見出し画像

競馬ファンも知っておきたい有馬記念~中山競馬の危機を救った男~

こんにちはこんばんは、競馬の勝ち方を教える馬券師、シンジさんです。

さて、中山競馬の歴史の続きをします。

おさらいすると
・中山競馬場には前身があり、明治時代松戸に競馬場があった。
・コースが劣悪なため、軍が土地を買いに来たことを機に移転した。

こんな感じです。

しかし、移転した中山村若宮では全く競馬は開催されませんでした。

理由は運営元の中山競馬倶楽部の内紛です。

権力者争いがひっきりなしに起こり、利権の取り合い取り合い。


その後、国が馬券発売が認める法律が制定されても、リーダー争いで開催どころではありませんでした。

俺がリーダー。
俺がリーダー。
俺がリーダー。
俺がリーダー。
リーダー4人もいらんねん。

まさに超新塾状態。

画像1


あきれた一部の勢力が、同じく市川市の海岸沿いに新しい競馬場を作ることにしました。
しかし、その競馬場は完成しませんでした。

なぜか。

関東大震災です。

千葉県で7,8mを超える津波が押し寄せ、完成間近というところですべてが水の泡となりました。

それでも内紛が収まらぬ中山競馬倶楽部は、土地代を踏み倒して、近隣住民から相当な迷惑を買い、ついに政府も「財源にならないのなら廃止する」というところまで来てしまいました。

そこである人物が登場します。

肥田金一郎。

画像2

かねてより馬好きであった肥田は福島で議員・畜産組合長として活動し、福島競馬を作ったり、帝国競馬協会(JRAの前身)の理事を務めていました。その理事を辞めて中山競馬倶楽部の常務理事に移籍しました。
当時、内紛で組織もめちゃくちゃだったため、常務ってだけでトップでした。

肥田は新しい競馬場への移転を画策します。


表向きには中山を「東洋一の競馬場にする」ということですが、本当の理由は内紛のゴタゴタを何とか抑えるためです。

今まで、土地代を踏み倒していたため(改めて思うんですけど、ひどくないですか?)、地元の権力者から信用されるのにかなり時間がかかったみたいですが、なんとか船橋市の古作に移転することができました。

なんかめっちゃ土下座したんかなって思います。


ちなみに、その権力者の中に中山町長中村勝五郎という人がいます。この人も中山競馬場の銅像になってますので興味があったら。


そして「東洋一の競馬場」は当時府中競馬場だったため、府中にはない起伏の多いコースにしようと計画しました。

結果的に中山大障害のような急な坂道コースや、芝コースでの最後の直線で急な坂道になるといった、アトラクションに近い一風変わったコースが完成しました。

ということで、現在に至り、2021年。

今年も肥田金一郎のおかげで有馬記念が開催されることとなります。
有馬で勝負する馬券師にとっては、頭の下がらない人物です。

なお、肥田さんは生前こんなことを言っていました。

単勝50万は危険やで。

僕もそう思います。

有馬で僕に馬券を買わせたい方は、ぜひハートをお願いします。

*一部フィクションです。


いいなと思ったら応援しよう!