28にもなって落ち着くどころか、業が深い人間になりそうで怖い
「20代後半になると落ち着きたくなる時が突然やってくる」
そんな言葉を半信半疑ながらも信じ、期待していたのですが、不思議なことに私はまるで反対。突然、業が深くなりかけています。
これまでの私はというと、欲の少ない人間をしていたと思うのです。いい家に住みたいとか、お金がたくさん欲しいとか、地位名声を手に入れたいとか、そんなことよりも、しっかり自分だけの幸せの感情を見つけ、大切にし、それをいかに大きくしながら人生を過ごしていくか、それが何よりも生きるのに一番大事だと思っていました。
しかし、あろうことか28にもなって落ち着くどころか欲が出てきてしまっていると思うのです。都心のいいマンションに住むのもいいなとか、もっと余裕な暮らしもありだなとか、ちょっとでもいいからもっと知名度のある人間になりたいなとか、そんなギラギラテカテカの青色のスーツを来たサラリーマンのような欲深い人間になってしまいそうな予感がしているのです。
いや、というよりも、元々はそんな強欲な人間だったような気もします。行けるだけ上に行きたいと思っていたし、有名になりたいと思っていたと思います。でも、私が選んだIT業界という世界(特に自社サービスを作っているような)では、基本的に社長以外は俗世的な欲望よりも、もっと利他的で、本質的で、腰を据えて難しい課題にチャレンジすることを人生の楽しみの一部にできるような、そんな"イケてる"人が多くて、私もそんな素敵な人間になりたい、そう思ってきました。数年間、このような思考になるように訓練してきた、とも言えるかもしれません。そして、手に入れつつあったのです、その思考を。
しかし変化を感じたのは今年になってからです。すみません、コロナのせいではありません。俗世離れして超絶尊敬していた彼氏と別れたこと、DJ松永に出会ってしまったこと、この2点が要因の87%くらいを占めるように思います。
俗世的な業が深く、それにただ突き進んで、権力を振りかざした寂しい人たちにも出会ったことがあります。私も一歩間違えたらこっちに流れてしまうそういう類の人間だと、自分でしっかり認識して自制してきました。富と名声はあるけれど人間としてペラッペラ、そしてひとりぼっち、そんな人生は嫌だろと、もっと賢くなるんだと、そう言い聞かせてきたと思います。だから、俗世的な欲望にまみれた人(成功していようがいまいが)のことを、ものすごく嫌悪してきました。ある種、同族嫌悪のようなものを感じていたように思います。「幸せ」のかたちを、社会に振り回されていることに気が付いていない愚かな人間だな、と。
もちろんただ、地位・名声・富のためだけに生きたくなったわけではありません。でもいくら他人に認められることが茶番(それこそ色々な賞だって結局何かしら意図があって人間によって作られ、人間によって判断されるに過ぎないのです)だと思ったとしても、認めさせた後に見える世界というのはきっと今より広い気がするのです。もちろん、何も変わらない可能性だってあるし、それこそ自惚れや幻想の可能性だってある。
でも、あんまり物事を斜めに見過ぎないことも、生きていくには大事な気もしてきたのです。こちらから乗っかってやる、そんな気持ちでもいいような気もする。
と、ここまで話しておいてなんだが、これぐらいの富とこんな名声が欲しい、なんてそんな明確なものは今の所ございません。まだ少し、怖いのかもしれない。私は目標にストイックになりすぎたり、ただ達成したいという意欲が高かったりするので、むやみに目標を決めることがちょっと怖いのです。横暴になったり、無慈悲な人間になったりすると思うのです。私が鋭く嫌悪を投げかけていた人たちのように、自分がすぐになってしまうのではないか、そんな予感がしそうなのです。
自分の葛藤をつらつらと書きましたが、多分、私は、30才まで(ここには書けないがちょっと不純な目標がある)業の深い人間になってしまうかもしれないけど、まあいいよねと、自分に言い聞かせたくてこのブログを書いたのだと思うのです。
怒りと悔しみを込めて。