愛に怯えて何が悪い
この1ヶ月くらい、心がずっとざわついていて、常に疲労感があって、ふとワンルームの家のフローリングにただ寝そべっていることがある。冷たくて、気持ちがいい。一生この時間が続いてくれないか、一生とまでは言わず、せめて3日くらいは、ずっとこうしていさせてくれないか、と思うけれど、結局数十分で飽きてYoutubeを見たり、お風呂に入ったり、日常生活に勤しんでいる。だからわたしは、元気だ。
一つ前のブログで、とあるネット番組の選考に落ちたという話を少しギャグめいて書いたけれど、あれ以来、ずっとこんな調子なのである。こんなこと、ただの一般人のわたしが本気で書いてたら、ウケるじゃん。リアルで会った友達にも、もちろんギャグ調で、ちょっとしたお土産話として、提供していたけれど、それに乗って半笑いされることに、正直なわたしの心はグサグサきてたんです。言わないけどさ。
まあそれはさておき。結婚である。いや、恋愛の話である。
そのネット番組は結婚を目的とした番組だったんですが、それのせいかお陰か、「結婚」について考えるようになってしまった。いや、結婚と恋愛について考えるようになってしまった。
わたしは長くても2年くらいしか続いたことがないし、これまでは彼氏がいない時期が半年と空くことがほとんどなかった(ここ2年くらいは年単位でブランクがある)。尻軽だとか思わないで欲しい。いや、思うのは自由だけど、わたしは、自ら選んで、そうしてきた。それになんの罪悪感もない。だって、自由、じゃん。法的に縛られていないし。
たぶんわたしは、「恋愛」自体が、好きなのだと思う。
一人の男性にぞっこんになるあの感覚も好きだし、振り向いてもらうまでの駆け引きも楽しいし、付き合った後にその人を近くで観察し続けられることも、ものすごく楽しい。一緒にご飯食べたり、セックスしたり。飽きるまで、お互いが違う人間であることを何度も再認識して、影響されて、相手の一部を自分にインストールして、初めて抱く感情に感動したり戸惑ったりすることが、シンプルに楽しいと思う。日常が、人生が、少し華やぐ。そう思う。
そこに、自分の感情をコントロールするよう強制してくる法律の要素が入るのは、やっぱりごめんだ。だって、わたしは恋愛が好きで、それは一生続くものではないと分かっているから。
30にもなってそんなこと言ってる奴は猿と同じだ、とか言ってくる奴もごめんだ。理性で理想を抱き続けることに、なんの価値があろうか。
恋じゃなくて愛こそが幸せだ、という理論は、意外と納得している。恋とか愛とかを定義はここではしないけれど(面倒だし)、誰か一人の人間と心から通じ合えて、助け合えて、まるで自分が2倍にも3倍にも強くなったと感じられるのであれば、それは幸せだろう、と思う。それに、母が抱く子への愛も、計り知れないと思う。それはそうだと思う。
努力、だと思う。他人とそこまでの関係を育むのは、多大なる努力が必要だと思う。その努力を怠らなかった人同士が、その境地にいけるのだろう。きっと、そうだろう。
でも、わたしはそれがとても怖い。人間という脆くて、馬鹿で、感情的な生き物と、そこまでの関係を結ぶなんて、成し得ることだろうか?と思う。少なくとも自信はないし、挑みたいとも思えていない。いや、幸せだと思うんだよ。できればね、もし、それができるならね。
いや、やっぱり挑みたいことには挑みたいのかもしれない。今、なぜか一生懸命これに反発した文章を書こうと躍起になりかけていたけれど、それは違う。愛も、いいと思う。すごく。
ただ、それがつまり結婚だ、という結論に納得いってないのである。だって、わからないじゃん。恋がちょっとだけ冷めつつある落ち着いた頃を狙って結婚する人が多いと思うけれど、愛し合える関係になるかどうかは未知数すぎるんだよ。その状態で、「結婚した」からって、その人とそんな関係になるよう努力することを約束しなきゃいけないことが違和感すぎるんだよ。
ってことを考えてしまうと、面倒だ、と思うんです。
面倒だ。みんな恋もセックスもエロも大好きなくせに。