命をつないでいくこと
2021-11‐03(ベター・プレイス代表 森本新士 アメーバブログより)
義理のお父さんが亡くなった。
10月30日の週末のよく晴れた朝のことだ。
今年8月に膵臓ガンのステージⅣと診断されたときまで、元気にご飯を食べ、一緒にハウステンボスに泊まりに行ったりしてたのに、そこからあっという間にガンが進行し、わずか3ヶ月で帰らぬ人になってしまった。
お父さんは生前、本当に面倒見のよくて、豪快で、もうすぐ77歳になる直前まで、ゴルフや麻雀をやり、最後まで家業の質屋の仕事を続けた現役の人だった。
佐賀の実家に帰ると、よく息子と一緒に3人で近所を散歩したのだけど、すれ違う人はもちろん、さびれて歯抜けのようになった商店街のなかで営業を続けている焼き鳥屋や工務店の扉をたたき、おーい!ってニコニコしながら顔を出すので、30分ほどの散歩コースが倍以上かかるのがざらだった。
そんな誰にも愛情をそそぐ人だったから、実家近くの斎場で行われた通夜、葬儀にはたくさんの人々が、心から死を悼み、駆け付けてくれた。
実際に、コロナ禍で間隔を空けていたというのもあるけど、椅子が斎場に入りきらないほどだった。
また、生前、孫にはとりわけ愛情を注いでくれていた。
佐賀の実家に顔を出すたびに、お小遣いをくれたり、ご飯を食べに行ったり、しょっちゅう旅行に連れていってくれた。
地元の料理屋さんでご飯を食べるときは、一通り料理を頼んだ後、息子や義姉の息子がエビフライが好きだったから、「あと、エビフライ20匹ね!」とか笑ってしまうような注文の仕方をしていた。
70歳を超えているのにめちゃくちゃ元気で体力のある人で、公園の遊具で小さな息子たちと一緒に遊んだり、草スキーをしたり、海で義姉の子がおぼれかけたら自ら助けに行ったりと、とにかく一緒になって遊んでくれた人だった。
そんな孫たちにとっても世界で一番のジイジだったから、通夜の夜、息子と義姉の子はいつまでも泣いていた。
もちろん自分もめちゃくちゃ泣いた。
『我われ老人は子育てを支援し、若者が子どもをつくりたくなる環境を整備する。
身体も脳も日々よく使い、自立した生活をして老化を遅らせ、必要になったら互いに介護につとめ、医療費・介護費を少なくし、そうすることにより、出来るだけ次世代の足を引っぱらないようにする。』
これは生物学者の本川達雄さんの言葉だが、僕は義父と過ごした10年に、老人のというか、大人のあるべき姿をみさせていただいたと思う。
己の為だけでなく、子や孫、そして地域の為に生きる。それをあるべき論として眉間にしわを寄せてやるのではなく、自ら楽しみながらやる。
ベター・プレイスはこの10月で10周年を迎え、11期目に入った。
たくさんの人に支えられ、ここまで来れた。
会社のスタッフも40人近くとなり、IPOを目指して、息をつく暇もないほどの忙しさが続いている。
もちろんIPOはゴールではない。目指すべきは「子育て世代と子どもたちが希望をもてる社会をつくる」ことだ。
それをお父さんのように自然体で、生涯現役でやること。
そして、働き盛り世代が、老後もお金の面の心配をしなくてすむよう、ビジネスを通じて資産形成のお手伝いをすること。
10年後か、20年後か、はたまた30年後かわからないけど、僕も必ずあの世にいく。
それまでに出来ることは、生き物として、人として、次世代のために働くことなんだろう。
お父さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
これから一生をかけて、命をつないで参ります。