ユニクロの急成長を支えた安本顧問が語る、企業成長の秘訣とベター・プレイスの可能性
「ビジネスを通じて、子育て世代と子どもたちが希望を持てる社会をつくる。」という企業理念のもと、現在および将来にわたり、人々が「お金の心配なく」「自分らしく働ける」社会を目指す株式会社ベター・プレイス。医療、保育や介護など、人々の生命と社会生活を支える人たちの資産形成や福利厚生を支援するための「はぐくみ基金」の設立のほか、DXにより企業年金を刷新し、初心者の方でも手軽に老後の資産形成ができるような取り組みを行っています。
今回は弊社の顧問であり、公認会計士および経営コンサルタントとしても活躍をされている安本 隆晴氏にお話を伺いました。安本先生は、1990年に株式会社 ファーストリテイリングの柳井正社長と出会い、株式上場準備コンサルタント・監査役として、同社の躍進を会計面から支えてきました。またアスクル株式会社など複数の上場企業における社外監査役も歴任しています。経営のスペシャリストであり指導者でもある安本先生とベター・プレイスの深い「縁」について語っていただきました。
代表・森本の一言がきっかけで誕生した「未来経営塾」
—安本先生は弊社社長の森本といつ、どのように出会ったのでしょうか?
僕は2007年4月から中央大学の専門職大学院で特任教授として社会人向けの講義を行っていました。2009年、森本さんが僕のケーススタディの講義を受講してくれたのが最初の出会いですね。
いつも少しうつむき加減で、リュックを背負って教室に入り、かならず前の方の席に座っていました。真面目でよく勉強している姿が印象に残っています。
—その後、安本先生は未来経営塾を発足させていらっしゃいますね。
社会人向けのクラスを6年やった後、森本さんから「経営者向けの塾をやってほしい」と頼まれたのです。
それで2014年に森本さんが中心となって、志ある経営者を募集しスタートしたのが未来経営塾です。未来経営塾の第一期生のひとりが森本さんで、現在、ベター・プレイスでCOOを務めている古市さんも同期です。5期生の渡辺さんもベター・プレイスの執行役員として活躍していますね。
—未来経営塾では主にどのような講義をしていたのでしょうか?
当時の他の経営塾といえば、企業の過去の成功例や失敗例のケーススタディばかり。僕はそういう他社事例の勉強はやりたくなかった。もっと本質的な考えを追求し、経営者として鍛えられるような自社の課題設定と課題解決中心の内容にしたいと思いました。
授業では、それぞれの塾生が自分の会社の事例や問題を包み隠さず発表し、それに対して同期生と共に議論をし、僕が総まとめと指導をする感じで進行しています。
同期生同士の質疑応答や議論はとても活発です。僕もかなり手厳しい意見を言いますし、OB塾生が議論に参加してくれることもあります。皆さん、経営者としての理想や意欲を持っている方々なので、そこで第三者の感想や疑問点を参考にしながら、実際に自分の会社の屋台骨をしっかり組み直していくようなイメージですね。
—とても実践的な講義内容なんですね。未来経営塾からは多くの成功者を輩出しているとお聞きしています。
僕自身は経営者には向いていません。自分の夢を実現するというより「人の夢を担ぐ」そんな性格です。考えてみると高校時代も応援団だったし、人の応援をするのが好きなんでしょうね。
未来経営塾は森本さんに言われなかったら、やっていなかったかもしれません。そう思うと森本さんとの縁は深いですね。
ファーストリテイリング柳井社長との出会い
—安本先生はユニクロで有名なファーストリテイリングの拡大期に、柳井社長に伴走されてきたと伺っております。
公認会計士試験合格後は監査法人勤務を経て、経営コンサルティング会社を設立したのですが、さてお客様をどう集めようかと考えました。当時はネットがありませんから、周知してもらうには本がいいかなと思い、ダイヤモンド社に知り合いがいたので本を出してほしいと企画案をいくつか出しました。そのなかで僕が『熱闘「株式公開」』という本を半年かけて書き、出版してもらいました。
そうしたら、山口県にある小郡商事の総務から「社長が本を読んで感動したそうです。どうしても会いたいと言うのでぜひ来てください」と電話がきました。その小郡商事が後にファーストリテイリングと社名変更した会社であり、僕を呼び出したのが柳井社長でした。
最初に会った時から、柳井さんは「このままでは日本のアパレル会社は海外から乗り込んでくるアパレルブランドに負けてしまう。日本の洋服屋が全滅する危機だから、なんとかするんだ」と言っていた。それに対して僕も「じゃ、やりますか!」と答え、統一性のないバラバラだった洋品店を、ふたりで一から作り直そうと話し合いました。当時柳井さんは、年間30店舗ずつお店をオープンすれば、すぐに100店舗を超え、3年後には上場企業になれると言っていて、本当にその通りに実行できました。
それまでの洋服は、企画・デザインを経て縫製工場・副資材工場から卸や問屋へと、いろいろなプロセスを経てやっと洋服が小売店舗まで流れてきていました。数々の工程や会社から会社へと多段階で流通するから洋服が店舗に並ぶ時は値段が高くなる。途中の工程を全部抜いて自社で作って売れば、良い品を安く販売できるわけです。柳井さんは、中国の生産工場で作る、SPA(企画、製造、販売まで統合し無駄を省いた垂直統合度の高いビジネスモデル)を始め、どんどん実行しました。流通過程の「中を抜く」というビジネスモデルの変革をしてきた人といえるでしょうね。
—共に会社を大きく成長させていく中で、特に柳井社長の行動や言葉などで印象深いことはございますか?
柳井さんは「用意周到に準備して新商品を出してもなかなか売れない。10個やって1個くらい当たる、それを瞬時に発見して伸ばしていくかを考えている」とよく言っていました。
当初のユニクロ躍進を支えたのはフリースの商品です。フリースも当時はアウトドア専門店でしか購入できず高価だった。それを一挙に安くしてカラーバリエーションを揃えた。そのスピード感や行動力はとにかく圧倒的でした。
ただ、ブームですから絶対落ちるときがくる、と考えていた。落ちる時にどうやってブレーキを踏むか、過剰在庫にならず、赤字にならない会社をいかに作るか、その間もずっと考えていました。需要を読み間違えると赤字になりますからね。
おかげで会社は、40億から100億、200億、400億と飛躍的に成長しました。さらに2,000億、4,000億と成長すると、柳井さんが「次は1兆だ」と口にするのです。とにかく柳井さんは成長意欲がすごかった。
僕は経営計画や社内規程を作成したり、上場準備の組織作りをしてきました。その後も、2021年まで監査役として30年間ファーストリテイリングに携わってきました。
ベター・プレイスは、もっと成長できるはず
—安本先生はベター・プレイスではどのようなお立場で参画していらっしゃるのでしょうか。
顧問という肩書きですね。定例会議に参加し、いろいろな相談にのっています。何か問題や課題があったら、それはこうすればいいのでは、という提案をしている感じですね。
—弊社森本の仕事を間近で見ていて印象はいかがですか。
森本さんは「自分がダメなところをきちんとカバーしてくれる人が僕の周りにいるんです」とよく言います。人が増えて会社が成長する中で、森本さんを、ベター・プレイスという会社を、一緒に支えてくれる人が増えているということですね。
それはつまり、彼が掲げる高い志と安心して働ける良い環境がベター・プレイスにあるということ。森本さんが作ってきた社風なのでしょう。社員が家族みたいなところもあるのかなと外部からは見ていますよ。いいことですね。
—では逆に改善すべき点はありますか?
目の前の成長を追い求めるだけでなく「中長期的に会社をどうしたいのか、どういう世の中にしていきたいのか」をもっと考えてほしい。会社を成長させるには、経営陣が粘り強く、やり遂げたい、やり遂げるんだという熱い思い、それを突き進めていくことが絶対に必要です。そうした資質は森本さんにあるし、もっともっとできるはずだと思います。
この前、教壇に立った早稲田大学の公開講座で「GAFAは『わらしべ長者』である」という話をしました。もう死にそうになって倒れたとたんにつかんだ「わらしべ」を持って、なんとか歩きながら、次々に出会う人たちと「より価値の高いもの」と交換していく。そして、ついに億万長者になるという昔話です。
見方を変えると「わらしべ長者」は、GAFAの成長期とまったく同じストーリーです。
ひとりひとりがいろいろな人と知り合って大きくなっていき、それを大事にし、違う財産をどんどん獲得していくわけです。そういう意味では未来経営塾のメンバーとか、価値観の合う仲間と会社を作っているベター・プレイスが「わらしべ長者」のように成長し、いつかGAFAみたいになったらいいなと思っています。
そのためにもいろいろなことを考えて、試して、世界中の人と知り合い、人との縁を大切にし、世の中を良い方向に変えていく、そうした活動を惜しみなくやり続けることです。
僕は教育者の端くれですから、教えたメンバーたちが集まって化学反応を起こしてくれたら面白いと思っている。ベター・プレイスには未来経営塾の塾生が多いし、関係する会社にも大勢いる。いろんな刺激を受けて、本当に脳から汗が出るくらい考えて考えて考えて、もっと自分を追い込んでいってほしいと思っています。
ベター・プレイスはまだまだこれから。期待しています。