【イベントレポート】特集12月3日『岡山の娘』 ゲスト:新谷和輝
2008年の福間健二監督第2作『岡山の娘』のトークゲストは、ラテンアメリカ映画研究の新谷和輝さんです。お相手は福間恵子。二人の共通項は岡山県出身。倉敷市に育った新谷さんと郡部の田舎に育った恵子さん。時代は異なれど、普通の地方都市の環境と方言がまだ残る人々の中で生きてきました。そんな二人が『岡山の娘』への思いを語りました。
この映画が撮影された2007年、僕は13歳。岡山市に当時出来たばかりの映画館シネマクレールに通ってたから、そのまわりの場所が出てくるのを見て、もしかしたらすれちがっていたかもしれない、と新谷さん。
そして、まずいいなと思ったのは、岡山で撮ったほかの映画と比較にならないほど、岡山弁が気持ちいい。主役のみづきさんはニュートラルな感じでたまに岡山弁が入るけど、怒ったときの岡山弁がすごくよくて、ああ僕も同じだと思った。感情が入ると今でも岡山弁じゃないとしゃべれないことがあって、そういうのがいいなあって思った、と同郷ならではの感想を述べます。
そして顔! 時代ということもあるけど、東京には絶対ない岡山にしかない顔。それが何なのかはうまく言えないけど、その複数の顔を撮れていることが素晴らしいと新谷さん。
その背景には、岡山に普通に生きているリアル岡山人たちが出演し、またスタッフとして参加したことが大きいかもしれない。その集団の中には普通の岡山弁が交わされていたはずです。
この映画は、撮影途中に主役が降板したことで、大きな変更を余儀なくされた。そのためにシナリオは連日号外を出さなけれなならないほどに書き直され、不安定で混乱する現場でもあった。その危うさが、主人公みづきや父に、さらには映画全体に反映されてもいるようにみえる。
新谷「福間さんの映画の中で、『岡山の娘』は一番謎ですよね。その後の映画はある意味落ち着いて、しっとりしているところがあるけれど。冒頭あたりの岡山大学のシーンで無音になるところ、あれ、僕のP Cが壊れたかと思った、今日スクリーンで見ても思った」
恵子「あの長さねー! あの無音は、わたしが長くしたいと言ったのに、自分で忘れていて、今日久しぶりに見て、長すぎると思った」(場内笑!)
新谷「路上でいかつい男が暴れているところとか、まるでゲリラ撮影のようで。そんな危なっかしさ、野蛮さがあちこちにある。物語はいちおうあるけれど、1秒ごとに変わっていくみづき、彼女をとりまくすべての危うさがすごく面白いと思った」
『岡山の娘』の中に、危うさが粒子のようになって連なっている、あの花火のように。その瞬間瞬間の輝き、それをずっと見ていたいと思った。そして『岡山の娘』と『きのう生まれたわけじゃない』は似ていると思った、新谷さんはそう言う。
「謎」に満ちた『岡山の娘』の魅力は、とても30分では語りきれません。
打ち上げの席でも、今日見てくださった方との「岡山談義」はいつまでも。
今日も教えられることばかりの福間恵子でした。
「わからんなあ」と、きっと頭を抱えた方も多かったことでしょう。
しかし、この映画を下敷きに動いていった福間監督を彷彿した方もおられたことと思います。
新谷和輝さん、観客のみなさん、どうもありがとうございました。
Not Born Yesterday 福間健二監督特集1969-2023は、12月22日までつづきます。
新作『きのう生まれたわけじゃない』で初めて福間映画に出会った方も、これまでの作品を何度でも見たいという方も、ぜひポレポレ東中野に足をお運びください!