信者になるな。良識あるファンになれ。
最近のVTuber界隈にはいろいろなことがありましたね。細かいことは一切書きませんので、自分で調べてください。(「事務所名 炎上」とかで調べるといろんな記事が出てきます)
久々に書きたいことがまとまったので、残しておこうと思います。これは自戒を含めた文章です。
「推し」はどれだけ好きですか?
皆さんは「推し」のことをどれだけ好きですか?
たまに見る程度、時間がないからアーカイブで見る人、毎配信欠かさず見る人。様々な人がいると思います。
人の好きに口出しなんてできませんから、自分に合わせた推し事をすれば良いと思います。そのほうが人生楽しいです。
ただ、一つ冷静になって考えてみてほしいことがあります。
推しに対して「全肯定」になってないですか?
もちろん推しが大好きですから、肯定から入ることは必然と言えます。推しのやっていることは正しいと思いたいです。
でも。たまにある弁明のしようがない失態までも肯定していませんか?肯定とまではいかずとも、「ドンマイ」「しょうがない」などで片付けていませんか?
ここでは仮に、すべての物事に対して否定を行わない人、いわゆる全肯定しかしない人を「信者」と定義して話を進めます。
アンチ≒信者、表裏一体
私は、アンチはコンテンツを衰退させると考えています。同様に、信者もコンテンツを衰退させると考えています。
アンチは、対象に対して不利になることしか言いません。そもそも嫌いなんですから、直したところでほかを攻撃してくるわけです。
「アンチの言葉には耳を貸すな」なんて言われますが、それは本当にそう。アンチの言葉を主体に動いてしまってはいけないことはみんなわかりきっているでしょう。強く言えば、アンチは生産性が無いと考えています。
ここで問題なのは「信者もコンテンツを衰退させる」ということ。都合の悪いことには目をつむり、他派の意見を聞かないばかりか、否定し攻撃する。信者とアンチはやっていることが同じです。それが否定的か肯定的かの違いだけです。
推しにとっても、信者に良い点ばかり持ち上げられて悪い点が改善されません。これまでのファンは喜んでも、外から見れば「オタサーの姫」と同じです。アンチよりかはマシですが、生産性が無いといえます。
ではどうすればよいのか?
私は、もっと客観的な視点を持つ「批評できるファン」になるべきだと考えます。
「批評できるファン」を誤ってはいけない
ただ、この「批評できるファン」、一歩間違えると「厄介オタク」になります。非常にめんどくさいです。
2つの違いは、「意見を伝える相手が適切か」だと考えます。
簡単に分ければ、意見を伝える相手には
・相手がいない(個人的願望)
・推し本人
・運営
があります。自分がある事象に対し意見を持ったときに、それを誰に伝えるのが一番適切なのかを考えられなければいけません。
これらの判断基準は人それぞれですから、一概にこうと言い切れはしません。あなたの教養が試されます。
もちろん誰から見ても全て正しい判断ができる人なんていません。でも、こういったことを考えられる人が、「良識あるファン」だと思います。我々は良識あるファンになるべきです。
「良識あるファン」は目立ちにくい
アンチや信者はストレートな表現が多いため、意見が広く伝わりやすいです。反対に、良識あるファンの意見は目立ちにくいと考えています。
これはどうしようもありません。ただ、重要なのは意見を言うことでは無いと思います。考えること、これがより大事です。
先にも書きましたが、私達はどうしても推しを正義と考えてしまいがちです。でもそこで一度立ち止まり、物事の本質を考えてほしいです。これができれば、長く続くコンテンツになるはずです。
まとめ
VTuberという文化ができてもうすぐ4年(もう5年かもしれない)。キズナアイから始まり、四天王、3大事務所を経て現在のにじさんじVSホロライブに落ち着きました。ただ、これもすぐに終わるのではないかと考えています。
かつて秋葉原の劇場からスタートしたAKBグループが世間を虜にしたように、VTuberが世間を虜にするかもしれない。いつまで続くかわからないこのコンテンツの命運は、我々ファンの行動にかかっていると言えます。
課題は、外部からどれほど人を取り込めるか。その時、本人たちの周りにいる我々はどう見えるのか。一度見つめ直してみませんか。
それでは。