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灰の上に立つ
家が燃えているときには、昼食も忘れてしまうものだ。しかし、家が燃えてしまったら、灰の上でまた食べ始めるのだ。
これは、ニーチェ『善悪の彼岸』より、「本能。」という書き出しから続く一文です。
“Instinct. When the house burns one forgets even lunch. Yes, but one eats it later in the ashes.”
ニヒリズムを交えつつ明るく、生を肯定する主張として好きです。
しかし悔しさを忘れないこともまた、大事なことだと思います。特に、「心機一転」「志を新たに」といった表現で前を向くと見せかけて実は過去から目を反らしているというのは良くないでしょう。(これが「本能。」ということではあるのですが)
ニーチェはまた、「雄弁な者ほど隠している」という言葉を残しています。
私はこれを、「嘘つきほどよく喋る」と解釈しています。
あまり強い言葉を使うと弱く見えてしまうのと同様、多くを語れば嘘が交じり怪しくなるということです。
特に、過去の事実に対して何度も再解釈を重ねる(まして前向きな部分をあえて探そうとする)ほど、ついに記憶に譲歩をさせてしまうことになるでしょう。
嘘つきが泥棒の始まりであれば、杜撰な敗戦処理は放火の始まりとも言えます。
心機一転、志を新たに次のプロジェクトに向かう自身への戒めとします。
足元に積もる炎上させてしまった過去のプロジェクトの灰を見ながら。