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この1枚 #2 『Grievous Angel』 グラム・パーソンズ(1974)
カントリーロックの素晴らしさを理解するならこの1枚。Keith Richardsにリスペクトされた男として知られるグラム・パーソンズ。これを聴けばカントリーへの偏見は霧消し、新しい世界感が広がります。
遺作となった『Grievous Angel』
『Grievous Angel』(グリーヴァス・エンジェル)は、Gram Parsons(グラム・パーソンズ)の2枚目のソロアルバムです。1973年1月の「GP」に続いて1974年1月にリリースされました。
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録音は1973年、そしてその後1973年9月にモルヒネとアルコールの過剰摂取によりグラム・パーソンズは旅先で亡くなってしまいます。そして4ヶ月後の1974年1月にリリースされた、言わば遺作となるアルバムです。
7月にオランダのアムステルダムに旅行した時、Velvet Recordと言うレコード店で長らく探していたこの新品を見つけて、即買いしました。
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チャートの結果はビルボード195位止まりでしたが、本作を一度でも聴けばチャートとクオリティは比例しないことが、良く理解できます。
ストーンズやイーグルスなど彼の影響を受けたミュージシャンは数多いますが、影響だけでなく彼自身のサウンドにも耳を傾けて欲しいと思うと、これは遺作ながら入門編としても最適な心に染みる佳作です。
Emmylou Harrisとのデュエットアルバム
このアルバムは事実上はフォーク&カントリー歌手のEmmylou Harris(エミルー・ハリス)とのデュエットアルバムとなっていて、裏ジャケにもwith Emmylou Harrisと印字されています。
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自分がエミルーを知ったのはThe Bandの1976年の映画「Last Waltz」での客演ですが、本作への参加はそれより前で、まだ実質的には彼女のデビュー前の無名時代のことでした。
Return of the Grievous Angel(A-1)
1曲目のReturn of the Grievous Angelは、グラムのボーカルに続いて被られるエミルーの素晴らしいハーモニーに早くも心奪われます。
後日公表されたオルタナティブバージョンでは、いきなりエミルーがハーモニーを付けていてこれも聴き物です。
Acoustic GuitarはFlying Burrito Brothers(FBB)の元同僚で、当時はイーグルスのBernie Leadon。「Desperado」の発売が1973年4月なので、その前後に本作に参加したようです。
その他Acoustic GuitarにHerb Pederson、Electric GuitarはJames Burton、Pedal Steel GuitarはAl Perkinsと辣腕たちが支えます。
James Burtonはエルヴィス・プレスリーのTCBバンドのリーダー。彼以外にもTCBバンドのメンバーが全面的にサポートしています。
Al Perkinsは当時はManassasに所属してましたが、以前はイーグルスのドン・ヘンリーとシャイロと言うバンドで同僚でした。
1982年リリースのLast Dateと言うエミルーのライブアルバムでもカバーしています。
そして『Return Of The Grievous Angel: Tribute To Gram Parsons』と言うグラムのトリビュートアルバムでは、Lucinda Williams と今年亡くなった David Crosbyが本曲をカバーしています。
Return of the Grievous Angel / Lucinda Williams & David Crosby
Gram ParsonsとEagles
さて自分がGram Parsonsという名前を最初に見たのは、中学生当時に買ったイーグルスの「On The Border」のライナーノーツかと思います。
この「On The Border」で発表されたのが、前述のBernie Leadon作のMy Man。
この曲についてはGram Parsonsに捧げられたと記載されていて、グラムの死後一年後の1974年に発表されています。
バーニーにとっても渾身の名曲で、これ程の曲を捧げられたグラムという人物はやはり余程の傑物だったのでしょう。
歌詞も胸熱でグラムへの想いをこう歌っています。
「I once knew a man, very talented guy
He's sing for the people and people would cry
(私はかつてある男を知っていた、とても才能のある男だ
彼が人々のために歌うと、人々は泣くんだ)
Bernie Leadonのイーグルスまでの道のりついては以下に書きました。
バーニーはFBBへの在籍は「Burrito Deluxe」、「The Flying Burrito Bros」と2枚のみですが、Older Guysをグラム、Chris Hillmanと共作しており、曲作りを共にして彼の偉大さを理解したのでしょう。
Hickory wind(B-1)
セールス的には恵まれることはなかったグラムですが、「カントリーロックの創始者」などの代名詞と共に名前先行型のミュージシャンでもあります。
グラムは前述したDavid Crosbyが脱退後のThe Byrdsへ1967年に加入します。そして彼等をカントリー色の強いサウンドに染め上げアルバム「ロデオの恋人」(Sweetheart of the Rodeo)を制作し、これがカントリーロックの起源と言われます。
My Manの歌詞にも「Like a flower, he bloomed till that old hickory wind」と歌い込まれるHickory wind。
これは「ロデオの恋人」にも収められている名曲Hickory windのことですが、『Grievous Angel』でもCash on the Barrelheadと共にライブ仕立てのメドレーMedley Live from Northern Quebecとして再演されています。
しかし、このアルバムの発売前にグラムはByrdsを脱退しChris Hillmanと共に1968年、FBB(フライング・ブリトー・ブラザーズ)を結成するのです。
ついでに言うと、もう一つのグラムの代名詞が「ストーンズにカントリーを伝授した男」で、今はこの部分が最も一人歩きしているとも言えます。
その辺りについては、キースにスポットを当てて、以下の記事でも書いています。
ストーンズのカントリー路線の象徴的な曲が「Wild Horses」ですが、グラムもFBB時代に『Burrito Deluxe』(1970年)に収録しています。
当然ながらKeith Richardsはグラムのトリビュートライブに駆けつけますが、そこではこのHickory Windを演奏しています。
Love Hurts(B-2)
そしてキースは『Grievous Angel』でも歌われたLove Hurtsを、同じグラムのトリビュートライブでNorah Jonesとデュエットしてます。
Love Hurts Keith Richards (feat. Norah Jones)
そしてNorah JonesはグラムのSheを「Covers」で取り上げてますね。
Love Hurtsは本作からのシングルカットでもあります。
オリジナルはThe Everly Brothersで、数多くのカバーがあります。
Love Hurtsで珍しいのはTrafficのJim Capaldiのカバーです。
そして、エミルーはElvis CostelloともLove Hurtsをデュエットしています。
そしてグラムをリスペクトするコステロは、FBBのHot Burrito #1をI'm your toyと改題してカバーもしています。
本作最大の収穫と言えるのは実質的にはデビュー前のEmmylou Harrisの透明感のある初々しい歌声です。
グラムの亡き後エミルーは1975年の『Elite Hotel』 で成功を収めて、グラミーを獲得、その後もグラミー賞14回受賞など華やかな実績を積み上げるのです。『Elite Hotel』 では、グラムとChris Hillmanの共作Sin Cityもカバー。元々、グラムにエミルーを紹介したのはFBBの元同僚Chris Hillmanなんですよね。
エミルーはグラムの死後も『Grievous Angel』のスタイルを継承し、また新しさ付加しつつグラムの後継者としての活動を続けていく。
エミルーは1998年リリースのSpyboyでもLove Hurtsを再演している。
In My Hour of Darkness(B-4)
本作最後のIn My Hour of Darknessはグラムとエミルーの共作。
Linda Ronstadtがバッキングボーカル、Bernie Leadonがドブロとイーグルス人脈がサポートしています。
Gram Parsons、Emmylou Harris、Linda Ronstadtと言う珠玉の三声コーラスが聞くことができます。
グラムの死後、失意のエミルーを励まし、再度立ち直らせたのがリンダと言われています。
1987年にはドリー・パートンを加えた3人で『トリオ』(Trio)をリリースし、チャート6位となり世界中で400万枚以上を売り上げるヒットとなります。
ロックの殿堂でもエミルーはリンダのインダクションを務めています。
Ooh Las Vegas(B-3)
Ooh Las Vegasは前作の「GP」でプロデュースを担当したRick Grechとグラムの共作です。Rick Grechは元Blind Faith、元Trafficのベーシストとして知られています。
エミルーはOoh Las Vegasを、本作の一年後にリリースした「Elite Hotel」で早くもカバーしています。
BassがEmory Gordy、 PianoがGlen Hardin、 Electric GuitarがJames Burtonと「GrievousAngel」で演奏したメンバーを揃えており、グラムへの想いを感じます。
そしてトリビュートアルバムでのCowboy Junkiesのカバー。
Brass Buttons(A-4)
最後は唯一グラムの単独ボーカル曲のBrass Buttons。
後にはFBBと共にカントリーロックを代表するPocoがカバーしています。
自殺した母親に捧げたと言う歌詞を持つ、この曲はグラム特有の哀愁に満ちています。
死して名を残す
アルバム完成後に、グラムは好んでいたカリフォルニア州のジョシュア・ツリー国定公園にツアー前の休養に訪れます。しかし、1973年9月19日その地で帰らぬ人となるのです。この時、グラムはまだ26才でした。
死因は、モルヒネとアルコールの過剰摂取。知人が彼の棺を盗み出し、カリフォルニアの砂漠でグラムの遺言通りに火葬されます。
この名作『Grievous Angel』の録音は済ませたものの、グラムは本作のリリースを待たずにこの世を去るのです。
グラムとエミルーの関係を気にしたグラムの妻、グレッチェンはアルバムの表紙からエミルーの写真を削除し、裏表紙のクレジットに彼女を降格させています。
その気持ちは理解できないことはありませんが、グラムは才能あるエミルーを少しでも世に知らしめたかった、という純粋な想いは霧消しました。
それでもエミルーがグラムの遺産を引き継ぎ、後継者として彼を上回る名声と実績を残したことで、故人の気持ちも報わたのかもしれません。
Emmylou Harris & friends A Tribute to Gram Parsons
最後にEmmylou Harrisが1999年に主催したGram Parsonsのトリビュートライブの映像で、この文を終わりとします。ゲストにChris Hillman、そしてハウスバンドにはBernie LeadonとFBBの仲間の姿も確認できます。
そして文末には『Grievous Angel』とGram Parsonsを楽しむプレイリストも紹介してします。