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『罪と罰』の問いと答え2 エレーナ・ゴルフンケリ
そして今回は日本流演出のロシア版である。何よりも興味深いのは、この地の、BDTの舞台で、京都で行われたことの多くが、より明確化されていることだ。時にはそれが全く新しい形で展開されている。それでこんな問いが生まれる――ロシア人の俳優たちが演出家の解釈に影響し、彼らが何か自分たちの、独自のものを持ち込んだのか? あるいは演出家自身が、改めてロシア的な土壌に合わせた形で、何らかの部分やモチーフについての考察を深めた、あるいはまったく発想を変えたのか? そう、影響もあったし、また発想の変化もあったのだ。
ペテルブルグの芝居で防火外壁のある舞台装飾を見るのが、最初の驚きだった。BDTの大きな舞台上では、あの汚れた灰色の防火外壁は、日本の時ほど、そして現実における外壁(ビルのつるんとした壁)ほど、大きくは見えなかった。あたかもペテルブルグがいくらか狭くなったような印象だった。全体の設計にはこれが意味を持った。壁は簡単に左右に分かれ、舞台の奥に寄せることができるからだ。リハーサルにおいては壁の動きにとりわけ丹念に磨きがかけられた。壁は二つに分かれて奥に引っ込むと、そこで解体され、あとにはラスコーリニコフのための、住み慣れた過去の世界から未来の夢へと渡された狭い橋だけが残る。小説の中の夢が、この芝居では未来の予測よりも大きな意味を担っている。純粋な罪なき者たちに関する言葉が焦点化され、強調され、声に出して発せられる。それは新しい地上の王国を打ち立てる可能性を持つ者たちだが、その姿はぼやけて見いだせないのだ。人間の孤独は今も世々も続き、光も手本も与えられない――これが最後のラスコーリニコフのセリフの前に、暗い舞台上で世界にむけて予告される事柄だ。
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袖から袖まで舞台全体を横切ってかけられた橋には階段が付いていて、それはあたかも堅固な大地にまで続いているかのようだが、それは日本で見たときよりもいっそう強くペテルブルグの構造を想起させた――フォンタンカ、モイカ、運河、小ネヴァ河といった様々な水路と、そこに架かる同じような小さな橋を備えたペテルブルグを。
とはいえ一番大事なのは三浦基の演出構想における役者の存在である。正直に言って、日本版の音の表現と独特な身振りは、ロシア人の役者にとって自然にできるようなものではなかった。素直に従うこと――それがわがロシアの俳優たちが発揮した第一の美徳だった。彼らは「ア」「オ」という文頭音でセリフをはじめ、あるいは「ア」「オ」という文末音でセリフを閉めくくった。ただしそれは日本人の場合のような軽い吐息にはならず、極めて現実的な音になった。つまり普段の発話で驚きや失望を表すような響きになったのだ。俳優たちはテクストに伴う身振りも忘れず行っていた。ソーニャは大きく広げた両方の手を動かす、ポルフィーリーは両手をピストルのようにして撃つしぐさをして見せ、ほかの役の俳優たちも、言葉をかける相手に向かって急に指さしをする、頭の上に腕で家の形を作る、といった具合だ。俳優たちは必要な場合には跪いて片耳に手のひらを添えたり、聞く耳を片側から別の側に変えてみたり、いろいろな仕草をする。
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三浦の仕事をより詳しく調べてみると、『罪と罰』における音と身振りの言語が、けっしてこの演出家がいつも使うお決まりの演出スタイルというわけではないことがわかる。ほかの芝居では、このような音と身振りのスコアにあたるものは事実上存在しない。『コリオレイナス』や『ファッツァー』のような芝居では、日本的演劇の兆候がより強く表面化している。ほかの劇、とりわけチェーホフ劇では、こうした痕跡は多様な様式に紛れて消えてしまう。
ということはつまり、『罪と罰』における音と身振りは、目と耳で把握されたこの小説のイメージであり、この舞台のポエジーなのだ。それは必ずしも三浦の発見ではなく、むしろ過去の痕跡である。というのも、人物がにわかに舞台に登場すると同時に、同じくにわかに何かを示すしぐさをしてみせるのは、日本演劇の歴史に根差し、現在でも生きている伝統に則したスタイルだからだ。ロシアの演劇、つまり心理劇においては、登場人物は舞台全体の雰囲気と全体のリズムの中にきちんと納まるようになっている。日本の演劇では、人物が突然、自己を表明したりする。まるで場の単調さを打ち破るかのように。これは、他の伝統と同じく、ロシア人の観客には自明ではない。こうしたことは異様なもの、自分たちと違うものとして、我々を驚かす。そして自分たちの、ロシアの世界に似たものを求めさせる。たとえば日本版を見たときにはセリフに含まれた音としての「ア」と「オ」は、私にはネヴァ河の岸辺のカモメの鳴き声に聞こえた。よく響く、喉声の、しつこい鳥の声だ。ペテルブルグ・カラーをいや増すものである。しかし同じ「ア」と「オ」のやり取りが、ロシア語版の芝居ではなにかしらむき出しになった感じがした。もはやカモメの声は聞こえない。それは日本人の声がより音楽性に富んでいるからか(とはいえまさか三浦が『罪と罰』の音に取り組んでいる際に、北方の海鳥のことを意識していたはずはないが)、あるいはロシアの俳優たちが、音楽を普通の文頭音へと修正し、自分たちのものに変えたからだろう。
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BDTでの『罪と罰』の音レベルは、ロシア人の耳にとっては最大限の音量だ。私の記憶が正しければ、京都では役者たちはマイクを全く使っていなかった。それでも声は十分に聞こえたし、耳障りでもなかった。ペテルブルグでは(今どきの大方の舞台の通例通り)声のボリュームはピンマイクで補われている。(思えば、よくも昔の劇場では、電気音響設備の助けを借りずに、最後列席まで音を届かせていたものだ)つまり音を誇大にする日本演劇の伝統で強化された演者たちの声が、BDTではさらにマイクロフォンで強められることになる。叫びや慟哭、モットー、キーワード、一息で吐き出すモノローグ――これらが高デシベルまで強化される。舞台は喧騒と叫びの渦だ。ロシアの普通の観客にとっては、これはなかなかの試練である。聞きやすい中ぐらいの大きさの声に耳を傾けるのに慣れているからだ。
三浦の演出では、登場人物の言葉はとても大きな声とあまり大きくない声の間の領域に収められる。グラデーションは多くない。静かな間は少なく、正確に計算されている。熱情ないし激しい感情は、三浦の舞台では大声で表現される。彼はすべてを狭い場に押し込める――言葉も、音も。互いの近さが緊張を生み、激しい流れの印象をもたらす。それゆえ(そればかりではないが)三浦の演出する芝居は短い――ヨーロッパ演劇風の感情の〈水〉、ずっと溜まっていて時々軽く波立つような〈水〉が、一切ないのだ。
大声での舞台上のセリフ、オペラのリブレットないし必要最低限の対話集であるかのようなサイズに短縮された小説のテクスト、ロシア人の感覚ではバラバラにも感じるリズムや動き――これらはすべて警戒心を喚起する。これは慣れを必要とする演劇であり、うろたえずに受け入れ、理解する必要がある。なぜならそこでは思想的な問題が美学的な問題と触れ合っているからだ。
芸術作品がすべてそうであるように、本物の演出は奥が深いもので、われわれはそこに(ちょうど井戸に潜るように)ある程度まで身を浸すことはできても、とても底までは到達できない。しかも演出は問題集ではないし、我々は生徒ではない。とはいえ二つの文化を一体化した『罪と罰』を注意深く見れば、批評的な詮索など一切抜きにしても、多くのことが発見できる。
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エレーナ・ゴルフンケリ
ロシア国立舞台芸術大学(サンクトペテルブルグ)教授
原文 Елена ГОРФУНКЕЛЬ «Вопросы и ответы «Преступления и наказания»», 『Slavistika: 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』37巻、2023年、5-20頁。