"ただのお気持ち"に苦しめられる人たち
どうも、虚無の先と名乗らせていただいている者です。
最近、どっかのぱt…ゲフンゲフンゆっくり生命体が科学的方面からのジェンダークレームの根拠を叩き潰してしまい、また、弁護士の方が法学的方面からのジェンダークレームの根拠を叩き潰してしまったせいでジェンダークレームはお気持ちで、かつ法的規制を望まないと明言されるものになりました。
アイデアの殺し方
法規制を望まないお気持ちだけでも表現規制を誘引する可能性があるため、敏感に反応したくなる気持ちはわかります。が、それは悪手だと言わざるを得ません。曖昧な言い方をするのであればアイデアを殺すものはその逆のアイデアではなく、より良いアイデアです。言い方を変えましょうか、反論し、レスバに入ったところで相手の気持ちは変わりません。相手が賛同したくなるような新たなアイデアを考え、拡散すればいいんです。そうすれば表現規制を誘引するジェンダークレーム程度のアイデアなんて死に絶えます。ちなみになんですが、表現規制も表現に対する抗議ではなくより良いやり方で実現するアイデアはあるはずです。頑張って探してね。
めちゃくちゃ簡単なように書きましたが、これ難易度かなり高いです。どのくらい高いかというと筆者にはそのアイデアは持ち合わせがないほどです(仮にあったとしてもそれを拡散する道具が無いので話にならないのは言うまでもありません)。なので、筆者はその次善の策である、「お気持ちによるジェンダークレームというアイデアの悪さ」を考えて、ジェンダークレームよりよいアイデアを考えるハードルを下げていこうと思います。
社会における職の価値
現代社会では家に価値はありません。どの家で生まれようと平等が原則です(現実では違うかもしれませんが)。ゆえに職が大事です。これは大学時代の経験なのですが、雑に表記しますが「すごい人」の話を聞くときにその「すごい人」ってものすごい多くの肩書を持っているんです。株式会社○○社長、内閣府○○アドバイザー、○○研究所所長、などなどをすべて一人の方が持っているなんていうことが往々にしてあります。そこに「何かを作りました」みたいな実績までつけられたら本当に「この人すごい」以外の感想が出ません。
では逆に職を失ったらどうでしょうか、金も地位もすべて失う一方です。それこそ実績を持っていればまたほかのところで再就職もやりようがありますが、実績もなく放り出された場合、どうするべきでしょうか?これを社会から排除したと言いませんか?
現代社会において職はお金を得るためはもちろん、社会的地位として大きな役割を持っており、社会的地位と変換できる実績を得るにも必要であることは分かっていただけたかと思います。
ジェンダークレームが何を引き起こすのか
では、ジェンダークレームによって表現規制が為された場合、何が起こるのでしょうか。規制範囲内で活動されていたクリエイターは一気に職を失います。すなわち、社会的に抹殺されます。また、規制範囲外であったとしても、クリエイターに委縮という影響が出ます。委縮を気にされない方もいると思いますが、日本のクリエイターは日本で存在し得る表現の種類/ジャンルの多さという多様性によって多くが特有の価値を獲得し、仕事につなげています。表現一つ一つには多様性が無いという批判もありますが、色々なジャンルの創作物がそれぞれ市場を形成することによって、それぞれのクリエイターは特有の価値を獲得し、それが実績として仕事につながっています。そのマクロ視点での表現の多様性が失われる危険性が高いのです。
この程度のクリエイター個人の問題で済んでくれたら(?)まだ割り切られるかもしれませんね。ではもう少し行きましょうか。これからの日本では技術立国とするには他国(特に中国)に技術、そしてそれを維持する人の量で負けます。そんな中どのようにして領土は無く、資源もない、あるとするなら火山だけの日本の価値を国際的に出すのか?と聞かれた際の答えは創作物だと考えています。日本の将来を考えた時に、どんな人にも刺さりうる創作物の宝庫になるのが日本の個性になりうるのに(確定はしていません)その日本がなりうる可能性の一つをつぶすのはもったいないというところです。表現を規制するジェンダークレームによって日本の個性となりうるものの一つが失われる危険性もあるのです。
こんな犯罪になりうる個性だったら潰してしまえと考える方もいらっしゃると思います。が、そういった個性を定義する表現が性差別的な社会を構築するわけではありません(こちら参照)。性差別的な社会は何かのせいで生まれたと考えるよりももうすでに存在するものとしてとらえ、どのようにして性差別を無くすかを考える方が建設的です。
内心/表現の自由について
お気持ちだからそれを批判することは内心の自由に抵触します。また、表現の自由も掲げている以上それを表現する権利も奪いに行くことができません。だから批判ができない…なんてことはありません。たとえそれがお気持ちであったとしても公表した以上(これはアカウントの規模を問いません)それには責任が伴います。本当にあなたは表現物を排除する責任を認識し、負う覚悟がありますか?筆者は絶対に環境から生物種を絶滅させた責任を負えないと考えるのと同様に表現を排除し、絶滅させる責任を負えないので表現規制に与する圧力に反対しています。もしあなたの意見が急にとてつもない量の支持を得て、社会の主流になった時、その責任を負えますか?その時に排除される人間を認識していますか?
最後に
それを知ったうえで、創作物の排除を求めるのであれば止める気はありません。が、その創作物を失うことでファンに、クリエイター本人に確実に恨まれます。ちなみに自分はここまで好きな創作物がジェンダークレームにつぶされたことが無いので恨んだことはありませんが、確実に好きなものが消されたら恨むでしょう。その恨み、クリエイターの人生、そして、極端ではありますが、この国の将来、そして、この国の人の恨み、すべてを受け入れる覚悟があるならジェンダークレーム、やればいいと思います。ここまですべてを知ってなお突き進むなら…表現規制反対派がなぜ存在するかもわかっているはずです。ちなみに表現規制は法的でなく企業による規制でも十分にクリエイターへの打撃になります。なので、「企業への規制を求めるだけ」/「配慮を求めるだけ」によってはその責任、恨みからは逃げられません、いえ、逃がしません。
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