多様性の話~ジェンダークレーマーのおかしさ~

どうも、虚無の先と名乗らせていただいている者です。

今回はジェンダークレームでもよく登場する「多様性」について考えていきたいと思います。

今回は先に結論を書いておきます。

真に多様性を世界に与えたいのなら群を排除するのではなく、
群を増やせ。

になります。

多様性とは

そもそも多様性とは何じゃいという方が多いと思います。多様性とはWikipediaによれば

幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7#:~:text=%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%EF%BC%88%E3%81%9F%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%84%EF%BC%89%E3%81%A8,%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%AF%E7%95%B0%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%80%82
最終参照日2022/4/24

とあります。が、数理的にこうとは示されていません。ですので、生物の種多様性というコンセプトを持ってきます。これを参考にすれば、数理的に多様性を見ることができそうです。

ちなみにどうして数理的に多様性を見たほうが良いかというと、数理的に事象を見た場合、誰が観測しようと同じ結果になるためです。ゆえに誤解が少なく伝達しやすいため、数理的に見ようと考えています。(このあたりについて細かく述べるnoteも執筆予定です)

数理的に多様性を求める方法、無いかな?と思っていたらありました。Simpsonの多様度指数です。Shannon指数もありますが、Simpsonの多様度指数の方が計算がラク(対数使わなくていいので)と判断したためSimpsonの多様度指数を採用します。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7
最終参照日2022年4月24日

これがSimpsonの多様度指数の求め方です。Sは生物種の数でpはその生物種の数が生物全体の数に占める割合ですが…わかりにくいですね。求め方を文章にするので、そちらで理解していただければと思います。「その環境内のすべての生物種の割合をそれぞれ二乗してから足したものを1から引いたもの」になります。細かな求め方よりも、生物種の数の多さと、それぞれが占める割合が均等に近ければ近いほど多様な環境であると言えるということを認識しておいてください。そして、0以上1未満の範囲で、1に近づけば近づくほど多様で0で多様性が無いと認識していただければと思います。

多様性の原則

種の多様性には「多様性を減らすのは簡単だが、多様性を増やすことは難しい」という原則があります。というのも、多様性を減らしたいならその場所に毒をぶちまけるだけで済みます(これを推奨する気は微塵もありませんが)。生物を殺すのは簡単だけど生かすのは難しいということと同じです。生物種を増やし、定着させるのはかなり難しいというのは言うまでもありません。基本的に自然界で起きたそれが奇跡といえるほどに人為的に行うのは難しいです(逆に簡単に定着するものは侵略的外来種として増えすぎて、ほかの種と競合、捕食し、従来の生態系にあった多様性を減らすものになります)。

多様性の名のもとに表現を排除する行為は多様性によって正当化されるのか

では、本題です。今回は最近ホットな話題になっている「月曜日のたわわ」で考えてみましょうか。「月曜日のたわわ」が多様性に欠けている場合、それは「多様性に欠けているもの」として多様性の一部となる群に振り分けられます。ゆえに、それを多様性のために排除することは多様性そのものが許しません。

ここから数理的になってより無慈悲な全方位攻撃になります、覚悟してください。漫画の発行部数からSimpsonの多様度指数を用いて多様性を評価していこうと思います。漫画の歴代の発行部数のランキングというものがあります。(これまでに存在したすべての漫画の発行部数から調べようとしましたがうまく検索キーワードを絞り込めませんでした)このランキングの上位にある漫画は億単位で発行されています。「月曜日のたわわ」は累計発行部数が55万部です(講談社のショップページ参照:2022年4月24日)。最低でも数十億部(今回は計算の楽さも考え、全漫画の累計発行部数を50億にしておきます)になってくる全漫画に対して、55万部です。正直、55万を数十億から引いたところで誤差の範囲内なので無視できます。が、その55万部が確保していた50万/50億の二乗である10^-8というSimpsonの多様度指数の値は無視できません。「月曜日のたわわ」を排除したら、Simpsonの多様度指数は10^-8程減ります。すなわち、多様性の度合いは減っているわけです。もちろん、10^-8単位での変化は些細です。が、些細でも減少は減少です。数理的に多様性を減少させていると言えます。

ちなみにですが、「広告を排除しただけだ」だの「作品は排除してない」だのという言い逃れで逃がすつもりはありません。実際問題藤末健三参議院議員がされた「月曜日のたわわ」の購入報告ツイートへの反応が何よりの証明です(あんまり精神衛生上見ることはお勧めしませんがリンクを貼ったのはトレーサビリティの確保が主な目的です)。その程度のくだらない言い逃れをするならそもそも議員を攻撃するために作品を中傷するなという話です。

本当の多様性指数の増加のさせかた

ではどのように多様性は増やせばいいのでしょうか。簡単です。新たなものを増やせばいいんです。先ほどとは逆に累計発行部数50万部クラスの漫画を増やした場合を考えてみましょう先ほどと同じ計算で今度は10^-8ほど増えます。ちなみに一つが強すぎて多様性を乱しうるには億単位の部数を売る必要があり、億単位で売れた漫画は17種類です。全部書き出してみます。ワンピース、ゴルゴ13、ドラゴンボール、ナルト、名探偵コナン、こち亀、鬼滅の刃、美味しんぼ、スラムダンク、ブリーチ、ドラえもん、鉄腕アトム、ジョジョの奇妙な冒険、タッチ、金田一少年の事件簿、北斗の拳、進撃の巨人です。

これらのレジェンドといえるような漫画に並ぶものができたらその時は、多様性を乱しえます(そのようなレベルのものが出てくるとは考えづらい)。ただ、億単位で売り上げてもなおその漫画の発行部数を誤差を多様性指数の計算上すべての発行部数の誤差にできなくなるなるだけというレベルなので、本当に乱して、多様性に打撃を与え始めるには、ワンピースの約5億部を超える必要があります(まず無理という話です)。

また、ワンピースの現状の約5億部をほかの漫画が超えるころには漫画の市場も拡大していることが十分に考えられ、たとえ今のワンピースを将来的に超える漫画があったとしても多様性を減少させることは難しいです。なので好き勝手に新しいものを創造してください。それは多様性を増し、純粋に筆者が望む多様性のある世界を作り出します。もうそうなったらWin-Winです。ありがとうございました。

創作内の多様性について

とここまで漫画市場全体を見ながら多様性を考えてきました。が、おそらくここで一つ大きな反論があると思います。創作内での多様性の欠如についてです。が、創作での多様性は本当に実現すべき事象なのでしょうか?

全ての創作で創作内での多様性を強制することは数理的に表すならば多様性指数である程度の数が必要ということになり、上で示した多様性指数の計算の都合上、かなりの数の人物を登場させる必要があります。そうなったら筆者が以前、感銘を受けた小説の一冊である"Hatchet"(邦題:一人ぼっちの不時着)のような孤独さを描いた創作が存在しえなくなってしまいます。

また、創作である都合上、求められる多様性のスケールにも限界がありません。主人公から見て、別の人種の人、別の国の人、別の大陸の人、別の惑星の人、別の恒星系の人、別の銀河系の人、別の宇宙の人、別の多元宇宙の人、別の超多元宇宙の人…とどこまででも多様な人を際限なく出演させることが可能です。そして、可能である以上、そのスケールの内で多様性を確保するために出演させないといけません。言うなれば、どこまで世界観を拡大しても多様性を確保するためにそれ以上の世界の広さから出演させないといけないのが、「作品内における多様性の確保」の矛盾点です。ある意味人工知能におけるフレーム問題とも似たものですが、本当に世界の上限はそこで十分なそれ以上の大きさの世界のPresenceを確保できるのか?というところになってきてしまいます。

創作内での多様性の確保はその創作の無限の可能性により無限のリソースを要求されてしまいます。ゆえに、それを創作に実装することを要求するならば全ての創作が滅びます。すべてです。冗談抜きに、あなたが好きなものであろうが誰が好きなものであろうが何だろうが滅びます。

また、これはあくまで現実世界で描かれるフィクションの話です。完全なファンタジー世界ならばとある人種がその世界に存在しない可能性があります。それどころか、現実とは全く違う世界観念である可能性も高いです。ゆえに、多様な人々を物語に描かないのは多様性を欠いた行いですか?

ちなみに「適度な多様性を確保しろ」と逃げようとしたところで逃がしません。でしたら、創作の作者が適度だと考える量で良いですよね?だったらそれは創作の作者を縛りえません。もし、多様性のスケールを決められるようなら、それを超える多様性でその設定されたスケールを壊すことも可能です。そして、後出しじゃんけんは罪刑法定主義/遡及処罰の禁止によって許さないとすることで作者の害にならないように完全に多様性の実装の強制を封殺することができます。

最後に

ジェンダークレーマーはこれまで多様性の名を勝手にパクって好き勝手やってくれました。なので、多様性とは何なのかを本当に考えて創作を見た場合、ジェンダークレーマーの思考の甘えが良く見えたかと思います。何が多様性ですかね…ジェンダークレーマーの行いは「多様性を減らすのは簡単だが、多様性を増やすことは難しい」という多様性の原則に沿うならば、多様性を減らす簡単な行いです。

筆者は多様性のある世界の方が無限(筆者が死ぬまでに楽しめるコンテンツの量の限界を超えた量のこと)に面白いものを見られて楽しいと考えます。そのためには面白くないものが存在するのは仕方ないですし、それが他人にとって面白いものである可能性も高いので、その自分にとって面白くない存在を否定する気にはなりません。本当に多様な世界を実現したいのなら多様性を増やせばいいんです。また、一番最初に書いた結論をこちらにも持ってきて終わりにしたいと思います。

真に多様性を世界に与えたいのなら群を排除するのではなく、
群を増やせ。

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