カスタムバイクショップ編2
人生記録簿(6回目)1992~2014
バイク業界に入ってからカスタムショップ関係で転店してきたので、一度メーカーのディーラーに入ってみようと思いました。当時としては、色々いじってきましたし、雑誌の影響もありカスタムした方が性能が上がるのではないかと思っていましたが、業界に入って中から見るとほとんどの場合そうでもなかったです。カスタムした場合かならずメリットとデメリットがあります。部品によってメリットとデメリットの比率が変わるのですべての部品がダメでもないし、全てが良いわけでもありません。メーカーが発売する新車の場合、時間とお金を掛けて作り上げているので、純正以上の部品を作るのは容易ではありません。バランスが取れている状態から部品交換でバランスを崩した場合、使用範囲が狭くなったり、乗る人を選ぶようになったりしますが、オーナーの好みもあるので、どの部分を重視するかは難しいところです。ただ、バランスを崩し始めた場合は、関係する箇所すべてに影響が出るので、見直す部分が多くなります。
YSPに転店してからは、他に従業員がいた関係でスクーターや、他の車種の修理を行っていましたが、バイク屋さんあるあるで気が付くと他の従業員がいなくなり、ひとりで作業することになっていました。最初は思ったよりVmaxのお客さんは少なかったのですが、デモ車があったので色々弄ってみたりしている間に、Vmaxメーリングリスト関係のお客さんが来店するようになり、徐々にVmaxのお客さんが増えていきました。やはり一人だと厳しいので、知り合いの整備士や関係者が来てくれるようになり、従業員も増えてきたので、SRやTW等のカスタム車を作って販売も行っていました。
当時、携帯電話もメールが最新機能ぐらいで、カメラ機能も無く、インターネット自体も黎明期といった感じでそれほど普及はしていませんでした。
徐々にVmaxのお客さんも増えてきて、Vmaxのコンプリート車を販売することにしました。当時、国内仕様(97PS)と逆車(140PS)があり、それぞれメリットデメリットがあったので、国内仕様はフルタイムVブーストとマフラー加工を行い販売していました。カスタム部品も少ない時代で、ダイノジェットのST-7がフルタイム仕様だったのですが、個人的に気に入らない部分もあり、また、日本の道路事情に合わない部分もあったので、ST-7ではない部品でフルタイムVブーストにしていました。
1990年代の新車販売のメインは、国内仕様でしたが、1999年に生産終了になったので、2000年代は、逆車メインになりました。ただ、排ガス規制が始まり、逆車も2001年で一旦販売中止、生産はしていたので、当時のプレストコーポレーションが2002年式を40台ほど輸入(南アフリカ仕様)し、排ガス試験を行い、販売可能でしたので、2003年は南アフリカ仕様が輸入されました。カナダ仕様も排ガス試験がクリアできたので、2004年の中盤からは、カナダ仕様が販売されました。当時YSPはフランチャイズだったのでヤマハ直営ではなく、内情は個人商店で経営者側の問題が発生し、2006年に退店し、個人で作業を行っていました。ブログを始めたのがこの当時で2007年です。いろいろあって2008年に戻ることになりました。
2008年に新型VMAXが出ることになり、国内仕様も販売されるので、Vmaxのオフ会(メーリングリスト時代から続く)に参加することになりました。ヤマハコミュニケーションプラザでミーティングがありました。
国内仕様のVMAX1700が出たので、デモ車を作りました。ヤングマシンでタイム計測の取材があったので、雑誌に出ましたが、あまり販売にはつながりませんでした。あいかわらず経営者側とうまくいかず、結局2014年にリストラということになり、西東京市でガレージを借りて再び個人営業を行うことになりました。ライトアーム編に続きます。