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【掌編小説】窓


 雨が激しくなってきた。
 雨粒が窓をたたき幾つもの筋を付けていく。
 ここの窓にはひさしがない。
 ビルの一室をリノベーションしているが、窓はそのままの形を保っている。
 だから、住宅規格サイズなわけがなく、部屋の中を外界から覆いたいのであれば、特別に手を加えなければならなかった。
 カーテンもシェードもブラインドも、俺には必要ないと思った。
 規格サイズではないことが、あえて都合がよかった。
 用意されているのに、なぜ?と聞かれなくて済む。


 テーブル横の植物棚に並べてある鉢を覗くと、小さくてかわいい芽が顔を出していた。春がくることを感じる。
 窓際のソファーに座り、安物のスコッチを舐めながら外の景色を見る。正しく言うならば、目の前にあるビルを見ている。
 中層ビルが立ち並ぶ中で、せわしなく働いていた誇り高き戦士たちは、どこへ消えてしまったのだろう。この辺一帯のビルのほとんどは、もうオフィスとして機能していない。
 目の前のビルは倉庫として使っているのかダンボールが積まれていて、同じ人間が毎日やってくる。
 はじめは、誰かがいる程度の認識だった。しかし、ある日を境にその認識は別のものに変わってしまった。あの時の光景は今でも鮮明に覚えている。

 朝から雪が止めどなく降り続けていた日だった。外気温との差に窓はくもり、はっきりとは見えなかったにもかかわらず、俺は感じていた。
 その少女は踊り出した。
 ステップ、ターン、ジャンプ。
 ダンボールやスチール性の錆だらけであろう棚を避けながら、華麗に、しかし、たどたどしくもある動き。
 同じ動作を繰り返していたり、考え込んでいるのか歩きはじめたり、水を飲んだり。
 得体の知れない生気というものを、感じないわけにはいかなくなっていた。
 赤の他人に関心を持つことがどんなに危険なことか、十分理解しているはずなのに、止められなかった。
 ここは規格外の場所だというのに。

 少女は毎日、一定の時間に現れる。
 踊りの練習をしているのか定かではないが、三十分ほど踊った後、棚あるいはダンボールから何かを選び取ると、持参している大きなバッグに詰め込み部屋を出て行く。
 この一連の動作を見届けることは、かろうじて生きている俺の日課のようになっていた。


 グラスの底に残った薄い酒を一気に煽った。氷はすでに溶けきっていたが冷蔵庫まで足を運ぶのも億劫だったので、そのままグラス三分の一まで注ぎ、口に含む。
 窓に、少女の姿はまだない。

 太ももをさすった。
 今日は特に痛む。
 度数の高いアルコールでもごまかしがきかなくなってきたということか……。
 痛む方の足をさすりながら、ソファーに背中を預けた。
 雨の音がより濃く聞こえてくる。
 寒気を感じ、横のベッドから毛布を手繰り寄せた。分厚くて硬い毛布は、一度も日に干していないので汗を吸ってさらに重くなっていた。
 痛みから逃げるように、睡魔が襲ってくる。
 今日はもう来ないのだろうか……。



 雨が上がり雲間から光が漏れている。
 体を起こすと、足の痛みが消えていた。
 治ったのか?
 俺は嬉しくなって歩いてみた。
 痛くない。
 これは夢なのか?
 いや現実だ!
 こんなに鮮明な夢はない。
 俺は試したくなった。
 あの少女のようにステップを踏んでみた。
 少しよろけたが、うまくできた。
 今度はくるりと回ってみた。
 視線を感じた。
 少女が、こちらを見ているではないか。
 俺は恥ずかしくて肩をすくめたが、幸福を感じもっと踊ってみせた。
 すると、少女も踊り出した。
 二人は雲間からさす光のスポットライトを浴び、笑いながら踊り続けた。
 たくさん踊ったせいか喉がカラカラになった。
 少女はいつものように水を飲んでいた。

 俺も何か飲まなければ。
 喉の奥が痛い。
 蛇口をひねり、コップに水を入れた。
 ごくごくと、一気に飲んだ。
 もう一度飲んだ。
 しかし、いくら飲んでも喉の渇きは癒されなかった。  口の中がざらついて、喉の奥の方から何かが迫り上がってきた。それは大量の砂で、吐いても吐いても体の中から出てきた。
 砂は熱く、喉は焼きただれそうだった。
 体中が痛くなり、悲鳴を上げた。
 治ったはずの足から嫌な匂いがした。見ると傷は変色して膿んでいた。変色した部分は足全体に広がっていく。
 俺は最後の力を振り絞り、窓枠に手を伸ばし目の前のビルの窓を確認した。
 少女の姿はなかった。
 ダンボールもスチールの棚もなかった。
 窓から見える景色は、初めから何もなかったかのような顔をしていた。
 西日だけがビルの壁に、光と影を落としていた。


 目が覚めると、辺りは真っ暗だった。
 一瞬自分の身に何が起こっているのか分からず、目の前にあるグラスに手を伸ばし液体を流し込んだ。
 尋常ではないほどの汗をかいていることに気がつく。
 毛布で汗を拭いながら、スタンドランプをつけようと立ち上がった瞬間、体の異変を感じた。痛みと熱と肉体の存在がごちゃ混ぜになって、意識が体から離れていくような感覚に襲われた。
 体を引き摺り蛇口に向かう。
 水だけは飲みたかった。
 まだ生きていたいと思った。

 水は、きちんと俺の体を潤してくれた。
 あれは、夢だったのだ。
 もう大丈夫、水は俺を枯らさない。

 明日の朝、目が覚めたら花を買いに行こう。
 あの少女に似合う花を。
 そう強く思った。


 窓から淡く光る月が見える。


 俺は安堵し、静かに目を瞑った。



 完


あとがき
 男は少女の素性も無知も罪も何も知らない。
 窓は全てを見せて全てを隠し、男に希望を運んだ。
 よく考えたらおかしなことも、自分の為に都合よく解釈したり、目に見えているものだけで判断したり、人間って哀れだなと思う。
 でもね、真実だけが人間を救うのではないんだよ。
 そんなふうに思ったりもする。












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