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歴史上の人物はだいたいフィクションみたいな破天荒エピソードを持っているし、だからこそアニメや漫画、ゲームの題材になりやすいという、モンゴルの話。

Ghost of TSUSHIMA』というゲームが、じわじわと人気を博している。カルチャーの歴史を見るにつけ、ブレードランナー以降、日本人は外国人が解釈するいかばか奇妙な日本文化を、なんとも愛する傾向にあるかもしれない。ややニュアンスのズレた漢字のタトゥーは、趣を感じこそすれ笑うことはしないし、『強力型戦闘隊』の肩書には、ずいぶん魂を熱くさせてもらった。

 このゲーム、どういうゲームか。

 プレイヤーはサムライとなって、迫りくるモンゴル軍を相手に戦う、というかなりニッチな題材のゲームだ。これを、外国のゲーム会社が作り、日本や、対馬、世界に対して奏上した。社会の授業や、日本史を選択しなかった人でも、学校にそこそこ通っていた人であれば、『蒙古襲来』の四文字には覚えがあるだろう。

 こんな題材をわざわざ、サムライ視点でゲームにする外国人がいることに、大変な驚きと興奮、それから好意的な疑問を抱いた。

 普通、逆ちゃう? と思うのだ。

 なにせサムライの相手は、当時認知されていた世界の半分を手に収めた、りゅうおうもびっくりのモンゴル帝国軍だ。アメリカやソ連が影響を及ぼしていた地域や、スペイン・ポルトガルが所有していた領地、あるいは世界に散らばるイギリスの植民地をかき集めてなお、モンゴル帝国の広大な領地にはかなわないだろう。正確に計算した時、もしかしたら違うかもしれない。その時は、ごめんね。

 しかし、サムライも捨てたものではない。ゲームの祖の一つである、『ウィザードリィ』でも、サムライとニンジャはかなり強いキャラクターとして描かれており、外国人にとっては帝国軍の猛将たちよりも、名もなき一介のサムライに、心惹かれる気持ちもわかる。

 でも、モンゴル軍団だって、捨てたもんじゃないぞ。

 なぜか。

 めちゃめちゃフィクションな生きざまを、地で歩んできたからだ。

 さて本題。

 それはまるでアニメのお話のようでもあり、アニメのお話がトルーキン世界を下敷きにした中世ファンタジーや、戦国武将をモチーフにした、過去を題材にしたお話になりがちなのも、彼らがフィクションのような信じられない生き方で、荒野を歩んできたからに他ならないからだろう。

 チンギス・ハーン――さまざまな呼び方があるが、古いモンゴルの言葉をカタカナで表記することは不可能なので、それなりにわかるワードで人名を書いていくことにする――という人がいる。これはもはや、語るまでもない。父エスゲイとタッグを組んで、その時分テムジンとして中原を統一し、のちに世界に覇をとなえた人物だ。

 彼には、四人の息子がいた。

 長男ジュチ。父たるチンギス・ハーンを補佐し、武勇に優れ、各地の戦場を転々とし、その戦果は当代に4000キロ離れたカスピ海にまで到達した。馬千里を駆けるとは、まさにこのことである。また4兄弟の中で、この男が一番ドラマチックかもしれない。

 母はほかの兄弟と同じく、ボルテという。

 ただ、父親は違った。チンギス・ハーンでは、なかったという逸話が残されている。

 モンゴル史を紐解くうえで欠かせない二つの書物がある。ペルシャ語で書かれた『集史』と、古いモンゴル語で書かれた『元朝秘史』だ。成立の年代や後先はいずれにせよ、この二つの歴史書において、ジュチはボルテの子ではあるが、チンギス・ハーンの子ではない、という記述がある。

 他民族、他文明であるペルシャ圏で残された歴史書は、客観的に物事をとらえていることと思う。一方でモンゴルが世界ナンバーワン! と言ってはばからない、身内のことを書き記した元朝秘史にも、そのような記録が残されている。この二つのことから、チンギス・ハーンはジュチが自身の血を分けた子ではないことを知っていたことは、おそらく間違いないだろう。

 けれども、ジュチは長男として認められ、歴史に登場してからその命数を使い果たすまでの間、モンゴル帝国軍の優秀な司令官として、華々しい実績を積み重ねていった。

 なぜか。

 チンギス・ハーンをして、「俺の愛する嫁ボルテの産んだ子なら、それはまさしく俺の子だ」と言わしめたという。

 しかし、だからといって、ジュチが父に認められていたたことと、ジュチ本人が自身の出自のことをどう思っていたか、そして周囲にどう思われていたかまでは、本人やチンギス・ハーンの威光をもってしてでも、人の口に戸は立てられなかった。

 その周囲とは、ほかでもない、チンギス・ハーンとボルテの間に生まれた、三人の弟たちだ。

 それでもジュチは愛された。弟たちや、周囲になんと言われようとも、愛されていた。ハーンもまた、実の子ではないジュチを、実の子と同様に愛した。その出自と、扱われ方からか、ジュチは流血を好む戦法を用いないことが多かった。先んじて使者を送り、支配下となって税を納めることをすれば、粗雑な扱いはしない、と降伏を求めることが多かった。

 一方で、モンゴルの男としての血が流れていたこともたしかだった。和平交渉の使者が敵地で斬られると、怒りと共に敵地へ乗り込んで、街中を裏路地から壁のすべてに至るまで、血に染め上げることもいとわなかった。

 その最期は、実に儚い。

 晩年、カスピ海周辺に展開していたジュチを司令官とする軍団は、侵攻計画と異なり、一切の軍事行動を起こさなくなった。不測の事態に、ハーンは大いに悩んだ。遠く1000里先の地で、いったいなにが起きたのか。馬を走らせ、報せを持って帰ってくるまで、悠長に待つほどの時間はない。

 それ見たことか、ついに兄は裏切ったのだ、と息子に諭された。カスピ海には航路があり、東岸一帯(現ウズベキスタン近辺)は肥沃な大地で、その地は18世紀以降もロシアや周辺諸国の間で奪い合われたほど、国家を樹立する土地としては最適だった。

 兄は裏切った。父の言葉をして、もはや兄でもない。ハーンの血を持たない、他部族のけがれた血が流れる卑しく醜い男だ。さあ父よ、おれに命じてくれ。巨悪を打ち倒し、モンゴル帝国の威光をいっそうあらたかにすることだろう。ハーンは苦慮の上、ジュチを罰するために挙兵を実行しようとした……その時だった。

 西の果てよりの報せが、舞い込んできた。

 ジュチ、死す。

 父よりも先に、ジュチは命数を使い果たした。

 天地をたがえ、時差や気候をたがえてなお、ジュチの功績はモンゴル帝国の礎となり、1000里離れてなお、その精神は物理法則を超えていたのではなかろうか。そして最後の最後に、父親よりも早く死んだ。

 この生死の順番をたがえたことにすら、後世の人間の一人は、絵にかいたようなフィクションのようなノンフィクションに、大いなるロマンとドラマを感じずには、いられないのだ。

 次は実直と熱血とを持て余し、それらを兄に対する敵意にしてしまった男の話でも書きたいと思う。

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