「世の中なんかオカシイ」に対する回答:『大衆社会の処方箋』
■考えられない、決められない人たち
筆者は大手企業と仕事をさせていただくことが多いのですが、夙に感じていることがあります。それは、「決められる人がいない」ということ。意思決定をする立場の人ですら、決めることができない。
ここ数年で、さらにその傾向が強くなっている気がします。「決められない」原因は、意思決定をするためのプロセス、すなわち「自分で考える」ことができないからです。
自社では根本的な問題解決ができないので、外部委託という選択を取ります。それも一つの「意思決定」かもしれませんが・・・
おかげさまで、我々に仕事が回ってくるので、ありがたい話ではあります。「考えて、決める」ことができないので、代わりに「考えて、決め」てあげれば、価値を感じていただけます。
結果として、次の仕事につながったりするのですが、言葉にできない「コレジャナイ」感を持っていました。この2年くらい、「コレジャナイ」の言語化が筆者のテーマでした。
■ようやく見つけた答え
前置きが長くなりましたが、この本の中に、筆者の探し求めた答えがありました。
スペインの哲学者・オルテガが『大衆の反逆』の中で、20世紀前半のヨーロッパ社会において「大衆」が出現し、社会を支配していく様子を描写しています。
本書では、あらゆる実証データをもとに、現代日本でも大衆化が進行している可能性を指摘し、それに対する処方箋を提示しています。
■世の中に蔓延る大衆とは
本書では、「大衆」の定義を二つの因子で説明しています。
「傲慢性」とは、「自分はあらゆる能力を持っており、思い通りに物事が進むはずだ」と勘違いしていること。このタイプの人間は、筆者の周りにも急増しています。それなりのお歳なのに、大した能力もなく、根拠のない自信だけは持っている。
筆者は彼らの症状を「成人性中二病」と名付けています。
「自己閉塞性」とは、「自分の殻に閉じこもり、まわりに対する責任や義務から逃げる」という態度のこと。責任取りたくない人たちですね。大企業の年配の方に多いです。
「傲慢性」と「自己閉塞性」は、一見相反するように考えられますが、両方の特性を併せ持っているのが、「大衆」なのです。
悪気もなく人を食べちゃう「無垢の巨人」のイメージです。怖いです。
■誰にでもある大衆性
大衆性とは特定の人をカテゴライズするものではなく、誰でも持ち合わせている傾向です。したがって、自身の大衆性をいかに低減させていくのかということが、本書の主眼となります。そのための処方箋です。
本書では、脱大衆化のために、三つ基本戦略が挙げられています。
以下、筆者なりの言葉で説明します。
1.運命焦点化
自分がいずれ死ぬことをリアルに感じ、残された人生としっかりと向き合うこと。筆者は、人生の最終ゴール(真のゴール)を描くことから、一日をスタートさせています。必然的に、残りの人生にもフォーカスすることになります。
2.独立確保
ノーテンキに過ごさず、あらゆることに意識を向けて生活すること。ここのところ、筆者は、あえて面倒くさいやり方を選ぶようにしています。例えば、キャッシュレスをやめて現金払いにしています。
3.活物同期
活力を得られる対象(本、自然、伝統)と触れ合う機会を持つこと。本書のような書物を読むことも活物同期の一環です。また、神棚に祈りを捧げる習慣も活物同期になっています。
■さらなる「大衆性低減」のために
世の中が便利になりすぎて、何も考えなくても生きていくことができてしまうことが、大衆を増殖させている一因でしょう。自身の大衆化を食い止めるには、「意識的に」生きていくことが不可欠です。
筆者は、教養を高めていくことで、より意識的に生きていくように心がけています。本書は、『大衆の反逆』をはじめとする社会哲学書が引用されています。
これらの原書にも同期し、「解釈的循環」を通じて、残りの人生も大衆化の波に飲まれることなく生きていきたいものです。