12/例外なく、みんな死ぬ。だからこそ、
お久しぶりの投稿となりました。
げっちん!です!
突然ですが、
みなさんは、終活ってしていますか?
しないとな〜とかぼんやり考えたことはありますか?
まだまだ自分の歳ではピンとこない感じですか?
身近なところで、死というものを経験されたことがありますか?
"死"というワードがネガティヴに感じたり
よくわからないから考えられなかったり
考えたくなかったり、人に話すことは気が引けたり、
日本ではタブーにされやすいジャンルですよね。
死ぬ間際に、人は
自分のやりたいことをやれば良かった
会いたい人に会えば良かった
など
感じやすいということも聞いたことあるかと
思いますが
実際にそれを行動に移している人は少ない
なんで、死を身近に感じられなくなってしまったか
感じることを避けるようになってしまったか
井上まゆみさんの死生観のお話から得たものを
綴らせてもらいます
人は例外なく必ず死を迎えるのに、死について多くを語らないまま生きていて、死というものが点の出来事でブツブツと途切れ、繋がりのないものになっているのです。
それは、
"死の経験の共有"
がどんどん減っているからだそうです。
日本では、施設や病院で最期を迎える人が8割にも
なっています。
70年前は、ほぼ自宅死で、
家族の死が暮らしの中、日常の中にあった。
具合が悪くなり、息を引き取るまでの流れを
家族が共有していて、わからないながらも経験していった。
淋しさをどう乗り越え、支え合い、
おじいちゃんの時はこうだったなぁとか
経験の中で積み上げていく死生観があった。
病院だと、何が起きていて、その人がどんな反応でどんな表情で、どんな暮らしをしているのかが、全くわからないのが現状です。
しかも、コロナ騒動以降は制限がかかり、それは加速している。
そうやって、死の経験がどんどん少なくなっていくことで
死がどういうものかわからないから怖いものになっていき、いつかの誰かのもの のような感覚になっていく
というお話でした。
施設や病院で死ぬことが悪いことではありません
しかし、死生観なしにそれが当たり前、仕方がないというような価値観一択にならないようにしたいし、そう思わざるを得ないような社会を変えていかないといけないと思います。
だからこそ、(シンジローみたい)
死と向き合うことは生き方と向き合うこと
怖いものでも、ネガティヴなものでもなく
死生観を持って生きることが大事なんだと
毎日を生きられる人を増やしたいと思って
写真活動を始めました。
ただただお客さまとカメラマンではなく
その方の暮らし、背景や価値観を知り、
その人らしさ、生き様が写し出せるような写真を撮りたいと思っています。
どんな日常の一場面が好き?
どんな家族らしさが好き?その子が好き?
どんな未来にしたい?生き方をしたい?
重い?笑
と、そんな感じで、撮影前にはお話をする時間を設けさせていただき、まずは、知ることから始めます。
どんな場面を残したいか、自分の中でなぜ残したいものなのかを共有して、撮影前からワクワクするものにします。
そんな撮影体験も含め、想いを乗せて切り取った写真を記録に残すことで、死生観(生き方、死に方)を考えたり、終活や、エンディングノートを書いてみるきっかけにしてもらえるような、
今あるもの、今生きていることに目を向けられる
写真を撮っていきます!
\よろしくお願いします/
シニアフォトモニター撮影募集始めますので
チェックして下さーい♡
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