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「リジェクトされる」設定を解除したら

相変わらず引っ越し先の契約プロセスはのんびりと進んでいる、、、と思いたい。

一緒に次のフラットに引っ越す友人(便宜上友人と言っているけれどただのフラットメイト)は、週末からどんどん家具やら不用品やらを売り始めている一方で、契約書を交わすまでは何が起こるかわからないと、万が一のことをまだ頭の片隅から追い出せない私。

引っ越し先は今まで住んだフラットの中で1番個性的で素敵な物件なので、そこで過ごすことを考えるととってもわくわくするし、ということはもうそれだけで大丈夫。それなのに、ついつい、誤作動多めの私の危険回避システム(=不安)に引っ張られて、「浮かれちゃダメだ、まだあんなこともこんなことも起こる可能性があるわけだし」などと、やめとけばいいのに自分の妄想でどんより。その度に、「いやいやいや、引き寄せちゃうからそういうのやめなよ」と自分を諭し、代わりに新しい部屋のレイアウトを考えては、てか、2人とも同じ方の部屋がいい、なんてことになったらとうしよう、とまたほんのりパニックになる私。めんどくせえ。

パニックの深みにハマると、セルフレイキやメディテーションが上手くいかなくなるので、そんな時はクリスタルボウルの出番。気持ちが乱れていても、ぼーん、ぼーん、と鳴らしているうちに、埃のように舞っている頭の中のざわざわがすっかり地面に落ち着いて、身体の内そとの水分やら細胞やらがクリスタルボウルの振動とシンクロしたかのように(実際してるんじゃないかな)、それはそれは静かに澄んだ感覚に包まれます。クリスタルボウルの映像とか見ると割と独特の雰囲気のものが多くて、「ちょっとこういうのは」と思う人もいるかもしれないけれど、私はかなりカジュアルな感じで、それこそビタミンサプリメントを飲むくらいの感じで使っているので、そんな感じでもっと広まったらいいのになと思ったりしています。1個でも充分パワフルだし。

さて本題は、今朝クライアント宅へ向かう道での気付き。そういえば、このクライアント宅へ行く途中にはよく気付きに出会う気がする。

前述の通り、あの手この手で、心身ともに落ち着いた状態を保てるようにはしているものの、胸の奥の方に暗雲が立ち込めてきて、「なんなのよ、もう」となることがなかなか無くならず。今日の移動中もそんな感じでした。

バスを降りて、施術台の入ったトロリーバッグをガラガラと引きながら、なんでそんなにどんより不安な気分になるんだろうか、何がそうさせているんだろうか、と考えていました。だって、そもそも今抱えている問題は解決方向に進んでいるわけで。

思い出したのが先日の看護師をしているクライアントとの会話。不安は人間の危機管理システムで、過去の経験から感度設定されたアラームが、危険を察知して鳴っているだけ。火災報知器と同じで、誤作動もあれば、本当に火事が起こっていることもあるから、不安になること自体は危機管理をする上で大切なことだけれど、ある時点で不必要に刷り込まれた経験で、なんでもないことで誤作動が頻繁に起こるというのが、なんらかの恐怖症だったり、ことごとくだめんずを渡り歩いたり、それこそパニックだったり鬱だったりするんじゃないかという話をしたのでした。

で、今の私のこの感じ、いまだに行く末が不安というよりは、思考のパターンからくる不安だよな、だったらなんだろうと内省してみて浮かんだのが、「私はどうせリジェクトされる」というキーワード。もうそのまんま過ぎてびっくりよ。

Reject(リジェクト)をひとことで日本語に訳すのがとても難しい。辞書には、拒絶する、却下する、拒否する、不合格にする、申し出を断わる、のけ者にする、除く、捨てる、受けつけない、とありました。どれも納得だけれど、どれかひとつをピックアップするとなんか違うので、ここでは、リジェクトとカタカナで書くことにしました。

というのも私が子供の頃、親に何らかの許可を求めても、最初の答えは必ず「だめ」だったのです。それがたとえ、お小遣いでサンリオの文房具を買いたい、という些細なお伺いでも。しかも父親は母親に、母親は私に、キレる人だった。だからそのうちにどうせ何を聞いてもダメと言われるし、長々と交渉するのもめんどくさいし、下手にキレられるのも怖いから、とりあえずいうことを聞いていよう、と小さな心に決めたのでした。

結局「最初の答えは”ダメ”」というのは、私が就職して実家を出る時、最初の短期イギリス留学をする時、カナダのワーホリが決まって日本を発つ時まで続いたのですが、就職を期に自分で生活費を稼げるようになってからは、親がなんと言おうと関係ない、お伺いではなく報告をする、というマインドになっていました。結婚に至っては、事後報告だったしね。

さらに思い当たることがどんどんと頭に浮かびます。最近のことで言えば、今のフラットに引っ越してくる時の審査、ロックダウンで仕事ができなくなって公的補助を受けるための申し込みをした時。こちらに非があるわけでもないのに、執拗に不安に駆られているときはいつでも、何らかの許可(approval)を必要としている時でした。もっと言えば、そのマイルドバージョンはそれこそ日常茶飯事。新しいクライアントに初めて施術をする時も、友達にちょっとした頼み事をする時も、胸の奥の方に重くて黒い塊の存在を感じます。

そしてその黒い塊の元は、「私はどうせリジェクトされる」という前提ゆえだったのです。どんなにその後に「ほら、やっぱり大丈夫だったじゃない」という経験を重ねていても、その前提が揺らぐことはなかったようです。

Fear of Rejection(拒絶される恐怖)がものすごく強いことには随分と前から気付いていたのですが、その恐怖の元が前提設定ゆえだったとは。面白いことにそこに気付いたら、「なんだそれ」とちょっと笑えて、あっという間に黒い塊が消えて行ったのでした。

もはや今回のことは、この気付きを得るために与えられたんじゃないかというくらい。そしてそれにシンクロするかの如く、駄目もとでのチャレンジ、しかも締め切りに遅れて応募した、とある医療機関から面接のお誘いがきました。全く期待していなかったのでびっくり。とともに、英語なのをいいことに経験欄を盛りに盛って書いたので、これちゃんと口頭でも説明できるのか、、と若干焦っています。解剖学用語の発音も怪しいのばっかりだし。笑

そして念願のビーチホリデーのフライトも予約しました。まだ懸念材料はあるのだけれど、それは問題になった時に考えることにして。とりあえず今の流れに乗ってみることにします。

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