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【子育て】日本語ゼロで体験入学!長男、涙の奮闘記
7年ぶりの一時帰国、ついに実現!
去年の夏、7年ぶりに家族で一時帰国が叶った。次男の妊娠・出産、コロナ禍、燃料費高騰などが重なり、気がつけば7年も経過していた。普段から「どうしようもないこと」に対してくよくよしない性格なので、「日本が恋しい」という気持ちも無意識に封印していたが、久々の日本は一言で言うと 「マジで最!高!」 だった。
アメリカの暮らしには慣れているものの、日本に帰るとガチガチの鎧兜を一旦下ろせるように、肩の荷が下りる感覚になる。(信号待ちで隣の車にランダムに発砲されるかもしれないから、少しずらして停車する、等という危機察知アンテナをはらなくてもいいのだ。)
小学4年生の長男、日本語ゼロで挑む!
今回の帰国では、小学4年生の長男が地元の小学校で2週間ほどお世話になることができた。私は普段から子どもたちに日本語を全く教えていないため、長男は 日本語ゼロ で挑むことになった。(→ 参照:「私が幼少期にバイリンガル教育をしない理由」)
最近では小学校で英語の授業があり、習い事でも英語を勉強していると聞いていたので、「日本語が話せなくてもなんとかなるのでは?」と楽観視していた。ただ、一応最低限のあいさつと自己紹介、「トイレに行きたい」だけは教えた。
言語の壁はあるものの、長男の性格的にうまくやれる 勝算 はあった。
体験入学に込めた2つの目論見
今回の体験入学には、私なりの 2つの目的 があった。
ぬるま湯からの脱却!少しの荒波を経験してほしい
長男は普段から 「どれだけ楽をして、望む結果を出すか」 を考えるタイプで、やりたくないことには全力で抵抗する。そんな彼に 喝! を入れたかった。
アメリカでは凶悪な事件が身近に起こり得るため、「死なない程度の荒波」を経験する機会はなかなか難しい。しかし、今回の体験入学なら安全な環境の中で適度な危機を経験できると思った。「日本」を思う存分体験し、アイデンティティの種を植えたい
長男は日本人のハーフとして生まれたものの、アメリカ人として生活している。いずれ思春期に訪れるであろう アイデンティティ・クライシス(僕は一体何者?自己認識が不安定になる状況) に先手を打つべく、「日本」というもう一つのルーツを少しでも感じてもらいたかった。
そして、あわよくば 「日本語を勉強したい!」 なんて言い出してくれたら…と期待していた。
いざ初登校!涙の大爆発
準備が整い、いよいよ初登校の前夜。
不安を口にしていた長男が ついに爆発した。「もう絶対無理だ。日本語が話せないから絶対友達できないし、みんなに笑われる。100%辛い経験でしかない😰😭」と、この世の終わりのように泣きじゃくった。
なんとか宥め、翌朝は青白い顔で下を向いたまま登校した。
初日、まさかの「めちゃくちゃ楽しかった!」
初日は半日で帰宅する予定だったので、迎えに行くとクラスの友達が廊下まで見送りに来てくれていた。本人に感想を聞くと…
「めちゃくちゃ楽しかった!😝」
あんなに泣いていたのが嘘のように、楽しそうにその日の出来事を饒舌に話し始めた。
「だから言ったやん😏」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、ただ相槌を打った。
その日の夕方、担任の先生から電話がきた。
先生:「○○君、朝めちゃくちゃ緊張されてて、ずーっと静かだったんで、かなりお辛い気持ちになってるんじゃないですか😔?」
私:「いや、めちゃくちゃ楽しかったって聞いてます。もうなんなら給食も食べたかったって言ってます。明日も行く気満々なんでよろしくお願いします。」
先生:「え😶?…あ、じゃぁよかったです。すごい心配してたんで良かったです。。。😅」
長男は 多分緊張とワクワクと人見知りが感情オーバーロードになり、一周回って 「無😑」 の表情をしていたと推測できる。先生が心配するのも無理はない。
救世主登場!英語が話せるボランティアの支え
ありがたいことに、長男に救世主が現れた。
地域の保護者ボランティアの方に英語を話せる方がいらっしゃり毎日専属通訳として長男に同伴してくださった。
通訳だけでなく、長男の様子を細かく観察し、毎日記録までつけてくださるという神対応。
そのおかげでクラスメートとも徐々に打ち解け、翻訳機を駆使しながら小学生男子特有のアホな会話で盛り上がっていたらしい。
最終日には涙、涙のお別れ会を開いていただき、2週間の小学校生活第一章 が幕を閉じた。
日本は「楽しい、美味しい、優しい、あったかい」
この体験入学を通じて、長男はたくさんの人の大きな愛に触れることができた。帰国後、「日本ってどんな場所だった?」と聞くと、長男は 「楽しい、美味しい、優しい、あったかい」 と答えた。
ちゃんと伝わっている。私も同意見だ。日本の皆さんの細かい気遣いと優しさが身に染みて、本当に癒された。とにかく全員優しかった。気が緩みすぎたせいか、人生初のコロナに感染してしまうという落ちで私の一時帰国も終了した。そして、またアメリカで見えない鎧兜を引きずりながら、日々奮闘している。
あ~帰りたい(笑)