皆様、こんばんは!いや、おはようございます(^_-)-☆かな。

愛と輝きと幸せ🍀の循環の輪の源🌈キラッキラ太陽✨コーチカウンセラーの、ちーちゃん先生です!

やったぁ!!ブログも3日目となりました(^^♪ と、ここで自己紹介その①と思いつつ、何から書くとよいのか・・・(笑)

ブログデビュー戦で、教員を卒業したことにふれたので、よし!まずは教員を目指した話から。

私の出身は九州の福岡と話をしていますが、元々の生まれは大阪です。両親の離婚を機に、福岡へ引っ越し、小学2年生から、北九州市で新たなスタートを切ったのです。

その当時の担任の先生が、本当に素敵な方でした(^_-)-☆私は、転入生であり、そして、勉強面も生活面も何もできないお荷物児童、学校ではただのお客さん状態。そんな私に当時の先生は、「ちえちゃんは、笑顔がすっごくいいよね!」と声をかけてくれました。

当時は、目立つ子が中心でクラスが進んでいき、話せない子は居ないも同然のような感じだった(と、私が感じていただけかもしれませんが・・・(*_*))ので、なんとなく「みてもらえている」「ここに居てもいい」と想えたのかもしれません。つまりその先生は、私の存在そのものを受け入れるだけでなく、良さ・長所を引き出してくれたのです(^^♪今では、それが強みになり、本当にありがたい限り!

漠然としたその先生への憧れから、「いつか、学校の先生になりたい!」と、物心ついた頃には大きな夢へと変わっていました。

学校の先生を本気で目指し始めたのは社会人になってからですが、「可能性を引き出せる人」「誰も気が付かないような、その人にしかない、その人自身も気付いていない良さを見つけられる人」そんな先生になりたい!って思っていました。

ですが、厳しい道だったのです。なぜなら、私は小学校の低学年の時からすでに、いわゆる「落ちこぼれ」だったからです。得意なことは本当に何もなく、なんとなく友達はいましたが、面白い話もできないので、「居るのか居ないのか分からない」存在の薄い子。

堂々と自分のことを話せる人ってすごいなぁ。勉強ができる人は、何でもできてかっこいいなぁ。スポーツが得意だと、何やっても許される。

でもなんで!?私だけ何にもできることがない、話もうまくできない、面白くないし、人に優しくもできない。何のために居るのかなぁ。自分なんかいない方がいいのでは?!。高校時代まで、そんな風に思って悩み続ける劣等感の塊でしかありませんでした(笑)

そんな自己肯定感ゼロ、いやむしろマイナスだった私に行くことができる大学もなく、浪人しました。母子家庭だったので、アルバイトしながらの予備校生活でした。ですので、結局はそこまでがっつり勉強できたわけではありません。

が、ここが人生の中の一つ目の転機だったのです!!素晴らしき出逢いが待っていたのです!!もちろん、これまでも素敵な友達はいました。でも、この浪人時代、たった1年の中で、あんなに自分を出すことができたのは初めての経験だったのではないかと想う位の、気を許せる仲間と一緒に過ごす時間は、本当に素晴らしきものでした(^_-)-☆

中でも、オマージュさんとの出逢いは特別でした。似た感覚をもっていて、初めて逢った時から憧れでもあり、1番気を許せる大親友に。九州の人なので、なかなか会えないし、連絡もそんなに取っているわけではありません。ですが、今でも大親友なのは変わらずで、なくてはならない存在です、オマージュさんは!!

大親友ができた!自分を認めてくれる人ができた!ありのままの自分でいていいんだ!この感覚が、私に新しい命を吹き込んでくれたのです。

当然、先生になる為の大学は、今の私のレベルでは無理だというのは変わりませんでしたが、私にもできることがあるのかもしれない!と思い始めることができたのは、この上なく嬉しかったのを覚えています。それが、福祉の道でした。「児童福祉」なら、先生にはなれなくても、子どもの可能性を引き出すお仕事ができる!福祉大学なら、「養護学校の先生になれるかも!」そんな新たな夢を見つけることができました!!

そして、福祉大学へ進学。生活もかかっていたので、夜間生。昼間働き、夜に大学生。めちゃめちゃ充実していました。なぜかというと、自分という存在が生かされていたからです。

自分という存在が生かされるって、本当にすごいエネルギーにつながるのだと、今でも思い出すと感動してしまいます。

それについては、また明日綴らせていただきます。今日も、長々と読んでいただきありがとうございました!


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