貨幣価値社会への違和感
ヒーリングに費用発生することが
ずっと違和感だった
ヒーリングをすることで
自分も変化していくことが
わかるようになると
ヒーリングを受けた方が変わることで
私も変わるのだから
これってお互い様だよな
そんな風に思っていた
このようなことを書くと
有料でヒーリングをしている人を
批判しているように
取られるかもしれないが
決してそんなつもりはない
生活をしていくために
ヒーリングを生業にしている方が
いるのは理解できる
また費用が高いほど
価値があるモノという価値観が
今の世界には少なからずある
目に見えない世界は
物ではないため
受けた方が認めた分だけ
費用発生の価値があるのだろう
今は全ての価値を貨幣に換算し
貨幣で価値のやり取りをする社会だ
ヒーリングも費用をいただき
価値を高めていけばいい
そんな理屈でお金を払おうとしてくれる方も
今までに数多くいた
でもそれが違和感だった
この当時思っていたのは
ヒーリングを貨幣価値に置き換えるの
違うんじゃないかなという感覚だ
なんとなくだけど
人が楽になっていく過程で
心のどこかで癒しを感じたり
歓びを感じたり
気付きに繋がったりすることに
価値があるのであって
その感覚は貨幣価値に
置き換えるのは何か変
そんな違和感だったと思う
もしかしたら
そんな貨幣価値社会への
違和感なのかもしれない