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『草の響き』斎藤久志監督インタビュー

『草の響き』のプレス資料より、斎藤久志監督インタビューを紹介いたします。


Q まずは製作の経緯から教えてください。

斎藤 2018年の函館港イルミナシオン映画祭に『空の瞳とカタツムリ』で行った時、菅原(和博)さんが観に来てくれて、その時初対面だったのですが、「飲みませんか?」と誘ってくれて上映終了後、飲みに行ったんです。実は菅原さんは飲めないんですけど(笑)。菅原さんは、僕の映画自体初見だったようで、その時ほかの作品を観たいと興味を持ってくれたので、帰京後DVDを焼いて送りました。そしたら2020年の年明けあたりに電話がかかってきて「今年は佐藤泰志没後30年とシネマアイリスの25周年が重なるので5作目として『草の響き』をやりたいと思っている」と言われました。まずは僕に声がかかった事が驚きでした。「大阪芸大だからですか?」(過去4作品の監督は大阪芸大出身か北海道出身のどちらか)と半分冗談で訊きましたが、「今回は自分と同世代の監督とやりたい」と言ってくれました。

Q 『草の響き』映画化にあたって、どのようにアプローチをされましたか?

斎藤 小説『草の響き』は、主人公のモノローグで綴られている作品で、自律神経失調症と診断された男が医者の勧めでただひたすら走るだけなんです。これをそのまま映画にするのは難しいだろうとまず思いました。ひとりの主人公が周りを観察しているだけの話では、映画としての世界が狭くなりすぎる。小説は全編モノローグでいいですが、映画でそれをやるとつまらなくなる。そこでこの物語には、精神を病んでいく主人公を見つめる誰かが必要だと思いました。それと原作の舞台は、東京の八王子なんです。菅原さんからは「監督の好きなようにやっていい」と怖しい事を言われました(笑)が、舞台は函館にする事。それと「アメリカン・ニューシネマみたいにしたい」というオーダーがありました。

僕は、単純にまんま舞台を八王子から函館に移せない必然が小説の設定にあると感じたんです。まずは、それをどうやって函館にするか。そこからスタートしました。

佐藤泰志の小説の多くは、佐藤さんの人生をモチーフにしている。実際、佐藤さん自身が自律神経失調症を患って、医者に言われて走っているんです。ただ原作が一人暮らしの若者であるのに対して、実際の佐藤さんは、その時期結婚されていて、翌年には子供が産まれている。その少し後、東京の会社を辞めて一度函館に戻っている。こうした事実をもとに、原作にはない妻という存在を物語に加えてみようと考えました。言ってみれば佐藤さんがこのモチーフを作品化する時にずらした時間を元に戻した、と言ってもいいのかもしれません。

Q 夫婦の物語はどのように膨らませていったのでしょうか。

斎藤 脚本は、僕の妻でもある加瀬仁美に頼みました。彼女とは結婚する前に『なにもこわいことはない』(13)というオリジナルシナリオで子供を産まないと決めて一緒にいる夫婦の話をやっていました。だからと言う訳ではありませんが、今回は子供を産む話にしようと。その上でこの妻は、こんなにも自分勝手な最低の夫になぜ寄り添うのか。その視点から見てみようかと。主人公は男です。それを客体化する為には女性に書いてもらった方がいいのではと考えました。撮るのは男性である僕ですから、その前に一度女性の視点でしっかり書いてもらうことで、妻という存在も、この物語も、より立体的になるんじゃないかと思ったんです。

それと何よりもこの映画の発注が来た時、彼女は妊娠していました。二度とない絶好のタイミングだと思ったのです。実際は、悪阻がかなり重くて大変だったのですが、この時期だからこそ発見できた具体があったと思います。クランクインの前日に妻から「映画とお腹の赤ちゃんを一緒に育てる特別な10ヶ月間だった。ありがとう。明日からクランクイン、いい作品にしよう」とメールが来ました。本来の出産予定日はクランクアップ後だったのですが、撮影半ばで産まれました。その為しばらく子供に会えませんでしたけど(笑)。

Q 斎藤さんの人生もそこに重ねたと言う事でしょうか。

斎藤 映画の為のストーリーは100%脚本の加瀬が作ったものなので、正確には分かりませんが、僕の方から自分たちのことを入れていこうとは言ってません。ただ佐藤作品に拮抗するためには生半可に勝負できないと思ったって事ですかね。

その意味も含めて、初稿が出来た時点でプロデューサーの鈴木ゆたかと一度、函館に行きました。そこで佐藤泰志が描いていた(かつての)函館と現在の函館の差を感じました。それを悪阻がひどくて行けなかった加瀬に伝えて初稿の具体的な箇所を整理して、直してもらいました。それは場所や距離感とかも含まれていて、例えば和雄と彰たちが出会う場所を緑の島にする事でディティールが見えてきたりしました。

Q 原作では暴走族だった若者たちは、映画ではスケートボードに夢中になる10代の若者3人に変わっていますね。

斎藤 それは菅原さんから「暴走族は古いんじゃないか」と言われた事がきっかけです。

スケートボードは、原作では暴走族がたむろして遊んでいる時、滑っている奴がいる程度だったのを加瀬がバイクの代わりとして使ったんです。原作では、彼らは和雄から見た存在でしかなかったので、そちら側の物語も作りました。『黄金の服』という佐藤さんの小説から、モチーフを借りて彰と弘斗、それに加わる弘斗の姉・恵美という関係を作ってます。和雄の存在と、若い彰の存在が共鳴しあうようにしたかった。精神を病むと言う、なかなか他人には理解しにくい事をどう見せられるかというアプローチのひとつですね。

僕は今回、現在手に入る佐藤泰志作品は全て読みました。その上で加瀬には参考になるかもしれないと思ういくつかの作品を読んでもらいました。それがシナリオに大なり小なり活かされています。

Q 和雄が自殺未遂をして入院してしまうというエピソードは原作にはないオリジナルです。これも佐藤さんの実人生も踏まえながらつくっていったんでしょうか。

斎藤 そうですね。就職が決まり、最初の子供が産まれた年に佐藤さんは最初の自殺未遂を起こして入院しています。それとこの映画をどういう映画にしようかという加瀬とのやりとりの中で、僕はトニー・リチャードソンの『長距離ランナーの孤独』(62)と神代辰巳の『青春の蹉跌』(74)と言っていたんです。彼女の方からはグザヴィエ・ドランの『Mommy マミー』(14)と。それらを一緒に観直しました。その中で菅原さんのオーダーであったアメリカン・ニューシネマの精神病院を舞台にしたミロス・フォアマン『カッコーの巣の上で』(75)も観たんです。そんなことが複合的イメージとなってああいうラストになったんだと思います。

和雄は自殺未遂をすることで結局純子を裏切ってしまいます。おそらくこの夫婦は、修復不可能なんだと思います。それでも和雄は走り出します。純子は会いたかったキタキツネに最後の最後に出逢います。それがどう見えるかは、観る人によってまったく違う答えになっているのかもしれませんが、僕にとってはこの映画は、どうして人は誰かと一緒にいたいのか、という問いに対する、一つの答えかなと思っています。