見出し画像

親兄弟が居ないのは体の一部がないのと一緒

母が亡くなった。
母とはもうずっと前に絶縁している。母は父と離婚し、私は父方の籍に入った。

といっても、小さいころから父も居ない、母も居ない、兄も居ない。
特殊な家庭環境で育った。※詳細はabout ME参照

母が亡くなっても私はやる事は殆どない。
籍は離れてるし、連絡は取ってない。
法的トラブルを避けるために行政を通じて所在の確認と彼女の成年後見人と連絡は取っていた。
お骨だけ受け取り、彼女の故郷の海に散骨するつもりだ。

感情的に誤作動しそうな自分が居るのでしばらく大人しく過ごしている。

表題の件。
私は小さい頃から親兄弟は実在するが、同じ家に暮らしていたが、
心理的にも家庭的にも親兄弟は存在していなかった。

大人になるまでその異常さに気づかなかった。
最初からそういう環境だと違和感を感じるのは難しい。
大きくなるにつれて周りを観察し、異常さに気づいていった。

17歳から父子家庭、19歳から一人暮らし、23歳で父死亡。天涯孤独。

小さい頃から幼稚園に連れて行ってもらえない、学校行くのに朝ごはんを作ってもらえない、放置子ぶりだったので、小さい頃から自分で色々やらなければならなかった。衣食住の家事など小学生で習得済みだ。

親兄弟が心理的にいないと、心理的に体の一部がないのと同じ。
ものすごく努力しないといけない。基本的な心理動作を教わらない。
リソースを提供されない。自分で全部考えて何回も失敗して学習しないといけない。大人の親が1を教えればよい事を子供の自分が100失敗して学習しないといけない事すらある。
心理的には片腕、片足、感覚器の一部がないのと同じだ。
人の何倍も苦労しないといけない。
親兄弟が心理的に居ないということは、心理的には体の一部がないのと一緒。
愛情の飢餓によるダメージも深刻だ。
人よりも能力が生まれついて高くてやっとついていけるか、ついてくための疲労も大きい。最初から家族の愛情が豊かなひとにはそんな事実も全く理解されない事も多い。

親兄弟が居ないという欠落は抱えて生きてくしかないんだろうと思う。
その欠落、欠けはおそらく埋まらない。抱きしめて生きてくしかない。

子供が生まれたら家庭を持ったら埋まるという人もいるだろう。
しかし、子供は自分とは違う人間だ。自分ではない。自分とは違う人格を持った人間だ。自分と同一視して良い感じはしない。
配偶者をもったら、、配偶者もまた親兄弟とは違う人間だ。親や兄弟ではない。
「配偶者」であり、「パートナー」なのだ。

親兄弟が居ないというのは、この欠けを、この欠落を抱えて、抱きしめて生きてくという事なのだと自分は思う。
この欠落を自分が持っているという事を決して忘れてはいけない。
この孤独を宿命として受け入れて生きていくのだと。

※真実や真理は人によって違います。私の真実や真理は上記ですが、誰かの真実や真理はまた違います。誰かの意見を読んでみて自分の考えと比較して自分の真実をみつけていくことが大事だと思います。


いいなと思ったら応援しよう!