【寓意】真理
母はりんごが好きだ。だからうちには一年中りんごが置いてある。
それは必ず赤いもので、一度も切らしたことがない。
一個食せば一個足す。いつでも、行儀よく三つ、カゴの中に並んでいるのだ。
私は、あおいりんごを食べたことがない。
あおどころではなく、みどりもきいろも、しろもくろもだ。
私が願ったところで、母が譲るわけがない。
母にとって、りんごは赤だけなのだ。
ある日、だいすきな桃色のクレヨンで、りんごを描いた。無垢な心で幼い私は自由に想像していた。自分でも満足な出来栄えだったので、母のもとへ嬉々として見せに行くと、悲しい顔をされた。
それ以来、私は描くことを諦めている。
色とりどりに見えたりんごは、あかにしか見えない。
私はいろんなところが膨らみ、大人といわれるようになった。
母はもうこの世界にはいない。
母が存在していたのかさえ、私にはわからなくなっている。幼かった私が、ほんとうに私だったかさえも分からないように。
しかし、りんごは存在するし、私という塊も今此処に在る。
そして、私のりんごは赤でも桃色でもなく緑だ。
途中の今は此処にはない。
今は今のみ。
私という世界のなかで、りんごは色を変えた。
正解も不正解もない。
緑のりんごを手に取り、幼い我が子をみる。お絵描きタブレットは膨大な色に塗れている。
果物ナイフを手に取り、りんごを切り分けた。
中身は桃色だった。いや赤色だった。
私の頭は混乱する。
母の悲しい顔を思い出す。
りんごをウサギ型にして並べた。
私は受け入れる。
かわっていくものを。
勇気を持って自由に、いま此処に在るものを。
母はもう居ない。
私は此処に居る。
Contemporary Art School Kotte《コッテパンダン
展》出展作品
『そもそもりんごではないのかもしれない』
ミクストメディア から
既存のものから文面を変えました。自分の目指す場所が変わったから、かもしれません。
敢えて、解説はしません。解釈は受け取る側の人生によってかわってくるからです。あなたはあなたの色をみつけてくださいね。