今さらですが、囚われている過去から解放されるために手術をしました
コロナ渦ではありましたが、7月の末に長年患っていた右肩の脱臼の手術をしました。
わたしの右肩は、高校時代に初めて脱臼し、それから28歳の今に至るまで5、6回ほど抜けてしまっていました。最初のきっかけは部活でバレーボールをしていた時だったのですが、引退後は階段からこけて手すりにつかまった時だとか、ひどい時は一人でカラオケをしている時にマイクを持って伸びをしただけで抜けてしまった時もありました。日常生活の中でいつ脱臼してしまうか分からない、そんな状態でした。完全な脱臼というよりは亜脱臼という感じだったので、自分で元の位置に入れて、病院に行ったり行かなかったりでした。よく「痛いの?」と聞かれるのですが、初めて脱臼した時は吐き気をもよおし気絶した、とだけお伝えしておきましょう。
脱臼する度に思い出すことがありました。それは、わたしが高校時代にそれこそ患っていた摂食障害という病気です。拒食と過食、どちらも経験しました。ちょっとしたダイエットのつもりが、一気に体重は30キロ台になり(身長は158センチです)、毎日毎日「食べ物」に乗っ取られている脳の気をどう紛らわそうかと考え、(保健室の先生にこれ以上やったら死ぬからやめてと言われた)部活をしたり、勉強したりしていました。本当に脳がおかしかったと思います。友達と話してても言いたいことを考えている間に話題は変わっていたり(元々は回転早く喋る方です)、「死にたい」と生まれて初めて思いました。自分の部屋にあったカッターナイフを、自分で隠したりしていました。
摂食障害は数年で治りましたが、脱臼や、アトピー、肉割れなど、わたしの体には当時の、文字通りの"傷"が刻み込まれています。
去年の今頃、わたしは都内のスナックでアルバイトを始めました。単純にスナックという空間が好きで、いつか働いてみたいなと思っていました。50年も続く老舗のスナックには、50代〜70代のおじいさんやおばあさんがいらっしゃいます。わたしは特におばあちゃん子だったということもなく、むしろ地方に住む祖父母にはあまり会えないような子供時代を過ごしてきたので、そのくらいの歳の方とまともに喋ったことすらなかったように思います。
本当に色々な方がいます。若い頃はもっとうまくやれていたであろう言動も、年齢と、そしてスナックという場だからこそ、露骨に表れてしまっているように感じます。
ある方は、昔、部長の職を降ろされたこと、仕事を辞めようと思ったけど辞めなかったんだということなど、「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせたい、ちょっと敢えて嫌な言い方をすると、自己正当化したいことを来店される度に毎回のように話します。「現場が好きだから部長を降ろされたってよかったんだ」と言いますけど、本当は部長やそれ以上の役職につきたかったのだと思います。
そういうお話を聞いていて、なんだか胸が苦しいというか、胸糞悪いというか、切ないというか、やりきれないというか、そんな気持ちにわたしはなりました。
そして思ったのです。消化しきれなかったワダカマリは、ずっと自分に付きまとうのだと。
わたしの中では、高校時代のことがずっとワダカマリとして心に存在していたので、少しでも減らしていこうと思ったのです。何をするにも脱臼を言い訳にしてやらなかったり、歪んだ自己愛のようなものを自分に感じていました。高校時代に摂食障害になり、死生観を味わった自分は特別だ、なんてそんな気持ちがあったのだと、ここに正直に告白します。そして脱臼する度にあの頃のことを思い出して、もう絶対あんな真似はしないと誓うある種のタトゥーのような、そんなものはもう不要だと思ったのです。むしろスッキリ綺麗にして忘れてしまった方がいい、そう思ったのです。
寝る前にも、よく脱臼した時のことを思い出して嫌な気持ちで眠りについていました。肩の骨がズレるって、経験したことのない方はわからないかもしれませんが、痛いだけじゃなくて、すごく不快な感覚なのです。旅行に行く前も、もし海外で脱臼してしまって自分ではめられなかったらどうしようなんて、そんな不安をいちいち考えたくもないのに考えてしまっていたことを思い出します。
そしてわたしは7月末に、ついに全身麻酔の手術をして脱臼を治しました。初めての入院生活(四泊五日もありました)、初めての手術で、多少不安もありましたが、無事終えることができました。(ちょっと大袈裟に言ってしまっていますが、手術自体は内視鏡ですし、そんな大したものではないです)
これで、階段を上り下りする度にこけた時のシミュレーションをせずに済むし、リハビリが終わればバトミントンだってできちゃうでしょう(テニスやバトミントンが脱臼者にとっては一番危ないフォームです)。残念ながらずっと避けてきたスノボーは再脱臼の可能性もあるということで、できそうにもないですが(わたしは元々関節がゆるいそうです)。
まだまだリハビリは続くので、今のところまだ本当にあのゆるゆるだったわたしの右肩がしっかりくっついてくれているのか実感はないのですが、心のワダカマリは明らかに減った気がします。当時のことに囚われていない自分がいます。もちろん、この手術で突如吹っ切れたというわけではなく、これまでも恋愛を通してだとかでちょっとずつわたしの記憶の片隅に追いやりつつはあったのですが、今回の手術でもっと小さくなって、もっと遠くに、素直に収まってくれた気がします。
こじらせる前に、ワダカマリにはぜひ対処を。