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役立たずだった私が簡単に人のお役に立てる人間になった話

私は過去、自分で自分を生きる価値がない人間だと考えていた。
仕事は遅く、いつも残業だらけ。
(まあ、仕事で時間を埋めることで、考えることから逃げていた部分もあるのだけど)

「丁寧だけど」

とは、よく職場で上司から言われていた言葉。
その度に、上司が満足する仕事ができていないのではないかと不安で、苦しかった。上司からしてみたら、もっとできるよねと期待してくれての言葉だったようにも思う。
ただ、仕事をやれどもやれども不足感が拭えなくって、いつも自分は誰かの役に立てているのかな? 私の存在そのものが、ここにある価値はあるのかな? ってことが不安で不安で仕方なかった。

そんな私が、
(ああ、私ってすでに人の役、社会の役に立てているんだ……)
って思ったきっかけがある。

それが、投資の勉強。

コロナになって、仕事が休業になった。
仕事で埋めていた日常が、急にぽっかりと空いてしまったわけだ。
そこで私がしたことは、いろいろな学びをすること、だった。

The Science of Well-Being
仏教と現代心理学
マインドフルネス
心理学
ライティング

などなど。
実にさまざまな学びをしたわけだけれど、そのうちの一つが「投資」だった。アラフォー独り身、結婚の予定もなく一人っ子。親が他界したら、間違いなく一人。

そんな自分が、老後、どうやって生きていくんだろう。

常々、心の片隅にお金の不安はあったのだけれど、そこをずーっと見てみぬふりをして生きてきていた。その「不安」を解消するために始めたのが、「投資」。

そこで初めて、きちんと「投資」っていうのがそもそもなんなのかを知った。さらにいうと、

(ああ、私ってすでに社会貢献してるんだ!)

って心底ホッとした。
会社において、私はずっと自分を「できない人間」「役に立たない人間」と考えていた。のだけれど、実は社会貢献もしていたってことに気がつけた。

「お金」を使うこと、そのものが社会貢献なんだって。

資本主義社会において、「お金」というのは何かサービスを受け取った際の対価としてお支払いする。つまり、「お金」をお支払いした先、サービス提供者が、その「お金」をご自身の生活だったり趣味だったりのために使ってくださるのだ。

お客さんは、自分が欲しいと思っていたものが手に入れられるし、お店の人は、自分の店の売り上げが上がる。

さらには、その「売り上げ」は、お店で働いてくださっている方のお給料やテナント代。なんなら、そこで使用している水道・光熱費などに当てられていくわけなのだが、そういった水道・光熱費だって、常に提供者がいるわけで、誰か一人にお金をお渡しすると、そのお金が支払った人の意図にかかわらず、自動的に世界中を巡っていってくれる。

例えば、私がコンビニでおにぎりを買ったとしたら、コンビニの店員さんのお給料、そのおにぎりをコンビニに配送してくれた業者、そのおにぎりを作り、パッケージをしてくれた工場、さらに遡ると、お米や具材を育ててくれた農家さんや、他の第一次産業の方々などにまでお金が渡っていく。

裏を返せば、買い物をすることで、お店の方だけではなく生産者の生活を支えられているということ。

「お金」を使うことは、実は社会の一員として、社会の循環を回すことでもあるんだ、と、なぜだか妙に納得ができた。

ハッとした。

生活しているだけで「私は社会の役に立っている」という感覚になれた。「役立たず」だと思っていた自分は、実は生きているだけで、「社会の一員」として貢献ができていたのか……と。ただ「生きる」だけでもいいんだ……と。

私たちはつい、目に見える成果や結果にとらわれがちなのだけど。
でも、そうやって目に見えない部分では生まれた瞬間から人と社会とのつながりを24時間いつでも持ってもいる。

「お金」が意外と人は孤独ではないことを教えてくれたような気がしている。

#お金について考える

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