完母と完ミ、どっちでもいい。今ならそう言えるけれど、そのときは受け入れるなんて到底無理だったっていうお話。

「おめでとうございます!」
妊娠から出産までの道のりは、毛玉で雪だるまを作るようだと私は思う。
痛みや驚き、喜びや悲しみなどのいろいろな感情
そんな感情たちはまるで、こんがらがった糸のように複雑に目まぐるしく
それらをこねくり回して、毎日ぐるぐるしていき、
雪崩で雪山を転がり落ちておおきくおおきく雪だるまのようになっていって・・・・。はい、こんにちは!赤ちゃんって感じ。
私だけかな笑

今日はおっぱいのお話をしたいと思います。
私は娘3人いて、6歳、2歳、0歳。
1人目を母乳で、2人目を混合からの完全ミルク、3人目、今まさに育ててるけど、家では母乳、保育園でミルクで子育てしています。
それぞれのときに私が経験した感情は全く違うけれど
どれもいとおしく、また懐かしい。(3人目は今だから懐かしいとは違うかもだけれど)
親の数だけ、子の数だけそれぞれのストーリーがあって、美しい。
まあ、気軽に読んでいってください。


第一子・完全母乳

長女は何も問題なく、病院について30分もしないうちに生まれてしまった。騒ぐこともなく、陣痛で痛みを感じた?のかもわからないまま、
出そうだなって思ったらもう出てきちゃったって感じで正直拍子抜け感があったくらい。
生まれた直後、
カンガルーケアと呼ばれる生まれたての赤子と肌と肌をくっつけあうという
愛情形成?が行われるのだが
長女のとき、すでに生まれて5秒後くらいには看護師さんが赤ちゃんの顔をおっぱいに近づけると乳首にちゅぱちゅぱと吸い付いていた。
目も見えてないのに!と驚いた。
あ、こんなにも早く生きるための食事をとろうとするのかとその瞬間に冷静さを取り戻したのをはっきりと覚えている。

長女のとき、すぐに母乳がでた。
というか、出過ぎた。
右のおっぱいをあげていると
左のおっぱいからも乳が出ることは誰も教えてくれなかった笑
出すぎることもストレスになるなんて、思いもしなかった。

私はトリプルAくらいの貧乳だったので
どうせおっぱいは出やしないと思っていたが、
同じ病院で出産したほかのお母さんたちが
手こずっているのをよそに、私のおっぱいはみるみる成長し
見たこともないサイズまで(多分Cくらい)大きくなった。
でも、血管が浮き出てたり、ぼこぼこしていたりで形はよくなかったけれど、一生に一度の巨乳に、「豊胸すればこういう感じかぁ」なんて
感動した笑。
ただ、トラブルは続いた。
母乳パットをしても一回の授乳で、あげていない方の乳が漏れ出す。
それもTシャツやブラジャーをびちゃびちゃにするくらい。
洋服は毎回変えないといけないし
母乳パッドを増やしたり、タオルを入れたり、なんなら生理用のナプキンにしたり、でもびちゃびちゃになるか、ごみが増えるか、結局なんかしらのストレスはついてきた。
哺乳瓶を買って、あげていない方のあふれ出す乳を溜めようとしたが、
乳って飛び出すんだよね。水鉄砲的な感じ。しかも方向は定まらないし、乳首には穴が複数あいていて、そのいろいろな穴から飛び出すから結局哺乳瓶に入らなくて床が濡れるはめになった笑。
もうストレスマックス!

出すぎて、3度乳腺炎にもなった。
色々調べて甘いものを飲みすぎだったのかとか
脂っこいものを食べすぎだったのかとか
食事を変えたり、ハーブティや漢方を試してみたりとしていたけれど
今思えば多分出すぎてただけだと思う。
さすがに3度目にもなると、。
あ、乳腺炎になりそうだなぁって自分でもわかる感覚があったから、
なるべくしこりになりそうな、張って痛くなってるおっぱいの部分を
マッサージしながらあげることで、回避することもできるようになって
自分のおっぱいとのコミュニケーションもうまくなったいたけれど、
やっぱり母乳が出すぎてストレスだった。

長女は2歳の誕生日が来るその日まで母乳で育てた。
母乳でおなかがいっぱいになるからか、そういう性格なのか
長女は離乳食をほとんど食べることはなかった。
2歳までほぼ100%私のお乳で育ったことになる。
それが原因かどうかわからないが、
今も長女は食べること自体にあまり興味がない笑
今の悩みはそっちかな。

第二子・混合のち完全ミルク

3年後に生まれた次女は母乳とミルクの混合から始まった。
その話は彼女が生まれるのが1か月早かったことと関係してくる。
予定日のちょうど1か月前、友達家族と一緒にキャンプへ出かけた。
別に無理したわけでもなかったが、疲れて帰ってきたその夜家で破水した。
予定日まで1か月ある。ていうか、ついおととい産休に入ったばかりで、やっと仕事が終わっていろいろとやりたいことがあったのに~笑(赤子の心配ももちろんしていたけれど)そんなことを考えている余裕もあった。
かかりつけだった地域の小さな産院で調べるとやっぱり破水で、まだ水もたっぷりあるが、赤ちゃんの大きさがもしかしたら2000ないかもしれないから、大事をとって大きな大学病院への転院をお願いされた。そのまま救急車で転院。コロナ真っ最中だったので、旦那の立ち合いはNG。面会もNG。入院準備はしていない。えーまじか。えーどうして。えーなんでよ。の連続。はい、ストレス笑
でも、結構能天気な私はまぁどうにかなるでしょ、って思ってそこまで心配もしてなかった。
破水はしたけれど、赤ちゃんも用水もたっぷりしていたので、2日間様子をみた。陣痛が起こる様子もなかったので、3日目、朝から促進剤を投入し、お昼、無事出産した。心配したのに大きさは2500もあった。1か月待っていたらどこまで大きくなっていたか・・・。エコーってほんと適当だなって思った笑。

病院の決まりで、赤ちゃんはNICUに。この病院の決まりとかルールとかやめてほしいなぁって思う。赤ちゃんは大きさも十分だし、元気なんだからいいじゃないか、と思った。もちろん赤ちゃんに何か問題があれば、安全が第一なのはわかるけれど、先生の話によれば、予定日より早かったから。そもそも予定日って予定じゃないか!大体の大きさだとか、大体の生理日とかで決めてるのに!と疑問、というか疑惑でしかなかった。
ただ病院側がNICUに入院させておきたいんじゃないの~お金とかの面で~っと疑惑を抱かざる終えなかった。
さらに、NICUとかいくらかかるの?とか産後お金の心配をしなければならないこととか余計なストレスになった。まあ、結果的にいうと、次女が3人の中で飛びぬけて出産費用は安かったんだけれど笑

保育器に入ることになったし、長女の時のカンガルーケア―や母子同室はかなわなかった。赤ちゃんは元気だったので、決まった時間に母乳をあげにNICUに会いに行った。
誰かが決めた時間におっぱいが欲しいとも限らないので、あげても吸い付かないし、吸い付かないと母乳も出ない。私は長女のときのおっぱいを知っているので、おっぱいを刺激しては搾乳し、なるべく張る時間を増やして分泌量を多くしようと必死だった。あげなきゃいけない、でもおっぱいを飲んでくれない、さらに看護師が母乳の代わりに哺乳瓶でミルクをあげているのを見て、私は母親失格だと落ち込んだ。
私は先に退院して、彼女は10日間入院した。産後の体で、加えて抜糸前の股が痛いときに電車とバスで病院へ搾乳した母乳を届けるのはストレスでしかなかった。かわいいわが子に会えるだけでよかったのだけれど、早くお家に連れて帰りたかったし、お家でゆっくりおっぱいをあげたかった。今でもこの時を思い返すとストレスしか思い出せない!本当に悔しいなぁ。

完母を貫こうとする母と泣く赤子

10日後、退院すると家では完全母乳に切り替えた。
切り替えたといっても、おっぱいはすぐに出が良くなるわけなんてないので
赤ちゃんはすぐにおなかがすいて、頻繁に泣いた。
私は長女を面倒見ながら、赤ちゃんにおっぱいを吸わせまくった。
刺激が大事だろうと思っていたから。
昼間も夜中も1時間間隔くらいで吸わせていたと思う。
長女の時には飲まなかったおっぱいが増えるハーブティを飲みまくった。
エネルギーになるようにじゃがいも、さつまいも、ごはん、餅を食べまくった。体重は産後よりも5キロくらい太った笑
ずっとストレスが続いていたと思う。おっぱいが出ないこともそうだし、
すぐに泣く赤ちゃんを抱っこするのも疲れるし、3歳の長女はまだまだ手のかかる年ごろだったし、思ったように体重は減らなかったし笑(これは私が食べまくっていたからだけど)
1か月検診で、体重が増えていないことを指摘されたとき、帰り道で泣いた。泣きながらベビーカーで寝ているわが子にごめんねと思った。母乳がでない私は母親として失格だと。
ある日、私が長女を寝かしつけて寝落ちしてしまったとき、泣いた次女をどうにかしようと、旦那が産院で以前もらっていたミルクのサンプルを作って飲ませたことがあった。
ミルクのごみを見て、私は当然のことのように怒った。おなかがすいたときに飲ませないと母乳が出なくなっちゃうでしょ!って。私は必死なんだよ!ってね。
そういうと、彼は静かに「手助けしていると思った」と言った。
そんなことよりも、長女の世話をしてくれ!おむつを替えたり、部屋の掃除ややることいっぱいあるだろ!とかぷりぷり怒っていたけれど、満腹になってすやすや寝ている次女を見て、
あと、申し訳なさそうにごみを片付けていた旦那を見て、
この子の成長を私は自分の満足のためにないがしろにしていたのかもなって気が付いた。そして私は旦那にも誤った。
初めて次女は3時間まとまって寝て、私は初めてドラッグストアでミルクを買った。(ミルクって意外と高いのよね・・・。)
そこから少し混合の日が続いたが、だんだんとミルクが多くなっていった。
それは、なんといってもミルクって楽!!と気が付いたから。
どのくらい飲んだか目でわかること。長女やパパ、おじいちゃんやおばあちゃんもミルクをあげることで次女のお世話ができること。飲んでいる姿がとてもかわいいこと。お湯とミルクがあれば出かけ先で服を気にしなくてもよいこと。よく食べてよく寝てくれるようになったこと。
あげればキリがないかもしれないくらい、いいこと尽くし!
お金がかかるし、哺乳瓶の消毒とか衛生面も気になることがあったが、それ以上に私の母乳が出ないことのストレスがなくなったことで、赤ちゃんとの楽しい時間が増えて本当に救われた。これは本当に旦那のおかげだと思う。
結局6か月くらいまでは頑張って(本当に最後まで意地もあって頑張って)おっぱいを吸わせている時間も多少あったけれど、90%くらいはミルクに頼っていた。
それで、6か月になった日に、おっぱいをやめて完ミに切り替えた。
次女はミルクを1歳くらいまで飲んでいたと思う。

余談だが、おっぱいは見るも無残なサイズ、トリプルAよりもない感じになった。
胸はなくなったと思ってくれって旦那に言った。笑
正直びっくりするくらいなくなったけど、まあこれもあの子たちを育てたおかげだからと思えばね。笑

次女は離乳食もよく食べる子だったし、今もよく食べる。
今は(もうすぐ3歳)だんだんと好き嫌いが出てきたけれど、それでも長女と比べると本当によく食べる子でそこは全く気にしていない。
テーブルに出したら出しただけ手でつかんできれいに食べてくれる。
長女と真逆でそれも面白い。

第三子・母乳とミルクにこだわらない

3人目が妊娠したと分かったとき、私は育休から復職して半年くらいしかたってなかったので、さすがに驚いた。
うわぁぁぁぁまじか!ってかんじ。
もちろんうれしいなって思ったけれど、計画にないことって誰だった驚くと思う。しかも、検査薬を試しているときに、なぜか旦那がトイレのドアを開けたからそこでバレるという笑。
まあ、あと10か月あるし、どうにかなると能天気な私は思っていた。
でも、経済的に我が家は私がもう一度育休を取るとやばいことが判明したので、出産して次の4月に保育園に入れるということで動き出した。(育休中も100%の給与が支給されればもっと子どもを育てる人が増えると思う、持論だけれど)
結果ありがたいことに、三女は生後2か月で保育園に入園することが生まれる前に決定した。
順調に生まれてきてくれて、3人の中で一番大きく生まれてきた彼女は一番おっぱいの吸い付きもよかった。おっぱいも順調に出たけれど、長女のときほどでもないし、上の2人の子育てをしながらだとエネルギーをそちらに吸われて、そのうちおっぱいは干からびてしまいそうな気はする。
それでも、床にはいつくばって、結果いつの間にか気が付いたら寝ているというありがちな静かに育つ三女は、家では母乳、保育園ではミルクの体制で今もすくすくといろいろな人に育ててもらっている。
それでいいと穏やかな気持ちでいられるのも、上の2人が私をこんな母にしてくれたおかげである。ありがとう!
今離乳食が始まって、三女はよく食べてくれている。
これから何があるかもちろんわからない。
でも、食べても食べなくても、飲めても飲めなくても、子は育つ。
それでいいし、何かが起きたら起きたときにどうにかすればいいと思う!

おまけ・1か月検診の面白い話

私は3人をそれぞれ別々の病院で出産している。
長女は車で30分くらいの大学病院
(理由は水中出産がしたかったから。結果的には先に破水してできなかったけれど笑)
次女は自転車で20分くらいの地元の産婦人科
で産もうとしたけれど、
結局は自転車で30分くらいの大学病院
(理由はお友達ママさんのおすすめ。結果的には先に破水して大学病院に転院させられたけど笑)
三女は自転車で10分くらいの地元の産婦人科
(理由は長女の幼稚園が近かったから笑送り迎えの前後で検診しなきゃね。笑)

それぞれ違うのは、1か月検診での病院への行き方

長女はタクシーで。
このときはGoogleで【1か月検診 行き方】とか調べてコロナ前だったけれど、電車はウイルスが怖いとかなんとか。
そんなんで大事に大事に育ててた第一子あるある笑

次女はベビーカーで歩いて。
歩いて2時間かからなかったから、産後のエクササイズもかねて歩いた。
もちろん途中の公園で授乳してね笑
涙涙の帰り道、でも2時間歩いても結局やせなかったけれどね笑
その分寝てた方が母乳にもよかったのに!意外と私はそういうところまで気が回らない笑

三女はベビーキャリアで抱っこして自転車で。長女と次女も一緒に。
3人目ともなると、産後1週間後くらいから自転車で出かけてた。送り迎えとかね。3人を自転車に乗せるって結構大変。でも大変だけど歩くよりマシだと思う。

どんだけ育て方にムラがあるんだよ!って思い返すと笑えてくるけれど、
それぞれいい思い出です。
読んでくれてどうもありがとうございます!


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