どうして寄付をするのか~金を一点に集めることの強さ~
どうも、虚無の先と名乗らせていただいている者です。
4月12日に神崎ゆきさんの呼びかけに応じてこのようなツイートをしました。(最近やったことありますねこの導入…)
このツイートに対しても200を超えるいいねがつき、特に筆者が回答に窮するような"良い"反論もなかったので(雑な反論はあったので雑に返したら別の方にその雑さを咎められたことはありましたが…これは筆者が悪いです)どうして寄付をするのかを道徳的な見地を抜きにして考えていきたいと思います(道徳で考えると別の道徳を持つ方に通じなくなってしまうので)。とは言っても一つしか思いつかなかったのでその一つを重点的に論じていきたいと思います。
どうして寄付(お金を一点に集めること)をするのか
これに関しては、今回筆者が寄付した全国被害者支援ネットワークで論ずるよりも筆者が以前寄付したTeam Treesという募金で考える方が簡単ですので、それで論じます。
このTeam Treesがやろうとしている砂漠化が深刻な場所や山火事によって植林を必要としているところ(カリフォルニア州を想定します)への植林(一本)にかかるコストを考えてみましょう。Team Treesにやらせたら1ドルです。筆者がやろうとした場合カリフォルニアへの往復だけで16万円は消えます(expedia参照)。
この差は規模の経済(Economies of scale)という言葉で表されます。植林を2000万本やるのと一本やるのとでは経済規模が大きく異なります。一例として挙げられるのは、植林のためにドローンを使用すること(英語の動画になってしまいますが下の動画参照)があげられます。こんなこと個人の経済規模では無理です。
だからお金を集めるわけです。今回の場合例示した植林のためでなく犯罪被害者を支援するためにと目的は変わりますが、一点にまとめることによって筆者を含む一般の方による「どうすればいいのかわからない」や、動きを失敗して害になることを防ぎますし(無能な味方の方が有能な敵よりいやです)、必要な時間も減らせます(今回手続きにかかった時間は15分ほどでした)。
最後に
今回は寄付によってお金を一点に集めることの価値を論じました、が、この考え方は投資などの経済学にも適用可能です。また、今回、寄付の道徳的側面は無視しましたが、それは、共感や道徳に訴えようとしたところで共感する能力が無い方や、文化的背景が異なるため共感を訴える言葉(たとえ翻訳されたとしても)で共感できず、道徳も違う方に対して道徳心に訴えたところで通じないからです。異文化との交流をされたことがある方は分かると思いますが、多様な人々に同意をさせるには道徳や共感という要素はあまりにも弱すぎます。共感や同意で集めた人を同意させているのは、敵に対する団結のような本能的な感情が中心です。ゆえに、これは憶測の域を抜け出せませんが、「多様性」に対する共感で頭数を集めた方々の集合は、その価値観は多様とは言い難いと考えます。そのうえで聞きます。あなた方が掲げるものは本当に「多様性」ですか?
また、今回寄付した全国被害者支援ネットワークへの寄付のリンクはこちらになります。が、今回はどちらかというとこの記事よりもこのリンクを拡散し、寄付していただいた方がうれしいです。
もしよろしければ、スキ、拡散への協力、Twitterへのフォロー、コメントなど、よろしくお願いいたします。