「丁寧ですね」と言われるのが実は嫌だった話
「丁寧ですね。」
あなたは、この言葉を聞いて、ポジティブなイメージを持つだろうか。
それとも、ネガティブなイメージを持つだろうか。
私は、この言葉が嫌いだった。というのも、仕事でよく、
「あなたは丁寧だけど……」
と、言われることがあったからだ。
私は決して効率がいいほうではない。
物事の優先順位を決め、時間内にタスクを終わらせるのが苦手だ。
手を抜いていいところと、そうでないところのさじ加減が分からない。
その上、完璧主義なきらいがある。
何事も、ある程度ととのった形にならないと、座りが悪くてモゾモゾする。
それゆえ、他者に見せる時には、ある程度の完成度になっていないと落ち着かない。
そんな気質もあって、
「あなたは丁寧だけど……」
と、よく評価される。
「丁寧」ということばの後に必ず続く、BUT。
だから、私は「丁寧ですね。」と言われるのが憂鬱で仕方なかった。
それが最近、ちょっと変わってきた。
「丁寧に暮らす」ことは意識するようにしていた。自分の生活をおざなりにはしたくはないと思うようになったからだ。
ただ、「丁寧」にしか物事に向き合えない自分の性格には否定的だった。それが最近、その嫌いだった自分の性質を受け入れようとし始めている。
きっかけは、Twitterだ。
今、毎日Twitterを更新している。
Twitterをやっている人ってみんな優しくて、あったかい。
私は、日ごろの気づきや日常の中で感動したことなどをよくツイートしている。その内容を見た方が、
「丁寧ですね。」
と、何度か褒めてくれることがあった。
およよ……?
人間って不思議なもので、そうやって何度か繰り返し褒めてもらえると、ちょっと調子にのってしまう。
「丁寧であること」
これって、実は悪いキャラクターじゃないのかな……。
そう考えはじめている自分がいる。
何事も表裏一体だから、「丁寧であること」がいい時と、よくない時があるだろう。
仕事においては否定的な要素になっていた「丁寧さ」。
だけど、実は自分を形づくる大切な要素の一つだったのかもしれないな……。そう考えたら、ちょっと自分のこの性質とじっくり向き合いたい気持ちになってきた。
これって、Twitterを始めていなかったら、決して思いつかなかった発想。
Twitterという場所は、私にとっては自己開示が非常にしやすい。
今まで他者に対してあまり伝えてこなかった自身の本音や、気づきをポロリとこぼせる場所でもある。どうしてなのかは、分からない。今後、ちょっと理由を分析していきたいと思っている。
そんな私のツイートに、フォロワー様がコメントをくださる。そのコメントで、今まで気がつかなかった自分が知れる。その発見がおもしろい。
本当は、フォロワーの皆様に、もっと何かGIVEできるようになりたいのだけれども、今はたくさんもらってばっかり。
皆さまとのつながりにただ感謝。いつもありがとうございます。
GIVEできるよう、これから自分を磨いていくので、引き続き、どうぞよろしくお願いします。