大阪市廃止案に反対する理由2『政治家と政治屋編』
大阪にはイザコザが多い、らしい。
その原因は、ほかでもないおおさか維新の会だ。
それまでいさかいがなかったと言えばうそになるが、そのいさかいというものは、どの自治体にもある話だ。あなたの街にもあっちの市とこっちの市の中が悪い、という話はあるだろう。山口県と福島県のようなもので、そのいさかいは、裏を返せばみんなが求めていた切磋琢磨の競争だ。
あちらが立てばこちらも立つ。双方が双方を刺激し合い、サービスを提供し合う間柄だった。
それは今でいうところの、民営化が求められている展開と考えてまず間違いないだろう。
その関係に、「問題がある」と言い出したのは、おおさか維新の会だ。
その根拠として彼らは常にこう言い続けている。
「大阪市の既得権益によって府市の対立構造が続いている」と。
この論法は、言ったもん勝ちだ。
対立とは、双方があって初めて対立が生まれるのだ。この言い方では大阪市に対する既得権益があって、まるで府にはないようなニュアンスを産んでしまう。
大阪府は巨大な地方自治体であり、その総人口と財政基盤、制度体制などは世界にも稀な巨大都市だ。大阪市程度の自治体にあって、大阪府にないとは言わせない。
大阪市からすれば、大阪府の持つ既得権益に眉をひそめることも当然あっただろう。
にもかかわらず維新の会は一方的に、「市が諸悪の根源だ」と言って止まない。昨日も今日もそう言い続け、そしてしばらく経っても言い続けるだろう。
おおさか維新の会は、自分たちの主張により存在しなかった――あるいは取るに足らないはずの関係を、針小棒大に言い立て、言ったもん勝ちで大阪市の市政を悪と断言し、それを解消できるのは自分たちだけだと公言している。
彼らが主張する対立関係の、片側の責任を彼らが負っているにもかかわらず、その責任をすべて大阪市が悪いと主張しているのだ。一方が圧倒的に強ければ、対立はまず起きない。
けれども、その主張そものは、別に目くじらを立てることではない。
主義を主張する自由は当然あるからだ。
もっとも主張する段階において、その正当性については、一切保証しなくても問題ないことがワヤ(関西弁)なのだ。
この手の『問題を生み出す主張』は、『商売人の常套句』であることが、大変遺憾なのだ。
おおさか維新の会は、あくまで政治家だ。商売人の常套句を扱っては……政治屋であってはならないのだ。
この違い、なにか。
例えば、の話。
マンガを描く人を、世間ではなんと呼ぶか。マンガ家だ。
小説を書く人は、同じく、小説家だ。
絵を描く人は画家で、お米を作る人は農家。
牛を育てる人は酪農家だし、この肩書は、『選手』や『工(こう)……大工や陶工』『師』と様々ある。
手塚治虫をしてマンガ屋とは呼ばないし、安部公房をして本屋とは呼ばない。それらの『屋』は、作られたものを切り売りする人のことを指す。失せ物だけがその例外で、基本的に屋のつく人は商売人だ。
政治は商売ではない。
政治とはあくまで、利害の調整による最大効率への調停だ。十人十色、百出してやまない意見を取りまとめ、よりよい案を生み出す、人と人の間に置かれた中央機関だ。決して切り売り出来るものではない。
けれども残念なことに、政治を商売にすることは可能だ。
政治はみなの物であり、政治の持ち物は、ぼくの持ち物であり、まただれかの持ち物だ。そしてぼくの持ち物ではないし、だれかの持ち物でもない。さらに言えば、そこに政治があるということが、一つの共有財産だ。
これを切り売りする人が政治屋だ。
政治家の求められるところはあくまで、政治家の領分に限られたものであり、商売人の才覚は、求められていないのだ。それを求める時、欲求そのものが間違っている可能性があることに留意してほしい。
補足として、現そのまんま東氏のような地方の知事は、政治を切り売りしているわけではない。場合によって屋号と着るハッピを変えて政治活動しているだけの、政治家であり八百屋だ。
おおさか維新の会は、このように取るに足らなかった問題をことさらに取り上げて、その解消が可能なのは自分たちだけだ、という主張を結党以来ずっと続けている。
大阪市の財政は、はっきり言えば健全だ。
市の財政は長らく黒字を続けており、むしろ財政再建が長らくなされなかったのは大阪府のほうだ。ようやく府の財政目標が達成されたのはここ数年の話で、一方的に大阪市が諸悪の根源だと糾弾する立場にはない。
また大阪府が黒字化をするにあたっての手法は、債権の借り入れと借り換え、そして府の持ち主の切り売りだ。民営化と言えば聞こえは良いが、その実情は切り売りだ。みんなの持ち物がだれかの持ち物になり、府が得られるはずの収入は、だれかの収入になった。
そのだれかによって、御堂筋がキンキラキンになったことは、周知の事実だろう。
いよいよ府として売るものがなくなったので、財政が大阪府から独立している政令指定都市を解体しようと、喉元過ぎれば熱さを忘れたころに再び大阪市廃止案が立ち上がったのだ。
大阪市の財政は巨大だ。市内の総生産は20兆円にのぼり、世界的にも稀有な巨大都市だ。おおさか維新の会のが主張するところのややこしい二重行政があって、この数字を叩き出せるのだ。
おおさか維新の会の指摘は、本当に正しいだろうか。
大阪市廃止案はこれにまつわる税収を狙ってのことであり、経済対策ではない。人の……大阪市の持っている財政基盤や収入を、自分のものにしたいがためだ。そしてバックドアとして、その後の4つの自治体に編入しやすくすることで、おおさか維新の会が握れる財布を巨大化しようと試みている。
かつてこの案を立ち上げたおおさか維新の会の橋下元府知事・元市長は、「これは何度もやることではない。一度で良い」と言った。是々非々の熟慮の結果、否決され、それから5年が経った。
すると同じ維新の後任である松井府知事は、こう言ったのだ。
「あれは前任者が言ったことだ」と。
政治家として、この発言はあまりに筋が通らない。
これを平気な顔をして言うのだ。大阪市廃止案が可決されるまで、何度でも住民投票は可能になってくる。悲しいかな本人にそういえば、「そんなことはないですよ。当たり前じゃないですか」と、あの顔ですっとぼけることだろう。
組織は同じでも、人が変われば主張が180度転換出来るのであれば、彼らの大好きな府知事、市長の席替えはやりたい放題になる。
たしかに月日の経過で実態は変わる。が、大阪府と大阪市については、少なくともこの5年はなにも変わっていない。府知事と市長の顔触れは変わらず、その制度は変わらないままだ。あの頃とは状況が違う、とは口が裂けても言えないだろう。
しいて変わったところを挙げるとすれば、維新が吉本興業に投資をし、大阪のテレビが朝から晩まで会派と首長を褒める日々が続いたことだろう。
胡散臭いとは言わない。言うと彼らの図星を突いてしまうことはわかっているからだ。
おおさか維新の会は政治屋だ。政治で商売をしようとしている。
政治家に権力をゆだねることはあっても、政治屋には到底任せられない。
投票という権利は、過去も未来も、政治家に委ねられるものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?