戦いはあと1週間
私の勉強している分野は、人まるごと(身体、心、性格、得意・不得意、興味、認知力や癖、仕事や趣味などなど)とその人の生活環境を総括した上で、何らかのチャレンジがあっても何とかその人らしく生活できるようするにはどうしたらいいのかを考える学問なのですが、もうすぐ1年生が終わるというのに、私ときたら、いまだにセオリーや専門用語の理解というか、いわゆる腹落ちが絶望的にできていません。参考書を読んだり、授業の復習をすると、何となくわかった、、、かも?と思うものの、やっぱりまるで掴みきれていないので自分の意見に盛り込めず、課題は毎回拷問さながらなのです。人、生活、環境などというふわっとしたものを、こじつけて名前をつけてません?的なものが多い上に、今までセラピストとしてホリスティックに捉えるということはごく自然にやって来ていることもあって、脳みそが拒絶反応を起こしているとしか思えません。解剖生理学なら名前を覚えるのに苦労はしても、理解ができないことはないのに。
そんなこともあって、授業はところどころ興味深いトピックは出てくるものの、全体的には勉強しててもあまり面白くないし(まあ理解できなければその面白さが分からないのも当然なのですが)、方向転換すべきかどうかもう何ヶ月もぐるぐると考えていました。そして考え疲れたので何かアドバイスをもらおうとパーソナルチューターとオンラインミーティングをしたのです。
が、ミーティング開始1分と経たずに大後悔したのでした。まず最初の一声が「あなたがどうするか(辞めるか続けるか)の決断は私にはできないから」というもの。反射的に「誰かに決めてもらおうなんて思っていないし、そもそもそんなこと頼んでいませんよね?」と言い返してしまいました。あまりに頭に来て、ブラウザを閉じたい衝動に駆られたものの、さすがにそれは、ね。仕方なくそこから「病院実習も散々だったし、セオリーも何だかよく理解できないし、課題は毎回瀕死の思いでやってるしで、この先やっていけるのか不安だし、何か根本的な勉強方法が間違っているのか、向いてないのかじゃないかと思っている」的なことを話したのですが、チューターは「でもあなた今まで課題全部パスしてるんだから問題ないでしょ」の一点張りでした。彼女は担当講義もあれば役職も研究もあって、双子幼児の母である上に自身は病気持ち。忙しいのはわかるけど、相談に乗る気がないなら、そもそもチューティーを持たないでくれたらいいのに(そのぶん授業料返してほしいわ)。
そんなわけで不毛のミーティングは助けにならないどころか、翌日丸1日どっぷり落ち込む羽目になったのですが、それでも学年最後のモジュール課題の締め切りは容赦なくやってくるわけです。そして今回は私にしては早めに取り掛かったのですが、やればやるほど時間がたりなくなるという謎の沼にハマっています。
昨日はモジュールチューターと1:1オンラインチュートリアルで、各生徒に割り当てられた時間の倍をかけて、プレゼンテーションのドラフトを添削してもらい、セオリーの補講的なことまでやってもらいました。こんなに丁寧に見てもらえるなんてありがたや。私より先にチュートリアルを受けた友達が「録音しておけばよかった」と言っていたので、Otterという音声を録音しながらテキストに変えてくれるアプリと共に挑んだのですが、これが大正解でした。
私は、話す・聞くをやりながらメモを取るが絶望的に下手なので、メモがぐちゃぐちゃ。後で見ても使えないことが多いし、音声録音だけだと聞き直したいところを探すのが大変だけど、テキストがあると探しやすいのです。授業中、知らない単語に意識を持っていかれている間にスライドが何ページも進んでいるなんてことが日常茶飯事の私には、最強のヘルパーかもしれません。あ、これクライアントの許可をとって問診時に使えばSOAPノートにもコピペで行けちゃうかも。
ということで。有益なチュートリアルで課題をやるのが楽しみになっては来たものの、あと1週間ではとても終わる気がしないけれど終わらせるしかないので、せっかくのイギリス的夏を横目に、調べて、読んで読んで、考えて、フリーズして、書いて、フリーズして、という無限ループを繰り広げる晴天の週末なり。これが終われば3ヶ月の夏休みなのです!