ボロット第四話「試練」
新しく目覚めた僕の目の前にある箱は白くて四角い。
僕とこの箱が衝突するのは何回目だろうか。
僕が新しく目覚めると同時に僕に近づいてくるこの箱をただただ見つめて、ぶつかるまでの軌跡を眺めている。
この脈絡なく繰り返される目覚めと箱との衝突のループが終わることはない。
僕はこの状況を理解しようとする思考を、もう諦めた方が良いのか、そう感じ始めている。
これに意味などないのだ。
そもそも僕がいるこの病室も、その箱も同じ材質、色でできており、素直に見れば、両方同じ白い直方体だ。この世の全ては箱で出来ている箱理論だ。窓も然り。光を放つその窓も四角形である。見方を変えれば、病室である直方体に、窓である直方体がめり込み、めり込んだ先が見えないので窓に見えているだけで、結局は病室である巨大な直方体に、窓と思われる50センチ四方の直方体が結合しており、病室と窓という空間を形作っているにすぎない。そして目の前にある箱と認識される直方体。
私の周りは全て白い直方体で構成されているのだ。
なるほど箱理論は的を射ていたわけだ。この世の全ては白い直方体の組み合わせで造られている。宇宙が原子を基礎単位とする構成要素から成り立っているように、僕がいるこの世界は、様々な大きさの白い直方体から成り立ってるというわけだ。
それが正しいとすると、
それはつまり、次の結論を自ずと導き出すことにならないだろうか。
『僕は直方体だ。』
そんなことがあるだろうか。
僕は自分をボロットだと自覚しているのだ。直方体ではない。ボロットという存在だ。なぜ自分が自分をボロットと認識しているかは考察が必要だが、繰り返される目覚めはいずれも、自分はボロットだ、というところから始まっているのだ。
自分であるボロット、病室、窓、箱。それがこの世界だ。病室が病室か、窓が窓か、箱が箱かは置いておこう。それは僕がどう認識するかの問題だからだ。でも、僕がボロットである点は絶対的だ。
もちろん目覚めた後で、僕はボロットではなく、猿だ、と認識を変えても良い。観察と考察の結果、自分はボロットではなく猿に近い特性を備えているので、僕は猿だ、という結論を導き出すのは正しい思考だ。とは言え、その結論を導き出すまでの間の自分は、何者か分からないという状態ではなく、疑問の余地なくボロットなのである。これは自分自身に予め定められた属性とでも言えば良いのだろうか。とにかくそこから始まっているのである。
さて、ボロットと自覚する僕は、観察と考察の結果、直方体という結論になるのであろうか。箱理論に立脚すれば、僕は直方体である。
結論を導く上での問題は、僕は僕自身を観察できないという点にある。
僕は動けないのだ。
箱が何度となく近づいてくるシーンの全てで、僕はその箱を回避できたことは一度もなく、箱が僕に衝突するその瞬間までただただ見つめているだけしかできない。
僕に与えられているのは次の5つの力だ。
(1)ボロットという自己認識
(2)周囲を観察する目
(3)観察結果を理解するための知識
(4)それらを蓄積する記憶力
(5)そしてそれらを総合して思考する能力
現時点では、僕が直方体であることを証明することも、それを否定することもできない。どちらの場合でも僕の思考は論理的に破綻しない。どちらの場合も成り立っている。どちらの可能性もあるのだ。それを決するには、答えを見るしかないのであるが、その手段がない。
もう一点重要なことがある。
幾度となく経験している「目覚め」という事象である。
眠った記憶はないが、目覚めの記憶はある。それはいつも新鮮な目覚めだ。この世に始めて誕生したかのような目覚め。すべて最初から、それ以前は何もなかったかのような目覚め。全ての世界が目覚めた瞬間に創造されたような目覚め。目覚めるたびに、それは最初で第一回目の目覚めなのであるが、僕にはなぜかそれが最初の目覚めには思えないのだ。何度も繰り返されているような感覚を持っている。箱がぶつかってくるのは毎回初めてなのであるが、初めてではない感覚。
目覚めと目覚めの間で引き継がれるこの感覚、過去に学んだ知識や経験が脳や記憶回路に残るような物理的な現象ではなく、それ以外の場所に存在し、目覚めと目覚めの間を繋ぐもの、5つの力を超える『第6の力』
僕が『第6の力』を認識し、使えるようになるにはもう少し時間がかかるのであった。
つづく
ボロット第五話「撃破数610万」
https://note.com/bettergin/n/nf080a09fe27f
ボロット物語 もくじ
https://note.com/bettergin/n/n7e1f02347fba
Youtubeでこの小説を朗読しています!是非ご視聴ください。
https://youtu.be/v6DHFYKbbJc