大阪市廃止案に反対する理由3『そもそも維新の会の政治能力が疑わしい編』
政治に求められることとはなんだろうか。
それは調整と、それによって起きる再配分だ。
暴力的に、あるいは資本的に強いものだけがすべてを得る構造を是正するために、政治というものは誕生し、以降七転び八起きをくりかえしながらずっと生き続けている。
戦国時代がその例だ。
政治が機能していなかったか、はたまた政治が暴力に対してあまりにも弱かったために、やったもん勝ちの血みどろの世界がずいぶん続けられることになった。そして暴力が収まり、ようやく政治が復権すると、浮き沈みはあれども、相対的に平穏な時代が始まることとなる。
さて、本題。
いよいよもって、おおさか維新の会の人たちの政治能力が疑わしくなってしまった。一市民の目の錯覚か、対象者がそういう振る舞いをしてしまったからかは定かでないが、彼らの言動は、ついに目に余ると言える段階まで来てしまった。
それらの根拠をなるべく短くまとめていこうと思う。
と思ったら、ずいぶん長くなってしまった。メニューを作る。
その1『政治を勘違いしていないか』
政治家にも、プロスポーツ選手のように、一定の方向に対する能力が求められる。
それは、調整能力だ。
右と左、上と下、老若男女、そして想像もつかないような困窮にあえいでいる人たちの意見を聞き、出来る限り不幸な人を減らそうというものが、政治に求められるところで、それを可能な限り実現することが、政治家に求められる能力だろう。
その点からすると、政治家やそれにまつわる人は、多ければ多いほど、政治の理念にとっては健全だ。
仮に一人の人間が、何人の人の話を聞くことが出来るだろうか。同時にでなくともよい。話の本質、伝えたいこと、問題点、改善点、望まれるもの、それに近い展望。これらをまず上手く伝えられるかどうかも、話を聞くことに関わってくる。
政治家やそれにまつわる人が多ければ多いほど、意見のくみ上げはより平等で、かつ可能なものになってくるだろう。一人が理解し、そしてそれらを個別に他人に伝えられる能力や時間には、やはり限界がある。
おおさか維新の会は、大阪市を解体するにあたって、『より地域に密接した政治が可能になる』と言うが、密接するどころか現行の体制に対して正反対の結果を生み出すことになる。
大阪市には24の区がある。
それを新しく4つにする。
よしんば大阪市が諸悪の根源と言う主張であるなら、区割りはそのままでよいはずだ。どうやらそれらのより地域に密接した政治機構は、不要らしい。
彼らは自分たちの主張に反する政治を執り行おうとしている。
なぜだろうか。
その2『たわけたシステム』
たわけ、とは日本語だ。
意味は次の通りになる。
1 ふざけること。ばかげた言動。「戯けが過ぎる」
2 おろかもの。ばかもの。また、人をののしっていう語。
出典 デジタル大辞泉
この語源について、一つの小話がある。
ある豪農が、遺産として田んぼを息子たち娘たちに分け与えた。結果として田んぼの区分を作り、それぞれがそれぞれの労力を雇って田んぼを耕した結果、かえって以前に豪農が一元管理だったころよりも貧しくなってしまったという話だ。
大阪市は巨大な財政基盤を持つ。
それを廃止し、4つの区に分けるという。その後の財政については、4つの区を協議させて、それぞれの過不足を補い合わせるという。府市の対立(なぜか市だけをおおさか維新の会は一方的に悪と糾弾されているが)における対立軸は二つだ。
この対立軸を4つにしようと言うのだ。府を合わせれば、5つになる。
そしてこの計画の根本的な欠陥は、大きな事業を起こせなくなるという点だ。
財政を融通し合う必要が出ると言うことは、財政を融通しないということに当然繋がってくる。おおさか維新の会の主張するところは、『市が府の利益とするところを食い合っている(大阪府の主導するハコモノ行政はすっかり忘れ去っているようだが)』というものだ。
この理論が、4つの新しい区に適用されないのは、筋が通らない。淀川区(予定)の利益になることを、天王寺区(予定)がする義理はないし、逆に考えれば、財政の大きな区は他の区の助力を必要としないだろう。
大阪市という大きな財政基盤を持つ調整役を廃止して、4つの小さな自治体を作っても、結局コストがかさむばかりで、本来できたかもしれない事業には永久に手が届かなくなる。
個人的な話だが、5万あると自転車のタイヤは買えるが、15万あるとフレームとサドルが買えるのだ。
財布が巨大であるということは、なににおいても良いことなのだ。
自分たちの主張は正しく、相手の主張は間違っていると一方的に言うのでは、政治家としてどの口が言うのか、という話に、当然なる。
一つの大きな市を廃止し、4つの区を新たに創設することは、彼らの主張するスリムでスマートな行政を生み出すことはなく、貧富の差を生み出す第一歩になる。政治の求められるところとは、正反対の政策だろう。
その3『みんなが忘れてしまったもの』
その2を補足する形になるが、みな忘れてしまった、あるいは知らない人もいるだろう大きなイベントが、20年ちょっと前にあったことを思い出してほしい。
それは『平成の大合併』だ。
なんのために各地の市町村が合併をしたかというと、個別の財政が貧弱になったために、一つの大きな財政基盤を持とうとした結果だ。
大阪市を解体することは、過去の失敗を改めて0から再現することになるだろう。
彼らは平成の大合併が起きた時、生まれていなかったのだろうか。
その4『消えた4000億円』
大阪市を解体すると、なんと4000億円もムダが浮くらしい。
でも、本当は1億円がかろうじて浮く程度らしい。
どうやらおおさか維新の会の大好きなデマだったようだ。
こんな醜悪なデマ、いったい誰が流したのだろうか。
その5『政治にムダなんてものは存在しない』
この20年、政治の無駄を排除しろ排除しろと言い続けてきた。
その結果として、このような事態が起きている。
くりかえしになるが、政治には携わる人間が多ければ多いほど良い。
淀川区(予定)を見てみよう。
この東淀川区の端っこから、港区此花区の端っこまでを、一つの同じ枠に収めるのだ。此花区や港区は比較的新しい、大阪府や市の財政が投下されているが、東淀川区などは民生保護の受給者が多い区だ。市内でもかなりの高齢化が進み、よく言えば下町、そうでなければボロ屋の立ち並ぶ街並みが広がっている。
住民の事情や生活様式などは、大きく異なってくる。しかもこの淀川区(予定)についていえば、横の移動はかなり困難な地域だ。川を渡ることが多く、ほかの新区に比べれば地下鉄やJRのような公共交通機関がない。
これらをいっぺんに取りまとめることが、はたして可能だろうか。
ゆえに24区がこれまであり、おおさか維新の会が主張するような、『より地域に密接した、スリムでコンパクトな市政』が必要とされてきたのだろう。不要だと感じていれば、長い大阪市の歴史の中で、もっと早くに同じことを提唱していた政治家が現れただろう。
また政治には、『しんどいことをみんなでささえあう』という側面がある。このために政治が生まれたこともある。
ゴミ収集や清掃、その他の儲けにならない……儲けの材料にすると青天井になるような分野を、全員でちょっとずつわけあって負担しようという仕組みが、政治の中には組み込まれている。
あまり目立たないが、街にゴミがないのは特筆すべき点だ。
イタリアは全員で分け合う痛みすら政治から切り離してしまい、マフィアが介入し、街にゴミがあふれる事態にまで発展した。
政治に無駄など、ほとんどないのだ。
おおさか維新の会の主張は、おおさか維新の会の主張を論破してしまっている。彼らの求めるものはすでにあり、すでにあるものをまた1から作り直そうとしている。
いったいなんのためにそんなことをするのだろうか。
その6『府知事と市長、どこの人間だった?』
おおさか維新の会が大阪の政治に登場してからずいぶん経つ。
そしてそれ以来、ずっと『二重行政』という言葉をくりかえし主張している。その責任はすべて大阪市にあり、大阪市さえなくなればすべてが解決して明るいハッピーな未来が来る、らしい。
けれども、大阪市の市長はおおさか維新の会の人間だ。
そして、大阪府知事もまたおおさか維新の会の人間だ。
彼らには『同じ会派・派閥の人間なのに双方の主張を調整する機能がないのだろうか?』と、彼らが二重行政を叫ぶたびに感じずにはいられない。既得権益の抵抗というが、街はすっかり維新一色で、公明党さえ裸足で逃げ出したほどだ。
驚くことにこのことを問われると大阪市長は、「いや、二重行政はもうないですよ。当たり前じゃないですか。府知事も市長も維新の人間ですよ」と鼻で笑って言ったのだ。
であれば政治努力で解決すればよい。
ましてや政治努力によって二重行政が解消されるのであれば、わざわざ財政を投じてまで一度否決されたものを再び俎上に上げる必要はないはずだ。しかも前任者の、「都構想は何度もやることではない」との主張に対して、「あれは前任者の言ったことですから」と不問にした。
おおさか維新の会は、おおさか維新の会の主張を守らないし、おおさか維新の会の主張は、おおさか維新の会の主張を言ったそばから論破してしまっている。
彼らはいったい、なにを主張したいのだろうか。
その7『もはやペテン師の手口』
まずはこちらの図を。
おおさか維新の会が主張する、おおさか維新の会によって増えていくこども予算の図だが、これを見て腰が抜けた。
よく見てほしい。
30%のうなぎ登りではない。
パーセント『%』ではない。
パーミル『‰』だ。
1/1000だ。パーセントに直すと、たったの3%だ。
これを過大に見せるべく、聞きなれないパーミルという単位を駆使してるのだ。しかも増えたのはおおさか維新の会が補助する一部の政策の費用だけで、全体としては2011年の2600億円から、2018年の2376億円にまで減少している。
たった3%増えただけで、左の目盛で読むと、なにかが数百億円も増えている。3%増えると、どんななにが数百億円も増えるのだろうか。このグラフをどう見ればよいのか。一介の市民には、わからない図式だ。
もう一つ。
すさまじい主張が書かれている。当初出ていた4000億円はデマだったらしいが、こんどはなんと1兆円と来た。そしてまた、よーーーーく見てほしい。
右下の米粒のような文字を。
『特別区長の裁量次第です』
存在していない特別区長を筆にした、本物の絵に描いた餅なのだ。
これがペテンによるデマでなかったら、いったいなんなのだろうか。
絵に描いた餅は、美味しいのだろうか。
その8『イソジン吉村』
説明不要。
7月に完成するワクチン、どうなったんでしょうか。
その9『みんながもっと忘れてしまったこと』
大阪市を廃止すると、なにか湯水のようにお金が湧き、あらゆる人が幸せになるという。
こんな話を、日本人は少し前に聞いたはずだ。10代や20代の若者にはピンと来ないかもしれないが、なにかとてつもなくすさまじい大革命を起こすことが可能です! と主張した人たちがいたのだ。
そしてその夢の島への片道切符を、たくさんの大人が手にして、もれなく全員不幸な目に遭っている。けれどもその人たちは口々に、『だまされた!私たちは騙された被害者だ!』と言って、すっかりそのことを忘れてしまった。
民主党って、覚えてるかな?
出来もしない絵に描いた餅を、日本国民のほとんどが食い、そして騙された騙されたと言って、そのことを頭からすっかり消し去ってもう10年以上が経つ。民主党が騙したとは思っていない。
その実行力と主張とが、まったく伴わなかっただけだ。
結局、日本国民のほとんどが、『自称被害者』として、かわいそうな人のフリをし、大きな失敗を学びに変えることなく、失敗を失敗のまま放置して今に至る。
民主党サイドもまた、失敗を学びへと変えることなく、適当に看板を挿げ替えたり(あの自民党を選挙で打ち倒したにもかかわらず、その栄光を捨ててしまったのだ!)、離合集散をくり返して、自由が死んだとか民主主義は死んだとか、あの日と変わらないまま良くわからないことを言っている。
4000億(誰かが流した大いなるデマ)の話が最初に飛び出した時、「あーこれ民主党と同じやつだ」と感じた。
そして周囲の反応を見るにつけ、「あーまたこれみんな後になって、騙された騙されたって被害者ぶるやつだ」と思った。
政治の無駄を削ると言うことは、だれかの給料が削られたり、仕事がなくなったりすることを言うのだ。菅直人元総理をして、「どうして無駄を削ったのに景気が悪くなるのだ」という名言がある。
無駄と断じて切り捨てたあれこれには、市民の生活が連なっているのだ。
政治家が無駄を削る時、明日の生活に困る人が確実に現れるのだ。
それは政治の求められるところではない。
政治は弱者を叩く棒であってはならないのだ。
その10
『本当のところが一つわからなかった都構想』
みんな偉いなと思う。
よく大阪市長に向けて、「おいウソつき」と言わないものだと感心さえする。
松井市長の出す書類のことごとくが、『出典不明』とされているにもかかわらずだ。
松井市長「A部署に頼んで計算をしてもらった結果、こういう数字になります。」
A部署「いや、そんな計算はしていません。」
松井市長「そんな計算はしていませんでした。ごめんなさい。」
こんなやり取りを、この一か月ほどで何度も見てきた。
ではその書類は、いったいどこのだれが作り、何の根拠があってそれをもとに政治的な主張をしているのだろうか。これを自民党がすればどうなるかは想像に難くないはずだ。
結局、何もわからずじまいのままだ。
一方で松井市長は、「説明は十分に尽くした」と自信満々でいる。
寄せられる疑問や質問に対して、「それはデマなので答えません」と言い続けているにもかかわらず、だ。
大阪都構想については、わりとどうでもよい。
彼らの政治家としての手腕を再考するにあたり、もはやなにを期待するでもないし、その能力の及ぶところには、何一つ手を加えてほしくはない。ただ黙って制度に従い、調整と再配分というその職責をまっとうしてさえくれればよい。
ただまあ、おおさか維新の会のことである。
また途中で職を辞し、府知事と市長の席替えをすることだろう。
ところで吉村府知事、どこへいったんだろうか。
イソジン化して間もないころは、イケイケだったのにな。
思えばイソジンも、「国との連携はバッチリできています」と言って日付けも変わらぬうちに、「そんな話はまったく来ていません」と否定されていたな。あれがウソでなければ、いったいなんなのだろうか。
彼らの大好きなデマだろうか。
おおさか維新の会の言ったことについては、結局なにも、わからずじまいだ。
その11『席替え大好き維新の会』
大阪都構想の、そもそもの発端は、選挙ではない。
選挙に当選した橋下徹元府知事が、当選後に言い出したことだ。政令指定都市である大阪市の頭越しに政治を断行しようとした結果、領分を犯さないでくれと一蹴されたことに端を発している。
そして彼の主導の元で、全国の関心を寄せる住民投票が行われたことは記憶に新しいだろう。
そして再び、その運動が起きている。
ほかでもない、大阪市長の手によってだ。
自らの組織を解体する首長の存在を、今まで見たことがない。やむを得ず経営破綻といった風景はたくさん見てきたが、順風満帆のただなかで、その枠組みを取り壊す人は見たことがない。
なぜか。
改革を出来る立場にもかかわらず、その権利を放棄して一切合切をゼロにしてやろうと目論む人間が、どこの世界にいるのか、という話になるからだ。
前任者は解体のかの字すら、かなえられなかった。
維新ブームはあるが人材のいない中で出馬し、市議会議員として当選するも、その任期をまっとうすることなく辞職。次いで衆議院選挙に打って出るも惨敗し、ゾンビ復活。
けれどもこの衆議院議員の任期もまっとうせぬまま、大阪市長選挙に乗り出し、言うまでもないが、この市長のイスすら満足に座りきることが出来なかった。
府知事と市長、両者の主従は明らかだ。市民に対しての奉仕者であるはずの市長は、府知事とその会派・派閥のために政治をしている。
これがまともな政治家、政治集団のやることだろうか。
残念なことに選挙に対して、政治能力は無力だ。
選挙に勝つためには、なにより選挙力が必要になる。見栄えのいいテーマを思いついたり、写真をあちこちに飾る資金力、運動員のコネクション。ほか様々な雑務など、選挙には選挙に見合う労働が必要になる。
それらは政治で得られるものではない。
おおさか維新の会の選挙力はずば抜けて高い。
それと政治能力は、はなはだ無関係なのだ。
その12『今やることか?』
そもそもコロナ禍の中で?
今? 今に住民投票なの?
コロナ禍の中で?
その13『未来の糧より明日の銭』
おわりに。
おおさか維新の会は、早晩消えてなくなるだろう。それが来年になるか、10年後になるかはわからない。ただ、その寿命が未来永劫続く約束は、誰が出来るわけでもない。いつかは消えてなくなる存在だろう。
そのことを、おおさか維新の会自身も、理解していることは、その言動から見て取れる。
おおさか維新の会に、将来性は必要ないのだ。消えてなくなる存在なのだから、あるとも知れない遠い未来のために活動することはないのだ。
明日の儲け話のタネさえ政治を切り売りして生み出すことが出来れば、それで良いのだ。そのためならただの遊び場の公園に小屋を建てて、資本を投下している吉本興業に使わせる。図書館などは、いわずもがな、突然病院の裁量権までおおさか維新の会の名のもとに奪われている。
地域の病院を潰し、まもなく新しい病院を建てる。首のすげ替えだ。
4つの特別区も、維新の会の人間をあてがう算段で始めたことだろう。
そのついでに大阪市の巨大な財政基盤が手に入れられる。
将来性をかなぐり捨てて、儲けられるうちに儲けようという、その精神はずいぶん立派なことだと思う。
だがそれを、政治でしてはいけないのだ。
おおさか維新の会の、もっとも疑わしい点は、『内部から都構想に反対する人間が現れないこと』だ。
郵政民営化ですら、反対する自民党の人間はいた。民主党政権下においても、政府の在り方に疑問を呈する政治家はいた。大阪自民でさえ、大阪市廃止について是々非々の点はある。
意見は百出して当然だ(維新の会はほとんどをデマだと言うが)。
にもかかわらず、おおさか維新の会の人間でありながら、都構想に反対する人間が現れない。
ここに大きな疑念がある。
道理を考えれば、いて当然の存在だ。けれどもその存在は見当たらない。
世界の国会には、「満場一致はやり直し」という不文律がある。生まれも育ちも出身地も、選出された地区も異なる代議士が集まったにもかかわらず、全員の意見が合致するのはおかしい、という考えだ。そのために、最低でも反対に投票したり、棄権をする役割を担う人がいる。
全員が全員、同じ意見というのは気味が悪いのだ。
おおさか維新の会のやり方なのかもしれないが、はたしてこれが健全な政治だろうか。
言いたいことは百出するが、維新の会の政治能力が疑わしいと思わざるを得ない点はまだまだある。
算出した数字は出典不明のウソ。自ら標榜した数字もデタラメ。寄せられる意見はデマ。地域密着と言いつつ密度を下げる政策。ペテンとも取れる数字のマジック。諸悪の根源は大阪市と公言する大阪市長。
もはや彼らのなにを信用してよいのだろうか。
大阪市がなくなれば、ハッピーになれるのだろう。
少なくとも彼らだけは。
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