついていた。
高3になり、何故か姉弟の内、私だけ大学に行けと言う。
未だに学習戦闘能力が低いので、家庭教師を雇ってくれた。
しかし皆も経験があるだろうけど、本屋に行くと急にトイレに行きたくなることが。それもナンバー2がしたくなることを
私はいつでもそうだったし、便所の場所を知ってから本屋に入っていた。
それと同じで、何故か家庭教師に教えてもらうと急に,放屁したくなり眠くなった。
寝ながら放屁したこともあった。何故だかどういう現象なのか、ストレスなのか分からないが、家庭教師もなかなか大変であっただろう。そうして大学受験に落ちた。
良かった落ちたのでもう行かなくてよいかなと思ったら,浪人して予備校に行けと言われた。
予備校に通うと、良くしたもので近くに美人喫茶が開業した。
もう完全に進学は視野に入らないので、父に相談した。
「大学に行くとどういうことが良いのか?」「どうなるのか?」
父は5分から10分間は黙考した、そして心からの声を引っ張り出し、「漢字を覚えられる」
と答えた。二つ目は、大学に行ったかどうかで、会社を受けられるかどうか差別される。
私はその答えを承服した。黙考した時間の長さとその単純明快さは,禅問答以上の名答だ。
実際に大学を卒業したが、まああまり漢字は覚えなかったが意味合いは知った。
何故行きたくもない私を、大学にも行かせてくれたのかも、なぜその為に家庭教師も雇って、
学習塾にも行かせてくれて。あんなにも自分たちが身を粉にして。
お父さんお母さん、
ありがとう。おかげで私は少し偏屈だけど正直な人となりました。
私は私が成りたい人となりました。ダイアモンドヘッドも目に入らず、紺碧の海も霞んでいた。
ほらっあそこ、イルカだよ~~~
ロイアルハワイアンホテルの方の右。
みんなの声で想いから目が覚めた。
イルカがMAKANIの周りを回遊し始めた、30~40頭のイルカが船を取り囲んで,子供のイルカも親イルカの周りを泳ぎ回り遊んでいる。
船長から、そろそろ散骨地点に着くから、用意をしたらと伝言がきた。
オアフ島の場合ワイキキ海岸は貿易風をダイアモンドヘッドが避けてくれる。
湿気を多く含んだ貿易風はココヘッドやワイマナローの海岸隆起の鋸状にギザギザした山肌に
雨を降らせてからワイキキ海岸に乾燥した風を送って来る。
船を停めると、思ったより強くうねりや波でこんな大きな船でも揺らせるが、
ダイアモンドへッドが遮っているお陰で、まして朝の凪の時間なので、海面なのに鏡の様に静かな水面となる、考えてみればハワイの島々は太平洋の真ん中に位置する。
風によっては、思わぬ揺れを受け、船酔いなどになってしまうのと、それが伝染病の様に蔓延するので、こういう細かい配慮をしてくれる散骨屋を選ぶ必要もある。私の選んだ散骨屋さんは船の船型、大きさ、出港時間、等の配慮をしてくれているので安心感が一杯だし、
船酔い防止の為の玉を次々に繰り出してくれる。
まあ船酔いを避ける為には、船酔いしそうだと必要以上に考えないことと、睡眠をよく取り、食事もいつものように取る事が重要なのだが。
普通御遺骨は骨壺の中に安置しておくが、この骨壺が御遺骨より重たいので、今回はジップロックに入れてきたが、なんせ16個分なので旅行鞄に入れてあるがそれでも相当な重量となった旅行鞄の下に付いたタイアが役に立った。ここから取り出し、用意した縄で編んだバスケット最下部に葉や花の花弁でベットを作りその上に御遺骨を分け入れた。そしてバスケット一杯にまた花弁で御遺骨を隠し、その上には参列したみんなで協力して花を活けた。
花の種類はいろいろでトロピカルな草花で飾ると、ハワイらしさを彩れる。
散骨には花が重要な役を担ってくれる。
花が落ち込む心を元気づけてくれるだけでなく、御式そのものを彩ってくれる。
ところがなんせハワイではほとんどの花が輸入に頼っており高価だ。
お勧めは、日本でもお馴染みのCOSTOCO、アメリカの企業だしハワイにもある店舗で、
会員の方はぜひ購入しよう。
スーパーマーケットあるけども,花の数はこちらの方が上だし安い。オアフでは空港とワイキキの間に店舗を構えている。
花もそろい、もう一つ必要なのはリース。
これも重要な役を果たす。御遺骨を散骨した後花で飾られたリースを海に投げ入れると、
それが灯台の役目をして、いつまでも散骨の場所を明らかにしてくれる。
船から見るとあそこが投入場所と分かる。例えば水に溶ける用紙に、お手紙を書いてリースに付け投入しても良いだろう。このようにみんなだ作る散骨式が良いと思う。今までは宗教にのっとり、葬儀屋さんや宗教家に指示されて、御式を構成していたのに、全部自分で創り上げられる御式なんて考えもしてなかった。そういう御式が作られるのは散骨の最大ポイントであることが分かった。
後の花びらは,投入用にと花弁だけをばらばらにして、他のバスケットに入れる。
これで用意は万全、あとは式無き御式をするばかりとなり、全員が集合した。
さあこれで、自分で考えた、とっておきの御式を始めよう。