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【価格高に対する3つの緊急提言】シェア・拡散自由
昨年後半からガソリン、お米に始まり、物価の異常な高騰が続いている。通常、物価は産業が活性化し人々の所得が増えた時に上がる(インフレーション)と学校では教わった。しかし現在日本及び世界で起きている物価高はそうではない!
また今年4月から食料供給困難事態対策法が施行される。
これは支配者としては国民に月7万円のベーシックインカムを支給する代わり年金や生活保護などの社会保障制度を廃止するという目論見が国民の無関心で失敗したので、一気に配給制で食料現物支給に持っていこうという荒技だとわたしは分析している。一見いいように思う人もいるかも知れないが配給制とは、現在の北朝鮮や戦中の日本で行われたもので命綱ともいえる食の自由がほとんどなくなる制度である。なぜこんなことをするかといえば、仕掛けているのは日本政府でもアメリカでもなく、世界をグローバルに支配して、一部の富裕層と多くの隷属的身分(最低限の生活と労働力、つまりは家畜・奴隷)にしたいという動きが絶対あるとわたしは思っている。
米も減反で作らなかったらお金がもらえるということをやっていたのだから全く矛盾する政策でありこんな法律作らなくても、減反政策の廃止、農家への個別補償をするだけで食糧危機はなくなるとわたしは断言する。
それについては、また別の機会に話すとして、今回は人々の給料が下がっているのに物価高という危機的な状況に対して、わたしから3つの提言をしたいと思う。おそらく誰も言っていないことなので、参考になると思う。
①食事を3食から2食へ、菜食志向にする
ちょっと前なら価値感の押し付けだと思って控えていたが、ここにきて生活必需品である食料の高騰が一般庶民とくに低所得者に深刻な影響をもたらしている。これは一時的な現象ではなく当分続くものだと思われる。そこでわたしは食養生アドバイザーの立場から以下を提言したい。
その前に、従来の栄養学は今では使い物にならないといわれている。最先端の栄養学はこうだ
・病気のほとんどは食べ過ぎ
・粗食がもっとも身体に良い
・現代人はミネラル不足(新型栄養失調)
・炭水化物、脂質、タンパク質は過剰摂取状態、量より質に転換すべし
なので、健康面からも、食事量を減らし、最先端の栄養学に基づいた質を高めることが重要。
しかもこの実践は食費を著しく減らすことができる!
医者にかからなくてよくなり、薬やサプリ、美容製品ですら不要になるので大幅にお金が浮く!
成長期の若者を除き、実践すればするほど身体が軽くなり、病気知らずになる。
具体的には、食事量を腹7~8分目を毎食徹底する。そして1日2食にする。オススメは朝食抜き。理由は夕食後15時間程度のプチ断食が毎日行え腸内環境が非常に良好になる。ただし肉体労働の方は無理にやらなくていい。ダイエットも同時に行える。量を見てもわかるように食費を1食分減らせる。
もう一つは菜食のすすめだ。食費の中で最も値の張る肉魚をやめ、野菜中心の食事にする。完全なベジタリアンやビーガンになれとまではいわない。家で食べるものはそうするだけで、食費が浮くだけでなく身体が軽くなり持久力がつき、頭が冴えるようになる。思わぬ副次効果が期待できる。わたしは実践者なので間違いない。そして多くの人から同じ意見を拝聴する。と同時に、外食も減らそう。当たり前だが最も出費が多いのは外食だ。質の高い食事を家でやればその不満も霧散する。やってみれば実感できる。
そして、これは誰も言わないことだが、ベジタリアンに近い食事をしていくと、野菜もそれほど摂らなくていい。ここでも食費が浮く。そして肉魚を消化するエネルギーが浮くので、多少添加物や農薬の野菜(市場の99%)であったとしてもデトックスが容易で健康体でいられる。これもわたしの身体で人体実験済みだ。ただし、肉魚に含まれている油と塩が不足するので、良質な油と塩をガンガン摂って欲しい。具体的にはオリーブ油、米油、海の塩(伯方の塩でOK)だ。そしてタンパク質不足が気になる方は、豆製品をたくさん摂れば良い。植物性のタンパク質は取り過ぎても害は少ない。具体的には豆腐、納豆。破格と言っていいくらい激安だ。無理して大豆ミートをとる必要も無い。
もちろんこだわる人は、無添加食品、無農薬野菜、油や塩はもっといいもの、加工品は避け、1日1食にすればいいし、もっともっと健康になる。しかし一気にここまでいくのは庶民にとっては至難の業だと思われる。
最後に、サプリメントも必要ない。ビタミンやミネラルなどの栄養素は全部を微量にとらないと全く機能しないことが従来からの栄養学でも明らかになっている。特定の栄養素(マルチも含む)だけを摂っても他の栄養素がなければ効果がないので、結局意味がない。野菜にはあらゆるミネラルが過不足なく含まれているのでそれで十分だ。
ミネラルを補うなら消化吸収しやすい分子構造である自然の食物から摂ろう。具体的には
ごま
にんじん
ごぼう
雑穀
海藻
イワシなど小魚の粉
ナッツ類など
どれも安価で無添加だ
サプリメントではなく食物由来の粉の製品もあり紹介できる。
食費を健康的に劇的に下げるにはこの方法しかないと思われる。
②農業を始める、農家に手伝いに行く
日本の食料自給率はの飛び抜けて低く、このままでは国が滅ぶと言われている。最大の国防は防衛費ではなく食料自給とも言われている。国は農業を衰退させる政策しかしていないので、2025年の段階では一人一人が自分で食料を作る以外に「食糧危機」を回避する方法はないと言っても過言ではない。自然はびっくりするくらい多くの恵をもたらしてくれる。100坪ほどの土地で1日15分も作業すれば一家に必要な野菜は十分に作れる。無農薬・無肥料の自然栽培が可能だ。この農法は大量生産する時に苦労が生まれるだけだ。集合住宅の人はプランターで結構な量の野菜生産が可能だ。これとは別に仲間で田んぼをやれば一生食料に困ることはない。まずはプランター、プランターがなければホームセンターの土を袋のままでいいのでやってみて実感して欲しい。
「食糧危機」(世界中及び日本は食料が十分に足りているのでこれは人為的に造られるもの)に対して備蓄を勧める人もいるが、わたしは根本的解決になり得ないと思っている。理由は限度があるのと、米や野菜は腐敗したり虫がわくこと、加工品は添加物が多くてミネラルが少なく身体に良くないことが挙げられる。災害や一時的な食料ストックには玄米5~10kgもあれば十分だろう。根本的に食糧危機から脱するには上に書いたように、自分たちで食糧生産をするしかない。もともと日本人の80~90%は百姓であり農耕民族であった。1日15分の作業だけでよい。それもどうしてもできないという人は、農家に手伝いに行ってはどうか?
農薬・化学肥料を使う慣行農法を手伝うのもよいが、ほとんど機械化されているのと、環境破壊の最大の原因となっている。手伝うのなら週1回でも月1回でもいいので無農薬の農家さんを手伝って欲しい。ほとんどの無農薬の農家さんは赤字で、アルバイトを雇えずボランティアのお手伝いさんに手伝ってもらっている。信じられないかもしれないがこれが日本の農業の実態だ!その一方で農薬・肥料を使う農業ではキャベツや米を過剰生産し、値崩れするからと半分以上破棄している。それが天候不順で少しでも不作になるとJA(農協)が強制的に安価で買取り、中間業者が高値で消費者に売りつける。これが物価高の正体である。
無農薬などオーガニックの農家さんが一番欲しいのは繁忙期の人出だ。月1回もキツい人は田植えや稲刈り、夏や冬の野菜収穫など年1回でも労働力を提供すればめちゃくちゃ感謝される。食糧危機時に、農家へ行って、相場の2倍3倍で買おうとしても売ってくれない。プライドもあるだろうが、実際に手伝ってくれた人から作物を回すのが人情であり常識だからだ。
だから演出される「食糧危機」に対しては、自らも少しでいいから野菜を作ること、行ける時、無農薬の農家さんを手伝うこと、田んぼづくりのコミュニティに参加することこの3つが根本的解決の入り口だとわたしは強調する。
無農薬の農家さんがわからないという方は、わたしに連絡をくれれば紹介できる。
③自分がこの世に生まれて来た意味を知ろうとする
最後は意外に思うかもしれないが、結局人の人生は、金を稼ぐことでもいい思いをするためでも、誰かのために生きることでもなく、自分の使命は何か?それに対して最大限のリソースを使うことが幸せなのではないかと思う。
人は、おそらく絶対どんな人も必ず、得意なことと苦手なこと、身体構造、知的能力、精神性の面からも極度に劣っている部分と誰よりも優れている部分を併せ持っていて、一人一人違うものだと思う。それが個性であり特徴であり、この個性を尊重することが、もっとも精神性が高い行為であり、いわゆるアセンションや5次元と言われているものは、他者への愛と尊重と高次元存在が断言している。
自分の苦手なこと(これは恥ではない!同時に克服すべきものでもない)得意こと、先天的な障がいとも言える欠点、逆に誰にもない才能、そう言ったものをチラシの裏でいいので書き出すといい。(これはキーボードやスマホは不可、必ず手書きで行うこと)
それを知れば、自分がこの地球に何のために生まれてきて、何をすればみんなに喜ばれ、天寿をまっとうできるかがわかるのではないか?
物価高に右往左往して、稼ぐ方法を見つけたり、コストをカットしてなんとかするのは対症療法であって、人生の目的や意味が分かってなければ、対処できたとしても幸せになれない気がする。
恥ずかしながら、わたしはこの③がまだわかっていない。見つけようとしてはいるが、まだわからない。
こうした地球に生まれた意味(天明・使命)を知るには自分が最もワクワクすることを結果を考えずにやることだと言われている。
最もワクワクすることがわからなければ、その瞬間一番やりたいことをやればそれが見えてくるという。
生きる実感、生きる意味を持たせようと、誰かのために生きたり、支援したり、はたまたボランティア活動に励んだり、そういうところに寄付をしても本当の自分はわからないし、結局生きる目的は見つからならないのではないか?と思う。きっかけとしてのそういう行為は否定しないが、それを続けて行き詰まっているのなら、それは不適切な行為ではないのか?少なくともわたしはそう感じている。
自分の罪悪感や承認欲求から利他的な行為をするくらいなら、自分の内側をもう一度洗い出すことにリソースを使ったほうがいいのではないか?そして自分の使命や天命がわかれば、その時初めて多くの人に良い影響を与えられるような真の意味でも利他的な人間になれるのではないか?
世の中が究極的なまでに攻撃されている現実の中で、生きる導きはそれしかないのではないか?わたしが一番伝えたいのはそういうことである。