僕がフットボールと共に歩む理由
初めましての人、そうでない人、こんにちは。
何か、こう、noteという媒体で物を書くのは初めてなもんで、何から書けば良いのやらと思案し、とりあえず今自分が新幹線の中でポチポチとこの文を打つまでに至るちょっとした自己紹介みたいなものを書いてみます。よろしくお願いします。
フットボールとの出会い
Jリーグ誕生前夜の広島に生まれ、広島の西側で育ち、電車と飛行機が大好きな少年になった私ですが、スポーツの興味は全て広島カープに向かっていました。W杯のフランス大会も何となく起こった事だけを覚えてて、日韓大会は中学校のテレビで熱狂はしたものの、ブームが過ぎればそれで終わり。日々自宅から路面電車で30分ちょっと掛けて市民球場に足を運んでは、超絶弱小球団だったカープをガラガラのスタンドでおおよそ青少年とは思えない程汚い野次を飛ばしながら応援してました。
今振り返れば、何かを応援する基礎みたいなものはこの時期に醸成されたのだと思います。
時は経ちマツダスタジアムの建設が進む頃、大学生になっても実家暮らしを続ける私が始めた人生最初のバイトがテレビ局のカメラアシスタントでした。要はテレビカメラの横についてるお供です。仕事は中々ハードではありましたが、色んな場所に行くという点ではこれ以上ないバイトであり、例えば殺人事件現場や完成前のマツダスタジアム、取材相手も警察に芸能人や総理大臣などなど。もうお分かりでしょう。このアルバイトこそ、長く続くフットボール。そしてサンフレッチェ広島との出会いです。
カメラマンの横にお供するカメラアシスタントは、ピッチの横に構えるカメラの邪魔にならぬ様、それでいてテープ補充や不具合時にすぐフォローが出来る様、実はカメラマンの足元にしゃがんで待機しています。メディアスタッフに与えられるビブスは3種類あって、中継スタッフ用の灰色、スチカメ(写真)用の黄色、テレビカメラ(中継でない)用の赤色があるのですが、私が関わっていたのは赤色の仕事になります。普通初スタジアムは観客席と9割9分9厘決まっていますが、私の場合ピッチサイドがスタジアムデビューでした。これは今でも自慢しています。
スタジアムで驚いたのは、現場レベルで観る試合の臨場感(当たり前か)もそうですが、サポーターの作り出すチャントの一体感が素晴らしかったという事。野球には無い声と手拍子のみのソリッドな応援、お腹の底にズシンと来ました。あぁ、何てカッコいい応援なんだ!
そして何より気に入ったのは、ゴールの瞬間生み出される圧倒的な爆発力。フットボールは不確実の連続性があるスポーツで展開の予測が出来ない分ゴールした時のスタンドの盛り上がり様は凄まじく、老いも若きも立ち上がり、それはそれは声にならない歓声を上げ、まさに爆発という言葉がふさわしい程の盛り上がりを見せます。
これはおもしろそうだ!と好奇心が動いたが吉日。そこからプライベートでもスタンドに足を運ぶようになり、あれよあれよとサポーターの仲間入りをしてしまいました
自らを棄てようとした時期と、救いの手
自由と堕落にまみれた大学生生活も終わり、晴れて社会人になることが出来ました。全国企業、夢にまで見た志望業界、しかも赴任地は広島。またしても実家生活です。
意気揚々と、そして鼻高々と社会に殴り込みをかける新入社員。もう、その鼻を折られるのが目に見えています。はい、やっぱり折られました。お局様に嫌われたのが運の尽き、人見知りと新入社員特有のプライドの高さを発揮し、かくしてゆとり世代期待の一期生は会社において孤立してしまいます。仕方ない、ここは新入社員の特権「さっそく退職」のカードを切るべき所ですが、その勇気さえも出ず。こうなると手もつけられません。
人に裏切られるのはいずれ仕方の無い事と割り切れますが、自分で自分を信用出来なくなったら最後です。徹底的に自分を責め続けた結果、手足は痺れ、満足に朝起きられず、さらには突然意識が飛ぶという3コンボをかまし、社会人1年目も終わりに近づいた頃、めでたく「うつ病」と診断されるに至りました。
翌春には異動が控えていました。特に後任に引き継ぐ様な積み上げも無く、完全にダウンしてしまった私。会社に休めと言われ、家に閉じこもる訳にもいかず(親にカミングアウトしてなかった)当時付き合っていた彼女の家に入り浸る訳にもいかず、そんな時に自分を受け入れてくれたのがスタジアムであり、フットボールであり、サンフレッチェでした。応援をしている時、ゴールに熱狂している時、人は全ての悩みを忘れることが出来ます。心から笑い、心から喜ぶ事を許されます。人間としてもっとも基礎的な部分、感情の表現を失いかけていた自分にとってまさに「生きがい」を見つけた瞬間でもありました。
再びの救いの手
うつ病も快方に向かい、何とか会社でもやっていける様になった頃、新たな壁が立ちはだかります。
その名もIBS。ちゃんと書けば「過敏性腸症候群」。高速道路で渋滞に巻き込まれたりすると、今までそんな気無かったのに急にトイレの事が気になる時ありますよね。平たく言うとあれの酷いやつがいつも続く感じです。なかなかのハードモード。5分の外出もままならず、通勤はまさに戦地に赴く気分。外回りなんかさせられた日にはもう地獄です。
しかし不思議と、スタジアムに行ってサンフレッチェを応援するんだという欲は消えませんでした。というより、スタジアムに足を運ぶことによって、必死にIBSと抗おうとしていました。そして2015年、縁あってサンフレッチェ関連のwebライターの仕事を仰せつかることになり、今度は自分から外出に関して「逃げれない」状態に追い込むことにしました。
そんな訳で2015年は各地を飛び回りました。転勤で岡山に異動した事もあり、ホームもアウェイ状態。そこに加えて松本や味スタ、仙台に鳥栖。日本平や万博、吉田での練習試合にも行きました。加えて話のネタになればとJ2にも足を運び、天皇杯やCS、しまいにはクラブW杯にも足を運びました。
長時間の待機列、移動の飛行機や電車バス。それらの移動を繰り返しているうちに、不思議と症状の波が収まっていきました。
だから僕は、フットボールと共に歩む
だから僕は達観しているとか、そういう偉そうに言う訳じゃなくて、あくまでも持論として、フットボールは人生の縮図と僕は考えています。
先にも書いた通りフットボールは不確実が連続するスポーツです。野球みたいにピッチャーが投げた球を打つかどうかではなく、フットボールは全ての動きに予定稿はありません。まさに人生と同じです。だからこそ面白いし、ゴールの時にあれだけ喜べる。その瞬間人は純粋な気持ちで感情を爆発させています。
今自分はこれだけ純粋に万人が楽しめるスポーツを、もっと多くの人に広めたいと考えています。人ひとりの病を治す力を持っているのですから。
特に広島。ここは中々広めるのが難しい土地です。もっと広島の人にフットボールを、サンフレッチェを知って貰い、たくさんの人に応援してもらって時間を共有してほしい。それが今の僕に出来ることだと思いますし、何よりそれがフットボールへの恩返しになるはずなので。
とまぁ色々と簡単なここまでのいきさつを兼ねた自己紹介でした。
これからフットボールもそうだし。色んな事に広くアンテナを張って書いていきたいなと思っています。どうか宜しくお願い致します。
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